第27話 休養日は難しい
「本日の訓練は、これにて終了とします! 全員、解散!」
朝の訓練場に、バルド隊長の声が響いた。
私は目を丸くして、整列していた隊員たちと隊長を交互に見比べた。
「ちょっと待って、隊長。まだ今日のメニューは三分の一も終わっていませんよ。私が何か、フォームの指示を間違えましたか?」
「いいえ、お嬢様。俺たちは絶好調です」
「だったらどうして――」
「お嬢様が休むまで、俺たちも訓練をボイコットするって決めたんです」
隊員の背後から、ティナとセシリアが進み出てきた。
セシリアは腕を組み、私をジトッと睨みつけている。
「お姉様。昨日の夜中、隠れて過負荷訓練をしていたそうですね。人に『休むこともメニューだ』と偉そうに言っておいて、自分だけルールを破るなんてズルいです」
「うっ……」
「というわけで、お嬢様。本日は『完全休養日』です。館の政務もハンスが引き受けると言っておりますので、どうかお部屋でゆっくりお休みください」
ミラが私から訓練用の帳面をひったくり、有無を言わさぬ笑顔で宣告した。
見事なまでの一斉攻撃だった。私が教えた「限界の前に退く」という理論が、まさか私自身を休ませるためのストライキとして機能するとは。
私は苦笑し、両手を挙げて降伏のポーズをとるしかなかった。
とはいえ、いざ「何もしない時間」を与えられても、私の性分がそれを許さない。
自室に戻った私は、ベッドの上でそわそわと足を組み替え、窓の外を眺めては「明日のメニューの構成を……」と無意識に思考を巡らせていた。
コンコン、と扉がノックされ、フェリクス殿下が顔を出した。
彼はいつもの白衣ではなく、少しラフな仕立てのシャツを着ている。
「……リディア嬢。どうやら、君も追い出されたようですね」
「殿下もですか?」
「ええ。王都からの支援物資の受け入れ準備と、昨夜の調査報告書の作成をしていたのですが……ハンスに『殿下も働きすぎです』と、書類を全て没収されてしまいました」
殿下は肩をすくめ、私の向かいの椅子に腰を下ろした。
私はベッドの端を空けかけて、椅子の方を指した。昨夜の話を思い出すと、まだ顔を見ていられなかった。
「どうしますか、教官。このまま部屋で息を潜めて、こっそり魔力制御のイメージトレーニングでもしますか?」
「……いいえ」
私はベッドから立ち上がり、クローゼットから少し明るい色の外出用のショールを引っ張り出した。
「休むのが下手な者同士、強制的に仕事を忘れる訓練をしましょう。領都の中央広場で、ささやかな市場の小さな祭りが開かれていると聞きました。……行きませんか?」
私の誘いに、殿下は少しだけ目を丸くした後、優しく微笑んで立ち上がった。
領都の市場は、王都からの大規模支援が決定したこともあり、以前とは見違えるほどの活気に溢れていた。
色とりどりの天幕が張られ、近隣で採れた木の実や、焼きたての串焼きの匂いが漂っている。私は殿下と二人で、その喧騒の中を歩いた。交代勤務の護衛二人が、私服で十分な距離を空けてついてくれている。
しかし、いざ「デート」のような状況になっても、私たちの会話はどこかズレていた。
「なるほど、この串焼きの肉……炎魔法で表面を焼き固めていますが、魔力の含有量と焼成温度の相関関係を調べれば、より少ない魔力で効率よく火を通せるのでは……」
「殿下、ストップです」
私は、ブツブツと呟きながら手帳を取り出そうとした殿下の手から、サッと革張りの手帳を奪い取った。
「休養日です。研究は禁止ですよ」
「おっと、失礼しました。つい癖で」
殿下が苦笑しながら串焼きを頬張る。
しかし、数分後。今度は私が、広場の中央に組まれたテントの配置を見て足を止めていた。
「あのテントの配置、避難時の動線を完全に塞いでいますね。もし西側から魔獣が強襲した場合、南門への脱出ルートが……」
「リディア嬢」
今度は殿下が、私の腕を軽く引いた。
「動線は係に一言伝えましょう。その後の点検は任せて、君は串焼きが冷める前に食べてください」
「あ……っ、すみません」
腕を引かれた感触に、心臓がトクンと跳ねる。
お互いに「役に立つこと」を考えていないと、どう振る舞っていいのか分からない。そんな不器用でポンコツな自分たちが可笑しくて、私たちは顔を見合わせてフフッと笑い合った。
夕暮れ時。
市場の喧騒から少し離れた高台に、温かい温泉が湧き出す足湯のような小さな休憩スペースがあった。私たちはそこに並んで腰を下ろし、夕日に染まる領都の街並みを見下ろしていた。
風が心地いい。
何もしない時間が、初めて「苦痛」ではなく「穏やか」だと感じられていた。
「……私は今まで、研究成果を出していない時間の自分が、とても嫌いでした」
夕日を見つめたまま、殿下がポツリとこぼした。
「有益な数字を出せない自分には、王宮にいる価値がない。そう思って、寝る間も惜しんで観測機材に向かっていた。休むことは、自分の価値が目減りしていくようで怖かったんです」
彼の横顔は、夕陽に照らされて優しげだった。
彼はゆっくりと顔を上げ、その視線で私を捉えた。
「でも、君とこうして並んで座っていると……」
殿下の声が、一段階低く、甘い熱を帯びる。
「仕事をしていない、何の役にも立っていない時間も……全く、怖くないと思えるんです」
――ドクン。
私の心臓が、本日最大の警報を鳴らした。
それは、常に成果主義であった彼が、初めて私に見せた「成果を必要としない、無防備な好意」だった。告白の一歩手前。あと一言で、私たちの関係は決定的に変わってしまう。
顔が熱い。頭の中が真っ白になる。
どうしよう、どう返せばいい? 可愛らしく微笑む? 私もです、と恥じらう?
極度の緊張とパニックの中で、私の脳内であの忌まわしい『最適対応フローチャート』が暴走を始めた。
「そ、そうですか!」
私はガタッと勢いよく立ち上がり、自分でも引くほどの裏返った大声を出した。
「で、では殿下! この『何もしない時間』が精神衛生に与える有効性を明確に証明するために! 今すぐ私の、この異常な心拍数と血圧のログを記録していただけますか!?」
…………。
数秒間の、完全な沈黙。
甘い空気は、私のトンチンカンな言葉によって木っ端微塵に粉砕された。
私は自分が放った言葉の馬鹿さ加減に気づき、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込みたくなった。終わった。完全に終わった。
殿下は、ポカンと口を開けたまま私を見上げていたが。
やがて、プッ、と吹き出し、肩を震わせて堪えきれないように笑い声を上げた。
「あははっ! 心拍数の、ログ……っ。リディア嬢、君は本当に……っ」
お腹を押さえて笑う彼を見て、私は恥ずかしさで死にそうになりながらも、少しだけホッとしていた。
告白は未遂に終わってしまったけれど。
彼が私を見る時の、その愛おしそうな瞳の熱だけは、私の心に確かな『記録』として刻まれていた。




