3-3 偽装と優しさ
「――ちなみに。アルからは言われない? 偽装じゃなくて本当に結婚しようって」
ヒューはテーブルに散らばったコーヒー豆をかき集めながら、しれっと話題をすり替えた。
「な、なんですか! 急に!」
不意打ちのせいでエメルは声が上擦ってしまう。
「他人を屋敷に入れるのが嫌だって理由で掃除人形を作るような奴がだよ、理由があるとはいえ女の子をひと月以上も住まわせるなんて、ねえ」
調子を取り戻したヒューは、悪戯っぽく目を細める。
「本当にそういう感じじゃないんですって。いまだに体調不良で半日くらい動けない日もあったりするし。そんな余裕もなければ、そういう雰囲気にもならないですよ」
「けど看病はしてくれてるんだろ?」
「はい……手厚く。付きっきりで。同じ部屋で仕事してくれてます」
エメルは顔をしかめ、口元に手を当てた。アルドの善意は、エメル自身にも不可解な点だった。
「もう好きじゃんそれ」
「魔素不耐症の治療も契約内容のうちなので」
「そこがあいつらしくないんだよなぁ。俺と違って可愛いってだけでなびくような奴じゃないし。エメル嬢的にはどう?」
「どうって……。契約期限はいつまでなのかなーとか。魔素不耐症はちゃんと治るのかなーとか。契約終わったらどうしようかなーとか。不安で考える余裕ないですよ」
「アルと本当に結婚すれば全部解決だろ」
「簡単に言わないでください」
「俺には簡単に言ったでしょ」
ヒューは皮肉まじりにウインクをする。
「――まったく、いつまで待たせるつもりだ」
これみよがしなため息をつき、アルドもキッチンへとやって来た。
「……あ。焼き過ぎたかも」
エメルはアルドの顔を見てカタラーナを思い出した。
当然というべきか、砂時計の砂は完全に落ちている。
オーブンから慌てて取り出すと、表面がキャラメリゼされ、容器全体がしっかりと温められていた。
温かくてもカタラーナには違いない。
だがエメルの想定では日本式のアイスクリームに近いものが出来あがるはずだった。
「悪い、俺が世間話なんか振ったせいで――」
慌てたヒューの手からコーヒーミルが滑り落ちた。
衝撃で引き出しがはずれ、黒い粉末と苦みのある香りがあたりに広がる。
(挽きたてのコーヒーって結構きつい匂いがするんだ)
苦さと酸味が鼻の奥をつき、エメルは軽い頭痛を覚えた。
元々コーヒーは苦手で、大量のミルクと砂糖を入れなければ飲めない。
「やばっ。下手に拭くより人形に吸わせた方が早いか」
ヒューは掃除人形を抱え、コーヒー粉末の近くにそっと置く。
「おいっ。それはやめろ!」
アルドが声を荒げて駆け寄ってきた。
声にも表情にも焦りが見える。
コーヒーを吸い込んだ掃除人形はガガガッ! という異音を立てて動きを止めた。
上部に付いたスイッチが異変を訴えるように赤く明滅している。
「だ、大丈夫!?」
エメルは膝をつき、掃除人形を持ちあげた。
下部の吸い込み口からぱらぱらと欠片が落ちる。
人形の内部で加熱されたのか、より強いコーヒーの芳香が漂った。
エメルはごほごほと香気にむせ返る。
それだけでなく、頭の奥を刺すような痛みにも襲われた。
先ほどの頭痛の比ではない。
(こんな時になんで……でも、いつもと違う……?)
魔素不耐症の症状が出る時は、手足の指など末端のこわばりが兆候としてあった。
だが今回は、ただただ頭が痛む。うめき声すら出せない。
「エメル!」
アルドの声が聞こえ、エメルの身体がふわりと浮いた。
アルドの顔との距離の近さから、抱きあげられているのだとわかる。
エメルが倒れると、アルドはいつもこうして運んでくれた。
焦りや恥ずかしさはまだあるが、アルドから香る甘い匂いや意外と高めの体温に安心感を覚える。
「ヒュー、すまないがそいつを私の部屋に運んでおいてくれ。出来るだけコーヒーを払っておいてもらえると助かる」
ヒューの返事も聞かず、アルドはほとんど駆けるような速度で部屋を出た。
痛みで朦朧とする意識の中、エメルはアルドの胸元にしがみ付いた。




