第5話 タンパク質が足りません
「……なるほど。致命的ですね。圧倒的にタンパク質が足りていません」
ローヴェル領主の館、その古びた厨房。
ずらりと並べられた食糧備蓄の木箱を前にして、私は腕を組み、深く嘆息した。
「も、申し訳ございません、リディアお嬢様! 当領は土地が痩せておりまして、王都の伯爵家でお召し上がりになられていたような、柔らかい仔牛の肉や、見栄えのする白パン、甘い焼き菓子などは……」
恰幅の良い料理長が、真っ青な顔で平謝りしている。執務長のハンスも隣で胃を押さえていた。
私は首を横に振った。
「勘違いしないでちょうだい。私は美食を楽しみたいわけではありません。甘いものも嫌いではないけれど、それだけでは働き続けられません。身体を回復させるための材料が欲しいの」
私は厨房の奥、保存庫の隅に置かれていた籠や樽を指差した。
「卵、レンズ豆、それに山羊の乳とチーズ。あと、精白されていない雑穀ね。これらは領内で手に入るのよね?」
「は、はい。貧しい農民が食べるようなものばかりですが……」
「守備隊にも同じ量を出せますか」
「卵は病人と子供へ回しております。全員分となれば、十八日で底を突きます」
私は口を閉じた。理論では食糧を増やせない。領主代行だけが卵を独占すれば、守るべき人から回復を奪う。
「私の分も増やさなくて結構です。儀礼費を削って豆を買い、乳の共同買い取りを始めましょう。まず、領内で続けられる食事にします」
昼食の時間。
執務室に運ばれてきたのは、たっぷりの豆と雑穀を煮込んだスープに、ゆで卵、そして山羊のチーズという、貴族の令嬢らしからぬ質素なメニューだった。
私はそれを、一口ずつ咀嚼回数を数えながら、ゆっくりと胃に収めていく。
「お嬢様……その、いくらなんでも質素すぎませんか?」
お茶を淹れながら、ミラが心配そうに声をかけてきた。
「でも、朝から政務と訓練を続けていらっしゃるのに、それだけで足りるのですか」
「足りなくなったら相談するわ。私一人で判断せず、料理長にも見てもらいます」
私はゆで卵を飲み込み、真剣な顔で侍女に向き直った。
「疲れた身体を、食事と睡眠で戻すの。訓練する分だけ削る食事では、明日がもたないでしょう」
私が指を一本ずつ折りながら説明すると、ミラは目を瞬かせた。
「あの……お食事と睡眠も、お嬢様にとっては」
「ええ。食事も休養も、訓練というメニューの一部よ。休むことへの罪悪感は、パフォーマンスを落とす最大の敵だわ」
それから数日が経過した。
私は午前中の政務を終えると、中庭に出て『小灯火レップ』を行っていた。
最小出力の《灯火》を十回連続で出し、完全に魔力を遮断して三分間のインターバル(休憩)を取る。これを数セット。
枯渇して倒れるまでやるのは三流だ。私は動きが崩れたら、その時点でその日のメニューを強制終了するルールを自分に課していた。
「――ふぅ。今日はここまでね」
四セット目を終え、これ以上やると経路にブレが生じると判断した私は、きっぱりと魔力を収めた。
その時、館の門を抜けて一台の立派な馬車が中庭に入ってくるのが見えた。王家の紋章が刻まれたその馬車から降りてきたのは、見覚えのある銀髪の青年だった。
「フェリクス殿下……?」
私は思わず目を丸くした。
王立魔導研究院の実務研究者にして、第二王子。王都で私の記録に「要再評価」と書いてくれた彼が、白衣ではなく、動きやすそうな長旅の外套姿でこちらへ歩いてくる。
「突然の訪問を許してほしい、リディア嬢。大魔潮の予報に関連して、ローヴェル周辺の魔力濃度異常を直接観測するよう、研究院から調査任務を帯びてきましてね」
フェリクス殿下はそう言って、穏やかに微笑んだ。
私は慌てて居住まいを正した。彼がここへ来たのなら、私は「魔力二十七でも、これだけ効率的な運用ができるようになりました」と、この数日間の成果を報告しなければならない。
役に立つ数字を出さなければ、きっと見捨てられる。
私は口を開きかけた。
「あの、殿下。私の魔力制御ですが、道中で魔獣に襲われた際にも――」
「前より、少し顔色がいいですね」
私の報告を遮って、フェリクス殿下が唐突に口にしたのは、そんな言葉だった。
「……え?」
「王都の測定室でお会いした時は、どこか無理をして立っているような、青白い顔をしていました。でも今は、血色が良く、姿勢の芯が安定している」
殿下は手袋を外すと、自分の顎に手を当て、私の顔をじっと観察した。
訓練の帳面へ手を伸ばしても、彼の視線は私の顔に残った。
「今日は、きちんと食べましたか? 疲労は溜まっていませんか」
「あ……」
私は返事を探した。成果の数字ならすぐ出せるのに、今日の昼食を尋ねられるとは思っていなかった。
「……はい」
心臓が、自分でも驚くほどドクンと大きく跳ねた。
私は急に自分の顔が熱くなるのを感じて、少しだけ視線を逸らした。
「タンパク質を、しっかり摂りました。疲労も、適正な範囲内で管理しています」
「それは良かった。どうやら君の理論は、自己管理の面でも非常に優れているようだ」
殿下は安心したように笑うと、懐からお馴染みの観測器を取り出した。
「それで、リディア嬢。公式任務の傍らで構わないのですが……君がこの土地で積み上げている『記録』の続きを、私にも見せてもらえませんか?」




