第41話 逃げるのも、鍛えた選択です
東側の引き継ぎを済ませ、後方指令所へ戻った。
通信盤には、外縁村の映像が映っている。白い筋が何本も入り、人影は小さくつぶれていた。足りないところを、現地へ回ったバルド隊長の報告で埋める。
『柵の半分が抜かれました。集合所へ近づかれる前に、第二経路へ移したい』
外縁村は領都から遠く、息継ぎ塔の恩恵も薄い。先行避難の後に残った住民は強化避難所へ集まっているが、建物だけではこの数を防ぎきれないという。
「経路は通れますか」
『先遣班が確認しました。護衛を付ければ、今なら出せます』
私は地図の村名を指で押さえた。守るつもりで補強した柵も、ようやく直した水路も、そこにある。
だが、道が閉じてからでは遅い。
「外縁村の防衛を打ち切ります。全住民を第二防衛線の内側へ。中央の避難所を開けます」
『了解。退避手順第二案へ移ります』
王都の都合で生活の行き先も示さず追い出すことには反対した。だからこそ、今は約束した退路を使わなければならない。
私はハンスへ受け入れ人数を伝え、ティナには担架を回すよう頼んだ。
画面が揺れた。
集合所から人が出てくる。老人を背負った若者と、手を繋ぐ子供たちの姿までは見えた。列の途中で誰かが止まり、後ろの人が腕を伸ばす。何を拾おうとしたのかは分からない。
『荷物は置け! その人を頼む!』
隊長の声の奥に、悲鳴があった。泣き声もあった。
それでも、列は崩れなかった。
『先頭、第一曲がり角を通過』
「中央側の道は空いています。次の誘導員を向かわせました」
『助かります。後衛、二発撃ったら下がれ!』
映像が途切れ、音だけになる。
水弾の音に、走る足音が重なった。私は画面を叩きたくなる手を机へ置き、報告のたびに地図の印を動かす。
『右斜面から来る!』
『俺が止める。三秒で抜けろ!』
ロベルト様の声だった。
東門で手当てを受け、休養を終えた後、後衛の短時間支援に入ったと配置表にある。大技を撃てる状態ではないことも、添えてあった。
戻った映像の端で、細い雷が一度だけ光る。何頭に当たったかは見えなかった。すぐに隊長が交代を呼び、別の術師が前へ出る。
強い魔法で道を掃除するのではない。追う足を遅らせ、人が進む時間を作っている。
画面の中の最後尾が交代するたび、私は掌を開き直した。ここから手を伸ばしても、あの爪には届かない。
先頭が門へ着いたという報告から、最後の一人までが長かった。
担架を通すために列が詰まり、守備隊が左右へ分かれる。砂嵐の向こうで、隊長らしい大盾の影が門の内側へ入った。
『全員、門内!』
直後に画面が白くなる。重い扉の閉じる音と、隊長の荒い息が残った。
『名簿との照合を急ぎます。負傷者はいます。救護を――』
「入口に待機しています。そのまま引き継いでください」
確認が済むまで、私は村の印を消せなかった。
やがてハンスの使いが、出発名簿と受け入れ名簿を持ってきた。数だけでなく、一人ずつ名前を合わせる。全員の印が揃った。
私は指令卓を副担当へ渡し、すぐ隣の受け入れ区画へ向かった。
ロベルト様が、救護係に言われるまま袖をまくっている。訓練班の一人は水筒を持てず、隣の仲間に支えてもらっていた。
「全員、着きました。ここからは救護班に任せてください」
私がそう伝えると、バルド隊長がその場へ座り込んだ。
拍手をする人はいなかった。門の方を見続ける人、泣いている子供を抱く人。持ち出した小さな袋を、開けもせず膝に置いた老人がいた。
「土地を守りきれず、申し訳ありません」
老人はしばらく袋を撫でてから、顔を上げた。
「家内のものを、置いてきました」
生きていれば、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
私には、あの袋に入りきらなかったものの重さが分からない。
「戻れるかどうか、確かめます。危険が残るうちはお連れできません。それでも、なくしたものの話を聞かせてください」
「……今日は、休ませてもらいます」
「はい」
私は受け入れ係に、寝台の場所を頼んだ。
逃げ切った。それは間違いなく、皆が勝ち取った結果だ。失ったものまで、その一言で片づけてはならなかった。
指令所へ戻り、椅子を引いた時だった。
耳元の通信器から、フェリクス様の声が飛び込む。
『リディア、王都から緊急警告です』
顔を上げると、同じ指令所の別卓で、彼が王都回線の鍵を回していた。卓をまたぐ連絡にも通信器を使わなければ、周囲の報告に声が埋もれてしまう。
「殿下、何が起きましたか」
『王冠中枢塔です。ヴァルター局長が旧緊急規程の閾値条項を使った。一極放出の準備に入っています』
私は地図を見た。
村から逃れてきた人たちが、今はこの領都にいる。その足元へ、王都の圧がまとめて押し寄せようとしていた。




