第35話 四基目は、みんなで
【安全実証最終日/大魔潮まで28日。】
ローヴェル領都の地下深く。
迷宮のように入り組んだ古い地下水道の奥に隠されていた『第四の息継ぎ塔』は、想像を絶するほどに複雑で、そして老朽化していた。
三十日間の安全実証、最終日。
今日中にこの第四塔を完全に安定稼働させ、四基すべての連動を証明できなければ、王都への逆流防止という条件は未達となる。大魔潮の第一波まで残り一ヶ月を切った今、失敗すれば、全国魔脈への再接続は見送り、さらに多くの住民を領外へ送らなければならない。
「……右系統の回路、魔力漏れが止まりません! これ以上出力を上げれば、基部ごと吹き飛びます!」
王都から派遣された職人の一人が、煤だらけの顔で叫んだ。
塔の内部は蒸し暑く、全員が汗と埃にまみれている。だが、誰の目にも諦めの色はなかった。
「バルド隊長! 右側の石柱に物理的な負荷がかかっています。守備隊で支えを!」
「応ッ! 第一班、大盾で壁を支えろ! 第二班は崩落に備えて防壁を展開!」
私の指示に、バルド隊長率いる守備隊が即座に動いた。
今回は、私が一人で制御台に向かうわけでも、セシリアの圧倒的な火力だけに頼るわけでもない。この数ヶ月間でローヴェルに根付いた、全員の力の集大成だ。
「セシリア! 王都の精鋭の方々とタイミングを合わせて。出力は全体の六割、一回三十秒。交代を切らさないで!」
「はい、お姉様!」
『第三塔、供給を始めます』
セシリアの声が通信盤から返る。妹は第三塔に残り、現地の交代班と出力を測っている。
こちらの中央陣には、王都の魔術師たちが立った。彼らもセシリアやティナと短い供給を繋ぐ練習を重ね、地下での交代時刻を決めてきた。
「よし、魔力が汲み上がったわ! 訓練班、誘導開始!」
その巨大な魔力のうねりを、今度はローヴェル魔力訓練班の面々――低魔力の若者たちが、数人がかりで精密な回路へと誘導していく。一人が揺れを見つけると、隣が出力を落とす。流れを細かく区切り、確かめながら先へ渡した。
物理的な支柱。大出力の供給。そして、精密な誘導。
全員の力が噛み合い、塔の内部に青白い光が脈打ち始める。
「……残るは、中枢核への最終起動操作だけです」
フェリクス殿下が観測器から顔を上げ、私を見た。
すべての魔力が集束する、塔の最も奥深くにある小さな制御盤。あそこに最後の一押し――極めて繊細で、純度の高い魔力を流し込むことで、塔は完全に目覚める。
ほんの少しでも圧を間違えれば、これまでの全員の努力が逆流して吹き飛ぶ、最も危険で重要な操作だ。
私は深く息を吸い込み、中枢核の前へと歩み出た。
何度も練習した操作だ。私がやるものだと、足が先に動いていた。
……けれど。私は制御盤に手を伸ばしかけて、ピタリと動きを止めた。
「お嬢様?」
不思議そうに私を見るティナの声。
私は振り返り、彼女の目を見た。
魔力が三十五しかなく、治癒術師になる夢を諦めかけていた、薬師の娘。あの時、私と一緒に小さな温熱魔法の反復から始め、今では前線で最も頼りになる治癒の要にまで成長した少女。
「……ティナ」
私は一歩下がり、彼女を手招きした。
「この最後の起動、あなたに任せます」
「えっ!? だ、駄目ですよお嬢様! そんな重要な役目、私なんかがやったら、もし失敗して……!」
激しく首を横に振るティナの肩を、私は両手でしっかりと掴んだ。
「練習用の核では、あなたの方が揺れを小さく抑えていたわ。だから任せたい。針が赤線へ触れたら中止して。失敗を避けるために、止める役も用意してある」
「お嬢様……」
私は遮断用の取っ手へ回った。主役の席を譲ってしまったようで、手持ち無沙汰だった。
ティナが赤線と私の手元を順に確かめ、頷いた。
「……はい!」
ティナが中枢核の前に立つ。
両手を制御盤にかざしたティナは、一度息を吐き直した。計器の針が収まるのを待ち、ゆっくり魔力を通す。
「ふぅぅぅ……っ」
ティナの指先から、ほんのりとした温かい魔力が、中枢核の奥深くへと注ぎ込まれる。
それはまるで、凍りついていた古い機械の心臓を、優しく溶かして目覚めさせるような、極めて純度の高い魔力操作だった。
カチッ。
小さな音がして、中枢核が黄金色の光を放った。
それがトリガーとなり、第四塔のすべての回路が一斉に眩い光の奔流となって脈動を始める。
ズズズズズ……ッ!
地下空間から、地鳴りのような重低音が響き渡った。
排気坑を風が駆け上がり、地上の吹き出し口から低い音が届いた。
まだ、誰も制御台から離れない。通信盤へ各塔の報告が入る。
『第一塔、排気開始。逆流なし』
『第二塔、開弁が二呼吸遅れます』
「次の投入を待って。第二塔の開通を先に確認します」
殿下が合図を留めた。遅れを直した数字が、観測表へ書き足される。
『第二塔、開通。温度は改訂した上限内』
「第三塔、出力六割で安定。セシリアは交代へ」
『第四塔、起動核の反応を維持。王都側への逆流、許容値以下』
定めた観測時間を終えるまで、私も取っ手から手を離せなかった。
最後の針が戻り、殿下が息を吐いた。
「四基連動、成立。三十日分の記録と合わせ、安全実証の完了を報告します」
殿下の声が地下空間に響き渡った瞬間。
数秒の静寂の後、地下の職人と隊員が声を上げ、通信盤からもセシリアたちの歓声が返った。
「やったぁぁぁっ!!」
「俺たちの勝ちだ!!」
埃と汗にまみれた大人たちが、身分も出身も関係なく抱き合い、肩を叩き合っている。
ティナは制御台から崩れ落ちるようにして私に抱きつき、「お嬢様ぁ……っ!」と声を上げて泣きじゃくった。私は「よくやったわね」と、彼女の背中を何度も優しく撫でた。
三十日間の安全実証、完全達成。
私は顔を上げ、少し離れた場所に立つフェリクス殿下と目を合わせた。
殿下は、あの市場の夜と同じように、愛おしそうに目を細めて、深く、深く頷いてくれた。
魔力二十七の令嬢が一人で背負ったのではない。
ここにいる全員が自分の限界を守り、役割をつないで掴み取った勝利だった。




