第36話 役に立つ前から娘でした
【大魔潮まで26日。】
四基連動の安全実証を終えて二日後、父アルノルトがローヴェルへ来た。
親としての訪問は拒まなかった。ただし本家の護衛は門外で待たせ、父にも来訪記録へ署名してもらった。ここは父の別邸ではなく、私が預かる領地だからだ。
執務室には私とセシリア、記録係のハンスがいる。フェリクス様は同席したが、私が求めない限り口を挟まないと約束してくれた。
「私が黙っていれば、伯爵に認めてもらうため無理をしませんか」
面会前、彼はそう尋ねた。
「するかもしれません。ですから、私の呼吸が崩れたら教えてください。答えるのは私がします」
彼はそれだけを引き受けた。
「二人とも、よくやった」
父は謝らなかった。四基の塔と新しい訓練法が王家に認められ、エルフェルト家の名誉も戻った、と語った。
「リディア。技術を本家の騎士団へ移せ。セシリアも連れて帰る。今回の功績なら、お前にはロベルト以上の縁談を用意できる」
父は本家の訓練顧問という役職と、王都の屋敷の部屋まで用意していた。書類の条件は悪くない。俸給も、身分も、世間から見れば破格だった。
けれど、そこにローヴェルの名は一度もなかった。ティナやバルド隊長、記録を積んだ領民の権利もない。私だけを成果ごと買い戻す契約だった。
胸の奥が、ほんの少し温かくなった。
あれほど欲しかった父の承認だ。今さらでも嬉しいと思う自分を、私は否定しなかった。
「認めていただけたことは、嬉しいです」
「ならば――」
「それでも、帰りません」
父の顔から笑みが消えた。
「低燃費訓練の記録は、ローヴェルの領費と王家支援で作った公的成果です。私個人にも、エルフェルト本家にも独占させません。必要なら教官を派遣します。ただし、領主代行である私との正式な契約が必要です」
「父親に契約を要求するのか」
「私は今日まで、成果を出した時だけ娘として扱われてきましたから」
喉が震えた。それでも、視線は逸らさなかった。
「お父様。私は、役に立つ前からお父様の娘でした。魔力二十七と出た日も、その前も。そこを見なかった人に、成果が出た今だけ所有されるつもりはありません」
父は拳を握ったが、声を荒らげる代わりにセシリアへ向き直った。
「お前まで姉に唆されたのか」
「いいえ。大魔潮が終わるまでは、治療と塔の担当者としてここに残ります。国王陛下の一時保護命令も出ています。その後は学院へ戻ります。お父様に褒められるためではなく、私が学びたいからです」
セシリアの声は震えていなかった。
「勝手にしろ。本家からの援助は期待するな」
「もともと、王家の正式叙任までの領主代行権と母方の領費で運営しています。大魔潮後の復旧支援も、王家の補償として契約済みです」
父が自分で切り離した権限は、もう脅しの道具にならない。
私は一度だけ、深く頭を下げた。
「過去を許せるかは、まだ決めません。今後、本家との実務連絡は代理人を通します。親子としては、距離を置かせてください」
父はしばらく私を見ていた。謝罪も罵倒もなく、やがて踵を返した。
馬車の音が遠ざかってから、ようやく膝が震えた。
セシリアが私の反対側の手を取った。
「お姉様。学院へ戻ると言ったこと、怒っていませんか」
「どうして?」
「ここを選ばないと、お姉様を裏切るような気がして」
「あなたを本家から奪うために助けたのではないわ。戻るのも、休暇に来るのも、あなたが決めていいの」
セシリアは泣きそうに笑った。私たちは父の命令へ同じ答えを出したけれど、この先まで同じ道を歩く必要はない。
フェリクス様は「よく言えましたね」と褒めなかった。ただ黙って、机の下で私の手を握ってくれた。
「……嬉しかったんです。認められて」
「ええ」
「でも、戻りたくはありませんでした」
「それも、ええ」
二つの感情を、どちらも間違いにしなくていい。
私は彼の手を握り返し、大魔潮までの予定表を開いた。




