2-8 兄の婚約者
「……エメル様、辺境伯のこと本当にお好きなんですね」
ミラが熱っぽいため息をつく。
「えっ? そう見えた? 今ので?」
「はい」
「いやまあ、間違ってはいないんだけど、その確信はどこから……?」
「勘です」
「えー……」
「あ、私じゃなくてヴェーバー夫人の、です。正確には勘って言うか、長年お客様を見てきた経験則――になるのかな」
ミラはちらっと店先の方を見遣った。
「『辺境伯がお連れになる女性が噂通りの方なら、それ相応のおもてなしをしなくてはね』って言ってましたから。ヴェーバー夫人的にエメル様は及第点だったんだと思います」
「噂通りって、そんなひどい言われ方してるの私?」
「んー……お耳に入れるのはちょっと憚られるような内容、とだけ。リーゼッテ様の使者が視察に来た後は、いっつも変な噂が立つんですよ」
「リーゼッテって、確か……」
「シュタインベルク侯爵――辺境伯の兄上の婚約者です」
「使者を送りつけるとか、婚約者にそんな権限あるの?」
「表向きは侯爵の使者ですけど、視察と言いつつ、リーゼッテ様が推薦するお見合い話を持ってきてるだけですから。いったいどういう心境なんでしょうね? アルベルト様をヴァイス辺境領に追いやった原因を作ったのがリーゼッテ様だとかって話も聞いたことありますし。まぁ、あくまで噂ですけどね」
(なんか話聞く限りロクでもなさそう。できたらあんまり関わりたくないけど、昨日思いっきりアルドが使者のメンツを潰してたしなぁ)
アルドが偽装婚約を持ち出したのも、おそらくメインはリーゼッテ対策なのだろう。衝突を避けるのは難しそうで気が滅入る。
(でも、アルドを追いやったってどういうことなんだろう。それが本当なら、リーゼッテ側が好意的な対応を取ってるのは変だよね。アルドが迷惑がるのはわかるけど)
「……あ、いま私が喋ったこと内緒にしてくれませんか? 侯爵の婚約者の悪口を言ったなんて知れたら、どんなに怒られることか……」
ミラはぶるぶると震え、自分の身体に腕をまわした。
「言わないから安心して。それより、ミラさんはどうしてここに?」
エメルはデザイン画を眺めながら尋ねた。
どれが自分に似合うかはわからないが、華やかなドレスは見ているだけでも楽しい。
「私、ここに住まわせてもらってるんです。それで、時間がある時はお家賃代わりにお店の手伝いをしてて。昨日のドレスや今日のデート服はここでお借りした物なんですよ」
「ああ、だから詳しかったんですね。でも大変じゃないですか。騎士とお針子の両方なんて、休む暇もないんじゃ」
「私体力だけには自信があるので! どっちも好きな仕事なので休みなんていらないくらいです!」
「多分歳はそんなに変わんないと思うけど、活動的ですごいなぁ……」
平日は直帰してご飯を作ってお風呂に入って、だらだらしながら就寝。
休日は溜まった洗濯と掃除、食料品や日用品の買い出しに行くとほぼ一日が終わってしまう。
ミラの話を聞いていると、自分の生活がいかにルーティンだったかがわかる。
「全然すごくなんてないですよ。私は、人より頑張らないといけないんです」
ミラは頭を横に振り、わずかに視線を落とした。声のトーンもさっきより低い。
「でも、おかげでもうすぐ――」
一瞬、ミラの瞳に何か暗い影のようなものがよぎったように見えた。
頑張り過ぎて体調を崩してしまった会社の同期が、今のミラと似た目をしていた気がする。
「私のことなんかより、デザインどうしますか? 辺境伯の好みがわかれば攻めようもあるんですけど、全然服に興味なさそうですもんね。きっと今日の服もなんにもコメントしてくれてないですよね。もうそれならいっそ、エメル様の気分が上がる方に全振りしちゃいましょう!」
先ほどの暗さなどなかったかのように、ミラは屈託なく笑う。
声も口調もいつも通りの明るさだ。
(ミラさんのこと、ヒューさんに相談した方がいいかな。でも鬱陶しがられても嫌だし。気のせいだったら良いんだけど……)
エメルは近くにあった絹織物に触れる。
なめらかで気持ちの良い手触りだったが、ざわつく心を落ち着かせてはくれなかった。




