第31話 恋は、正解を探さない
【大魔潮まで58日。】
「……ダメだわ。パターンKの『相棒としての信頼と恋愛感情を混同しているのでは』という切り返しは、彼の誠実さを疑うようで角が立つ。やはりパターンFの『身分差のリスクを考慮した保留案』を軸にして……」
早朝の自室。
私は充血した目で、机の上に散乱する十二枚の羊皮紙と睨み合っていた。
昨夜、第一塔の上でフェリクス殿下から告白された後。完全にフリーズした私は、「あ、明日お返事します!」と叫んでダッシュで逃げ帰り、そのまま一睡もできずに朝を迎えていた。
そして徹夜で書き上げたのが、この『殿下の告白に対する最適返答案・十二パターン(フローチャート付き)』である。
「お嬢様」
朝食を運んできたミラが、机の上の惨状を見て、地獄の底から響くような深い溜息をついた。
「お願いですから、恋愛を研究発表にしないでくださいと、あれほど言ったではありませんか」
「し、仕方ないでしょう! 殿下は第二王子で、私は魔力二十七なのよ! 将来的な政治リスクや、世間の風聞、それに互いのキャリアプランを論理的にすり合わせてからでないと……っ」
「理屈はもう結構です」
ミラは盆を机の端にドンッと置き、私の目を真っ直ぐに見た。
「理由一覧なんていりません。お嬢様の心はどうしたいのですか?」
「私の……心」
問われて、私は口ごもった。
魔法の訓練では、測って調整すれば、少なくとも次に試すことは決められた。だから私は、前世からずっと、恋愛という不確定なものにも同じようにアプローチしようとしてきた。
でも、違うのだ。
魔法は測れば伸びるが、恋愛は測って正解を探そうとするほど、大切なものを見失って失敗する。
私は小さく深呼吸をして、徹夜で作った十二通りの返答案を束ねた。
そして、それらを暖炉の火の中へ、ためらいなく全て焚べた。
「……ええ。理屈はもう、十分ね」
館の中庭では、定期便で届いた保存食と医療器具の荷下ろしが行われていた。先遣隊から仕事を引き継いだ領の荷役係が、送り状を読み上げている。
フェリクス殿下は、その作業を片眼鏡越しに監督しながら、書類にサインをしている。いつもの仕事中の横顔だった。こちらに気づいた途端、署名する手が止まった。
私は彼に歩み寄り、周囲の目があるのを気にして、彼の白衣の袖をそっと引いた。
「殿下。……少し、よろしいですか」
「リディア嬢? ええ、構いませんが」
殿下は少し驚いた顔をして、私の後についてきた。
荷下ろしの喧騒から離れた、人気のない西側の回廊。朝の冷たい空気が張り詰める中、私は彼に向き直った。
手足が極度の緊張で震えている。心臓は破裂しそうなくらい早鐘を打っている。
けれど、もう逃げない。正解なんて探さない。
「昨日の、お返事です」
私は、震える両手を胸の前でギュッと握り締めた。
政治的なリスクも、魔力の格差も、将来の計画も、一切の理由を付けず。
ただ一文だけで、私の本当の心だけを返す。
「……私も、好きです。フェリクス様」
静かな回廊に、その言葉だけが落ちた。
殿下は、息を呑んで目を見開いた。
彼の手から、持っていた書類の束がバサッと床に落ちる。でも彼はそれを拾おうともせず、ただ信じられないような、そして心の底から安堵したような顔で、私を見つめた。
「……本当、ですか?」
「はい」
「最適化のフローチャートや、政治的な理由一覧による反証は……?」
「全部、暖炉で燃やしてきました」
私が少しだけ恥ずかしそうに笑うと、殿下の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
彼は迷うように手を伸ばし、そして、ぎこちない手つきで、私の震える右手をそっと握った。
恋人として手をつなぐ、温かくて、ごつごつとした指の感触。
「……よかった。私はてっきり、また心拍数のログを取らされるのかと」
「もう! あれは忘れてくださいと言ったではありませんか!」
私たちが顔を赤くして、ポンコツな言い合いをしながら笑い合っていると。
「――フェリクス殿下! 至急のご報告です!」
甘い余韻を切り裂くように、回廊の入り口からバルド隊長の焦った声が響いた。
私たちは慌てて手を離し(殿下は名残惜しそうだったが)、咳払いをして振り返った。
「王都から、早馬です。国王陛下からの正式な回答文書が到着しました!」
「父上から……」
殿下は顔つきを研究者のそれに戻し、受け取った公文書の封を切った。
私もその横から覗き込む。
『王家の責任と補償を全面的に認める。支援は無条件で継続する。ただし――全国魔脈を再接続する前に、四基を一基ずつ段階投入し、逆流の有無を累積記録する三十日間の安全実証を完了すること。最終日に四基連動試験を行う』
「三十日間の、安全実証」
支援を受ける資格試験ではない。王都とローヴェルの魔脈を繋ぎ直しても双方を壊さないための技術条件だ。三十日の間に修復と段階試験を重ね、最終日に四基連動を証明しなければならない。
「さらに、追記がありますね」
殿下が、文書の末尾を指差した。
『フェリクス・アルヴァーンに対し、ローヴェル系統に限る臨時監査権と、最大六時間の緊急停止権を委任する。なお、セシリア・エルフェルトは大魔潮終息まで、治療および塔運用補助のため王家の一時保護下でローヴェル滞在を認める』
「緊急停止権……?」
「旧緊急規程に基づく一極放出にも、私の判断で待ったをかけられます。ただし最大六時間。代わりの運用は現場で確かめ、継続の命令は国王陛下に求めなければなりません」
殿下は文書を閉じ、私を見た。
「つまり、私たちが現場で『別解』を作れなければ、六時間後には再び旧規程が作動するということです」
三十日間の安全実証と、現場で作り出す別解。
文書を押さえる彼の指が、私の指にそっと触れた。これからは、この手を取ったまま難しい話をするのだ。




