2-1 慣れない世界、慣れない身体
遠くで鐘の音が聞こえる。
カーン、カーン――全部で六回。
朝、スマホのアラーム音以外で目覚めるのは久しぶりだった。
エメルは自分の顔に手を当て、ベッドから飛び起きる。
姿見の前に立つと、鏡面には鮮やかなエメラルドグリーンの髪の美少女が映っていた。
エメルの動きに合わせて鏡の中の少女も軽やかに動く。
なんらかの治療をしてもらったのか、身体に違和感や痛みはなかった。
アルド風に言えば「不具合」はない。
「おー、夢じゃないわ。ってか、着替えさせられてる?」
独りごち、襟ぐりをつまみあげた。
今着ているのはドレスではなく、レースやフリルがあしらわれた、見るからにガーリーなネグリジェだった。
(とりあえず、顔洗ってごはんかな。倒れてから半日以上寝ちゃってたんだろうなぁ。アルドにお礼言わないと)
着替えは見当たらなかったため、仕方なくネグリジェのまま部屋を出た。
エメルの想像以上に屋敷は広かった。
廊下が長く、とにかく部屋数が多い。
無駄を嫌うアルドの性格にそぐわない気がした。
自分の足音以外になんの物音もせず、エメルは心細さから身体に腕をまわす。
「――おーい! アールー! 起きてるかー!」
どこからともなく、声が響いてきた。
おそらく昨日の金髪騎士、ヒューのものだ。
声を頼りに廊下を進んでいくと、食堂と思しき場所にヒューの姿があった。
群青のマントに軽鎧という出で立ちは変わらない。
「おはようございます。ヒューさん、ですよね」
「あ。えーっと確か……エメル嬢?」
「はい!」
「……それはよくない」
ヒューは神妙な顔をし、おもむろに距離を詰めてくる。
「はい?」
聞き返すエメルを無視し、ヒューはマントの留め具を外した。
「身体を冷やしては事だ。それに、そんな姿を他の男に見せちゃダメだろ」
ばさりとマントを広げ、演劇のワンシーンのようにエメルの肩にかける。
「え? あ、ああ、はい。すみません……」
エメルは前を合わせて、しっかりとマントを握りしめた。見た目よりもずっしりと重い。
「俺に乗り換えるっていうなら、やぶさかじゃないけどね」
ヒューは軽薄なウインクをしてみせる。
自分の顔の良さとその見せ方を理解している人特有の表情だった。
「配慮があるのかないのかどっちなんですか……」
「恋は自由だから」
「アルドのお友達じゃないんですか?」
「友だからといって手心を加えるのはかえって失礼だろう」
「ヒューさんの主義主張はどうでもいいですけど、女の人に刺されないように気を付けてくださいね」
エメルはひらりと手を振って話題を打ち切る。
挨拶代わりに女性を口説くタイプの人間に見えた。まともに取り合うと疲れる。
「ところで、こんな朝早くにどうしたんですか。不法侵入ですよ」
「さっきから手厳しいな。俺がここに来るのは日課だ。あいつ放っておくと飯食わないから、無理矢理部屋から引きずり出してる」
「毎日、ですか?」
「用事がないときは大体そうだな」
「お母さんみたいですね……」
「料理も作ってやらねーと肉焼いただけとかパン丸かじりとか、最悪コーヒーと菓子だけで済ませたりするからな」
ヒューは頭を掻き、大きくため息をついた。
アルドのことになると口調が少し荒っぽくなる。こっちが素なのだろう。
「じゃあ、良かったら一緒に朝ご飯作りません? アルドの好みとか知りたいですし」
エメルは両手を合わせ、お願いのポーズを作った。
「献身的過ぎる……! やっぱアルにはもったいないな」
ヒューは感極まったように目を見開く。
「大げさですよ……」
「でも、俺に聞くのは大正解。あいつ、誰が作ったとか関係なしに、嫌いなものには絶対手をつけないから」
「あはは……想像できます」
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