2-11 耕耘散水機
エメルが焼き立てのケーキと紅茶を運ぶと、すでに中庭の花壇で農耕人形――正式名称「耕耘散水機」の実演が執り行われていた。
テラスに設置されたガーデンチェアに座るアルドは、これといった感慨もなさそうに農耕人形を見つめている。
「スフレチーズケーキ焼けましたよ」
エメルはケーキと紅茶を配膳し、自分も椅子に座った。
「スフレチーズケーキ?」
アルドの関心はすぐさまケーキに移り、ふわふわの生地をフォークでつついている。
日本発祥のケーキなので、おそらく目にするのも初めてだろう。
市場でフレッシュチーズが売っていて良かった。
(全然仕組みわかんないけど、ちゃんと耕してるわ)
農耕人形は円柱の上に半球を載せたようなサイロ型で、大きさはエメルの膝よりもやや高いくらい。
頭頂部分にはトマトのヘタのような装置が取り付けられ、胴体部分からは棒が二本突き出ている。
子供が描くロボットをそのまま具現化したらこうなるだろう。
底の部分に耕耘用の刃でもついているのか、農耕人形の動線通りに土が掘り起こされていく。
「……大変だ」
突然、アルドがフォークを置いて呟いた。
「アルド?」
「ケーキが消えた」
アルドは口元を押さえ、ケーキの欠片すら残っていない皿を呆然と見つめる。
「……いや自分で食べたんですよね」
「口の中に入れた瞬間に溶けるようになくなった」
「だから食べたんですよね。うちのお爺ちゃんみたいなこと言わないでください」
「残りの六分の四のケーキはどこにある」
「六分の四?」
「ここにあったケーキの角度は約六〇度。つまり六等分したことは明らかだ。君の分のケーキを除くと、六分の四切れケーキが残っていることになる」
「なんでそう遠回りするんですか。素直に『おかわりください』でいいでしょう。これ、手を付けてないんで良かったらどうぞ」
エメルは自分の分のケーキ皿をアルドの方に押した。
アルドはすぐさまフォークを持ち、弾力を確かめるようにフォークの背で生地をぽんぽんと叩き始めた。
(この人この見た目と喋り方のくせに天然だわ。ギャップがあざとくて性質悪い。せっかく人形を見せてもらってるんだから、ちゃんとこっちに集中しよう)
エメルはにやけてしまった頬をつねり、小走りで農耕人形に近寄る。
農耕人形はひと通り花壇を耕し終えると、花壇の中央で立ち止まった。
頭頂の装置がくるくると回転し始め、そこから勢い良く水が噴き出した。
学校のグラウンドにあったスプリンクラーを思い出す。
「わっ、うそ!」
「耕耘『散水』機だと言ったろう」
迫りくる放水にエメルがわたわたしていると、アルドに腕をつかまれ引き寄せられた。
突然のことにエメルは足を滑らせ、背中からアルドの胸に倒れ込んでしまう。
思いのほか固くしっかりとした胸板に心臓が跳ねる。
おかげで直撃は免れたが、飛沫で髪や服がうっすら湿ってしまった。
「ご、ごめんなさい。あと、ありがとうございます」
エメルは怖々とアルドの顔を見上げた。
アルドの髪はしっとりと濡れ、眼鏡に水滴がついてしまっている。
「人がいようと関係なしに散水モードに入る点は改善すべきか」
アルドは眼鏡を外して水滴を振るい落とした。
眼鏡のフレームがないせいか、いつもより目元の印象が柔らかい。
「ケーキ、ついてますよ」
エメルは苦笑し、指先でアルドの口元に触れた。
一瞬だけ、アルドの表情が揺れる。
不快感ではなく、純粋な驚きのようだった。
「全然、女性不信なんかじゃないですよね」
「……先ほどの話か」
アルドは細く息を吐き出し、髪を掻き上げた。整えられた髪がはらりと乱れる。
「特定個人といさかいがあったとはいえ、彼女が属するカテゴリーすべてを拒絶するなど浅慮が過ぎる。そしてそれ以前に、そもそも私は人間自体が得意ではない。屋敷に使用人を置きたくない程度には、だ」
「もはやそれって人間不信じゃありません? もっと重症なような」
「真に信じるに値する人間など、そう多くはないだろう」
「反論しづらいこと言わないでくださいよ、もう」
エメルは自分の足で立った。いつまでも寄りかかっているわけにはいかない。
「何があったか、気になるのか」
「……正直に言えば、はい。でも無理矢理聞き出したいわけじゃないです」
聞くことによって関係が悪くなるくらいなら、聞かない方がいい。
だが、アルドとヒューの意味深な会話を聞いた時からずっと、心に薄い膜が貼りついているようでもやもやする。




