第37話 大魔潮の後も、ここにいますか
【大魔潮まで、およそ三週間。】
四基の息継ぎ塔は、段階試験で定めた交代周期を守って動いていた。
王都から届いた保存食と防寒具は各拠点へ分散し、外縁村の避難所にも通信器と予備の馬車を置いた。増便後に出発した人々も、受け入れ先へ着いている。
今届くのは追加の補強材だ。注文から何週間もかかる分を見込み、最後の予備品を各塔へ配った。新しく依頼しても、もう本番には間に合わない。
王都本隊の派遣状も届いた。ローヴェル防衛中は、現地防衛責任者の交代命令に従う。その一文を、私は各指揮官への受領書に転記した。
やるべきことは減らない。それでも、終わりの形は見え始めていた。
夜、執務室でフェリクス様と遅い夕食を取っていると、彼が王都からの書状を差し出した。
「父上からです。大魔潮後は王都へ戻り、王冠中枢塔の再編を指揮してほしいと」
当然の命令だった。
私は寂しさより先に、彼がすぐ断っていないことへ安堵した。王家の責任を公表した本人が、恋人を理由に後始末から降りれば、ローヴェルのためにもならない。
彼は第二王子で、今回の不正を暴き、新しい運用を作った研究者でもある。王都が手放すはずがない。
「お戻りになるのですか」
平静に聞いたつもりだった。スプーンが皿へ当たり、乾いた音がした。
「まだ返事はしていません。中枢塔の再編には期限を区切って参加します。その上で、ローヴェルに研究院の辺境支部を置く案を提出しました」
「辺境支部……」
「王都から数字だけ眺めていたから、三十六年も異常を見落とした。現地で継続観測する拠点が必要です。これは研究者としての理由です」
「都合のよい逃げ場所にするつもりなら、反対します」
私はあえて厳しく言った。
「王都の再編も、国王陛下への報告も終えてください。あなたが責任から逃げてここへ来たら、私は嬉しくありません」
「分かっています。再編の終了条件と後任の権限を、書面で決めてから移ります。ローヴェル支部も私一人の私室にはせず、現地採用と公開監査を入れる」
恋人だから甘く許すのではない。彼が抱え込みそうなら止め、私が依存しそうなら離す。その話をできることが、未来の約束より嬉しかった。
彼はそこで言葉を切り、私の手に自分の手を重ねた。
「もう一つは、私個人の理由です。大魔潮の後も、私はここに戻ってきたい。君の隣に」
婚約でも、王家の褒賞でもない。
危機が終わった後の日常を、同じ場所で選びたいという約束だった。
「王都でのお仕事が必要なら、行ってください。私も領主代行の仕事から逃げません。でも、帰ってくる場所にローヴェルを選んでくださるなら」
私は、彼の指へ自分の指を絡めた。
「嬉しいです。研究のためだけではなく、私に会いたいから帰る、と言ってくださいね」
「ただ、王都の再編に何か月かかるか、今は約束できません」
以前の私なら、そこで通信の回数と帰還予定日を決めようとしただろう。曖昧な予定は嫌いだ。けれど、災害も人の心も、表に引いた線どおりには動かない。
「毎日通信する、と決めますか」
「いいえ。忙しい日に返事を義務にしたら、私たちは二人とも無理をします。伝えたい時に伝える。危険な時は隠さない。帰れる日が決まったら、最初に私へ知らせる。それで十分です」
「その曖昧さに、君が耐えられるとは思いませんでした」
「恋愛にも休養日は必要だと学びましたので」
記録をやめるのではない。記録に相手を従わせないのだ。離れている時間まで一緒に仕上げるための、私たちなりのフォームだった。
「もちろんです、リディア」
敬称なしで呼ばれると、まだ落ち着かない。人前の「リディア嬢」と違う響きを、もう一度聞きたくなった。
正解を探す代わりに、私は彼の肩へそっと頭を預けた。彼も私の髪へ頬を寄せる。
「今のは、予定表に記録しますか」
「しません。再現しようとして失敗しますから」
私たちは小さく笑った。計時器も手帳も見ないまま、しばらく湯気の消えたスープを眺めていた。
大魔潮の後にも予定は続く。
その一行を、今度は一人で埋めなくていい。




