第7話 私も落ちこぼれですから
父からの手紙でささくれ立った感情を、自分への過負荷ではなく誰かの役に立つ課題へ変えようと、私は館の中庭へ向かった。
荒れた土のグラウンドでは、バルド隊長をはじめとする数名の守備隊員たちが剣の素振りをしていた。ふと視線をやると、グラウンドの隅のベンチで、小柄な少女が隊員の一人の腕に手をかざしているのが見えた。
「大丈夫ですか、ディックさん。すぐに痛みを散らしますから……っ」
栗色の髪をお下げに結んだその少女は、額に玉の汗を浮かべ、苦しそうな表情で息を詰めていた。彼女の掌からは、淡く赤い光――基礎的な温熱魔法が発せられ、隊員の腕の切り傷を温めている。
だが、その光は今にも消えそうなほど明滅を繰り返し、不安定だった。
「ティナ、もういい。ただの擦り傷だ。お前が倒れちまうよ」
「でも……っ、これくらいできなきゃ、私……」
腕を引こうとする隊員に対し、少女――ティナは意地を張るように魔力を押し出そうとし、ついにパリンと光を弾けさせて座り込んでしまった。
肩で激しく息をする彼女を見て、私は歩み寄った。
「バルド隊長。彼女は?」
「あ、リディアお嬢様。……この子はティナ。領内の薬師の娘です。治癒魔法の真似事が少しだけできるので、こうして時々、怪我人の手当てを手伝ってくれているんですがね」
バルド隊長が申し訳なさそうに頭を掻いた。
隊長に水を頼み、私はティナの前にしゃがんだ。彼女が落ち着くまで待ってから、視線を合わせる。
「ティナ。あなたの魔力容量はいくつ?」
「……三十五、です」
ティナが恥ずかしそうに俯きながら答えた。
「三十五。なるほど、だからすぐに息切れしてしまうのね。治癒や温熱の魔法は、継続的な出力が必要になる。でも、なぜ我流でやっているの? 王都や大きな街の学院に入って、治癒術師の専門課程に進めば、魔力の負担を減らす方法を教えてもらえるはずだけれど」
私の問いに、ティナは悲しそうに首を横に振った。
「入れないんです。学院の治癒術師課程に進むには、魔力容量が最低でも百は必要だと言われました。魔力が低い人間は、どうせ魔法を長く保てないから、高度な教育を受けさせても無駄になるって……」
「…………」
学院でも、同じ線が引かれていた。
フェリクス殿下が言っていた通りだ。容量だけで、学ぶ前に断られる。私の判定と同じ数字の線が、学院の入口にも引かれていた。
仕事場の工夫を知る人と、それを測る器具を持つ人が出会わない。訓練の席へ座るために、訓練前の才能を求められている。
ならば。
前世で限界まで肉体と向き合い、数値とフォームを記録し続けた私になら、それができる。
「バルド隊長」
「は、はい」
「学院の基準から見れば、私も落ちこぼれです。ティナがよければ、少しだけ私の練習に付き合ってもらえませんか」
私がそう言うと、バルド隊長は目を丸くし、ティナも驚いて顔を上げた。
「リディア様? 練習というのは……」
「パーソナルコーチングよ。彼女の魔法の使い方を、根本から直します」
私はベンチの隣へ腰を下ろした。しばらく話すうちに、ティナの肩の上下が収まる。
「もう少し休む? 試すなら十秒だけ。熱が増したらすぐやめるわ」
「……やってみたいです」
ティナが自分から手を伸ばした。私は掌を上へ向け、彼女が重ねるのを待った。
グッ、と彼女の肩に力が入り、呼吸が止まる。眉間に皺が寄り、全身の筋肉を硬直させるようにして、彼女は赤い光を絞り出した。
私の手のひらに、じんわりとした熱が伝わってくる。だが、それはやはり明滅し、ティナの息はすぐに上がり始めた。
「ここで止めて。肩に触ってもいい?」
「はい」
魔法が消えてから肩へ手を置くと、硬く強張っていた。私は隣で肩を上げ、下ろして見せる。
「重いものを扱う時も、関係のない場所まで力むと早く疲れるの。次は肩を下ろしてから、もっと小さく出してみて」
「こ、こうですか……?」
「そう。息は止めなくていいわ」
ティナが一度吸い直した。
肩の力が抜け、リラックスした状態から、彼女はふぅーっ、と長く息を吐き出した。
その瞬間。
パッと、彼女の手のひらから放たれる赤い光が、先ほどとは見違えるほどクリアに澄んだ。
「あ……」
「そのまま。呼吸を止めないで」
私の掌に、柔らかな熱が届いた。
十秒で切り、水を一口。熱が引いたのを確かめて、もう十秒だけ試す。四度目には少し光が揺れたので、そこで終えた。
続けて二分を保てたわけではない。それでも、最初の十秒より肩は柔らかく、息も整っていた。
「さっきより、苦しくないです。少しずつなら……私にもできるんですね」
ティナの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
私は次の指示を出さず、ハンカチを差し出した。光はもう消えている。それでも、彼女は自分の掌を何度も見ていた。
私は彼女の手を離し、維持時間と呼吸数を帳面へ書いた。一人の成功だけで一般化はしない。明日も同じ結果が出るかを確かめる。
「……すげえ。ティナの魔法が、あんなに安定するなんて」
一部始終を見ていた隊員の一人が、呆然と呟いた。
バルド隊長も、信じられないものを見るような目で私を見つめている。
私は彼に向き直り、スカートの裾を軽く摘まんで優雅に微笑んだ。
「バルド隊長。この守備隊の中に、魔力容量が低くて剣術頼りになっている隊員はどれくらいいますか? 同じように測ってみたいんです。剣を捨てずに使える魔法があれば、選択肢を増やせますから」
私が本格的な訓練班の編成を提案しようとした、まさにその時だった。
「報告ッ!」
館の門を飛び越えるようにして、見張りの兵士がグラウンドへ駆け込んできた。その顔は蒼白に引きつっている。
「領の東側、外縁部の森から魔獣の群れが接近中! 数は二十以上! 足が速い、このままでは一時間以内に領都の外壁に到達します!」




