第6話 容量は二十七のままです
フェリクス殿下がローヴェル領に滞在し始めてから、約一週間が経過した。
彼は大魔潮に向けた魔力濃度の公式観測を行いながら、時間が空けば必ず私の訓練に立ち会い、手元の観測器でデータを記録し続けた。
領主の館の中庭。
私は大きく深呼吸をしてから、右手の指先に《灯火》を灯した。
王都の測定室で初めて測ったのと同じ、最小出力の火。だが、あの時とは身体の感覚がまるで違う。
指先が焼け付くような熱さはない。魔力が経路を通る際のザラザラとした抵抗感が消え、まるで滑らかな管の中を水が流れていくように、静かに、そしてロスなく力が変換されていく。
「……ストップ。そこまででいいですよ、リディア嬢」
フェリクス殿下の声がかかり、私はゆっくりと息を吐いて魔力の供給を断った。指先の火がふっと消える。
息切れはない。額に薄っすらと汗をかいている程度だ。
殿下は測定値を読み、以前の紙を隣へ置いた。
「測定を三度やり直しました。一週間前と同一条件で、消費量がさらにほぼ半減しています」
「半減……! 本当ですか?」
「ええ。出力の安定性も申し分ない。しかし、その一方で……」
殿下はもう一つの水晶板を確認し、少しだけ言いにくそうに口にした。
「あなたの魔力容量の最大値は、今日も『二十七』のままです。微小な揺らぎはありますが、総量自体は全く増えていません」
「はい、分かっています。当然の結果ですわ」
私は頷いた。増やす訓練ではない。二十七を、長く正確に使う訓練だ。
「総量に変化がないことを、嘆いたりはしないのですね」
「ええ。タンクが大きくならないなら、燃費を良くするだけですから。私はこの水晶が測っていない場所で勝つと決めたのです」
私が答えると、フェリクス殿下はふっと口角を上げ、嬉しそうに頷いた。
「ええ、その通りです。そしてこの数値は、あなたの努力が小手先の技術ではなく、同じ条件で再現できることを示しています。……リディア嬢、私はこの一週間のデータをまとめ、王立魔導研究院へ『特異な高効率制御の継続観測データ』として正式に照会を行います」
「正式に、研究院へ……?」
「はい。辺境における重要な実務データとして、公的な記録に残します」
「ありがとうございます、殿下」
殿下は照会書の責任者欄へ私の名を書き、控えを一部、私へ渡した。言葉より、その筆跡の方が信じられた。
控えを受け取る時、指が触れた。礼を言ったばかりなのに、もう一度頭を下げてしまった。
しかし、公的な記録として評価された喜びは、数日後に届いた一通の手紙によって冷水を浴びせられることになった。
『――王立魔導研究院へ、お前の魔力に関する照会が為されたと聞いた』
執務室でハンスから手渡された手紙は、王都の父アルノルトからのものだった。
フェリクス殿下が提出した正式照会が、父の耳にも入ったらしい。
『だが、総量が増えていないのであれば、それは単なる測定の誤差か、持続時間を引き延ばすためのつまらぬ小細工に過ぎない。辺境でそのような真似をして、エルフェルトの家の名に泥を塗るな。お前はただ大人しく、領地の整理だけを進めていればいいのだ』
私は唇を噛んだ。父の手紙には、消費量を測った数値への反論は一つもなかった。
そして、手紙の末尾には、追伸としてこう記されていた。
『セシリアは学院で順調だ。お前と違い、高魔力者としての責務を果たし、日々その才能を開花させている』
「…………」
チクリ、と。
胸の奥を、細くて鋭い針で刺されたような痛みが走った。
手紙を持つ手が僅かに震える。
妬ましい。
どうして、彼女ばかりが。学院の予備測定で824を出した妹。父の期待と愛情を一身に背負い、順風満帆な学院生活を送るセシリア。
それに比べて私は、辺境に追いやられ、いくら消費を半減させたところで、一生かかっても彼女の大火力には追いつけない。
認められたい。見返したい。妹が妬ましい。手紙一枚で消えるほど、私は綺麗な人間ではなかった。
「お嬢様……? お顔色が優れませんが、お父様からの手紙になんと……?」
侍女のミラが、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
私は深呼吸を一つして、手紙をパタンと折りたたんだ。
「いいえ。なんでもないわ、ミラ」
私は顔を上げ、執務室の窓から外を眺めた。
待てよ、と競技者としての私が冷静に分析を始める。
父は「誤差だ」「小細工だ」と切り捨てている。だが、本当に私の記録が無価値で取るに足らないものだと思っているなら、わざわざ王都から遠い辺境の地まで、こんな手紙を送ってくるだろうか?
(……無視できていないのね)
父の本心は分からない。ただ、否定するためにわざわざ書いてきた。私の紙は、少なくとも父の手を止めたのだ。
「ふふっ」
自然と、乾いた笑いが漏れた。
「お嬢様?」
「……少し、腹が立ちますね。でも、気分は悪くないわ」
私は手紙を机の引き出しにしまい込んだ。
未練も、嫉妬も、簡単には消えない。だが、前世の私も、審査員の理不尽な評価への怒りや失恋の痛みは、すべてバーベルを上げるためのエネルギーに変換してきたのだ。
感情が乱れたなら、身体を動かして処理すればいい。
「ミラ、私、少し中庭に行ってくるわ。ちょっと小灯火レップのセット数を増やしてくる」
「ええっ!? お嬢様、今日はもう午前のメニューを終えられたはずでは。無理は禁物と仰っていたのはお嬢様ですよ!」
「……危なかった。怒りを理由に回数を増やしたら、私まで根性論に逆戻りね」
私は増量しかけたセット数を元へ戻した。それでも部屋でじっとしていると、手紙の文面を反芻してしまう。自分を壊さず、怒りを使える仕事を探そうと、私は中庭へ向かった。
中庭の訓練場へ向かう途中、怪我をした守備隊員の手当てをしている少女の姿が目に入った。
領内の薬師の娘、ティナだ。彼女の魔力は35。治癒術師を志していたが、魔力量が低すぎるため学院の入学基準を満たせず、夢を諦めているとハンスから聞いた。
ティナの寂しそうな横顔を見て、私の足がふと止まる。
魔力が低いせいで、足切りされる者たち。
大魔潮が迫る中、私一人が低燃費で戦えるようになっても、この辺境全体を守るには絶対的な出力が足りない。
(……なら、私だけが強くなっても意味がないわね)
もし、私のこの「低燃費のフォーム」と「回復の理論」が、私という特異な個人のものではなく、誰にでも再現可能なものだとしたら?
怒りを逃がすための訓練メニューが、私の中で新しい「課題」へと形を変え始めていた。




