2-9 恋を知らない私たち
「……腕は組まないのか」
どうにか予定時間内に採寸と買い物を終え、ヴェーバー夫人とミラの笑顔に送り出された直後のことだった。
「店に入る前は組んでいただろう」
アルドは一ミリもずれていない眼鏡を押さえて直す。
何を言われたのか理解できず、エメルはアルドの顔を見上げた。
身長差はおおよそ二十センチくらい。見上げ続けていると少しだけ首が疲れる。
「入店前後で振る舞いが変わるのは矛盾している」
「……なんですか、それ」
エメルは小さく吹き出し、アルドの腕に手をまわした。
さっき買った荷物は屋敷に直接届けてもらえるため、腕を組むのに邪魔なものは何もない。
「本当は一緒に転びたかったんですか?」
「矛盾が気になっただけだ」
「アルドの方から組んだっていいんですよ」
「私からでは拉致しているように見えるだろう」
「……確かに。無理矢理感ありますね」
アルドから腕を組むシーンを想像し、エメルはちょっと笑ってしまった。
「親密さを出すなら、腕じゃなくて手を繋ぐのもアリですけど」
エメルはアルドの腕に絡めていた手をスライドさせ、いわゆる恋人繋ぎでアルドの手を握る。
アルドの手は大きくて温かく、初めて出会った時――助けを求めて手を伸ばし、握り返してくれた時のことを思い出す。
(……いや何やってんの私。偽装婚約とはいえ、会って数日の人に対してやり過ぎじゃない?)
腕を組むよりも、アルドの体温が直に感じられて落ち着かない。
余計なことまで脳裏によぎりそうになり、エメルは指を唇に押し当てる。
「どのみち片腕がふさがって行動が制限されるな」
アルドは繋いだ手を持ちあげて見つめた。
「まったくもってその通りなんですけど、味気ない言い方しないでくださいよ……」
「他者と親密になるのは、不自由になることと同義か」
「いやそこで思考を止めちゃったらメリットが何もないじゃないですか」
「今のところデメリットしかないが」
「一人じゃ気付けなかったことに気付いたり、不自由さ自体を楽しめるようになるのが恋とか愛なんだと思いますよ」
偉そうに講釈を垂れてしまったが、エメル自身も正直よくわかっていなかった。
周囲を見ていて恋や愛はそういうものなのだろうという予測は立てられたが、実感できたことはない。
誰からも嫌われてはいないが、誰からも特別好かれていない――それが「エツ子」だった。
「なるほど。手を繋がなければ君の考えを聞くこともなかったな」
アルドは手をそっと握り直した。
「君は私にはない発想をする。新たな知見を得られたことはメリットと呼べるかもしれない」
まぶしそうに目を細め、口角がわずかに持ち上がる。
「っ……」
エメルは息を呑んだ。
うまく呼吸ができない。言葉が一音も出てこない。
鐘の音が鳴った。
朝聞いたものよりも身体の内側に響く。
教会との距離が近いせいだろう。
鼓動がいつもより速いのも、きっと鐘の音に驚いたせいだ。
(この人、私のこと落とそうとでもしてる!? ――いやいや、そんな下心も小器用さもあるわけない。多分、インプットとアウトプットが異常に速いだけ――)
「……手なんか絡めちゃって、完全にただのデートじゃん」
からかうつもりしかない声が聞こえ、エメルはとっさに飛びのくようにしてアルドから離れた。
胸に手を当てると、まだ鼓動が速い。
「ヒュー、君は暇なのか」
アルドは腕組みをしてため息をついた。
「騎士団なんて暇な方がいいだろ。誰かさんのせいで、三食飯の用意をするのが俺のルーティンに組み込まれちまってんだよ」
これ中央市場の屋台で買ったやつね、と補足し、ヒューはエメルとアルドにラップサンドを手渡した。
香ばしく焼かれたソーセージが、トルティーヤのようなパンで巻かれている。
「半分は本当だが、半分は嘘だろう。君は我々が町に到着した時点から尾行していた。仕立て屋に騎士ミラがいたのも、おそらく君の差し金だ」
「だって、色恋に縁のないお前がちゃんと出来てるか心配になるじゃん。まぁ杞憂だったみたいだけど」
ヒューは終始にやにやしていた。
エメルはなんとなくアルドの背中に隠れ、もらったラップサンドにかじりつく。
焼き立てのソーセージは肉汁たっぷりで、危うく口の中を火傷しそうになる。
「あの件で女性不信になったかと思ってたけど、大丈夫そうだな」
「あの件?」
エメルはつい聞き返してしまった。
ヒューは頬を引きつらせ、しまったという顔をする。




