第26話 鍛えていれば、考えなくて済みます
住民集会から数日後。
私たちは大魔潮までの限られた時間の中で、急ピッチで残る『息継ぎ塔』の探索と修復作業を進めていた。
領の南側、湿地帯の奥深くで発見された『第三の息継ぎ塔』。
その内部は、第一塔や第二塔と比べても極めて状態が悪かった。天井の一部が崩落しており、中央の制御台には亀裂が走っている。
「……ひどい劣化ですね。少しでも出力の波がブレれば、回路が魔力圧に耐えきれずに自壊するかもしれません」
フェリクス殿下が観測器から目を離し、険しい顔で言った。
私は小さく頷き、制御台に手を置いた。
「慎重にやります。私の魔力二十七の出力なら、回路を傷つけずに限界ギリギリを通せるはずです」
深く息を吸い込み、フォームを作る。
細く、長く。途切れさせることなく、一定の圧力で魔力を注ぎ込む。
順調に開通していく手応えがあった。だが、その時だった。
――ピキッ。
制御台の奥から、嫌な音が響いた。
「リディア嬢、出力を切って!」
殿下の叫びと同時だった。
パーンッ! という破裂音と共に、制御台の側面が弾け飛んだ。
飛び散った石片が、後方のディックの前腕を深く裂いた。
「ぐっ……!」
「ディック!」
ティナが止血し、職人が添え木を当てる。命に別状はないが、腱を傷めており、少なくとも一か月は前線へ戻せないという。
「……私が、反発の兆候を見落としました」
「老朽化が主因です。だが、直前の波形変化を私も君も軽く見た。制御が完璧だったとは言いません」
殿下は事実だけを告げた。共同の判断ミスだった。それでも、魔力を流したのは私だ。
その日の深夜。
私は自室を抜け出し、真っ暗な中庭の訓練場に立っていた。
指先から《灯火》を放ち、それを極薄の障壁へと変換し、また灯火に戻す。その反復を、呼吸が乱れ、肺が焼け付くように痛くなっても、延々と繰り返していた。
「はぁっ……はぁっ……っ!」
筋肉が痙攣し、魔力経路がオーバーヒートを起こして悲鳴を上げている。
私が訓練班の皆に厳命した、「動きが崩れたらその日のセットは終了」という絶対のルール。それを、私自身が完全に破っていた。
分かっている。こんな過負荷訓練に意味はない。ただ自分を痛めつけているだけだ。
それでも、止まれなかった。
結果を出さなければ、価値がない。
私が完璧なコントロールを見せなければ、大魔潮でみんな死んでしまう。私のたった一度の失敗で、隊員の腕が切り裂かれたように。
前世でもそうだった。理不尽な判定で負けた時も、恋人に振られた時も、私はこうしてジムに籠もり、筋肉がちぎれるまでバーベルを上げ続けた。鍛えている間だけは、その痛みに集中している間だけは、自分が無価値だという恐怖を考えずに済むからだ。
「お嬢様!! 何をしているのですか!!」
不意に、暗闇の中から鋭い声が響いた。
ミラだった。彼女は寝巻きにショールを羽織っただけの姿で、血相を変えて訓練場へ飛び込んできた。
「離れて、ミラ。まだ、まだ今日のセットが……っ」
「いい加減にしてください!」
ミラが強引に私の腕を掴み、魔力の展開を強制的に中断させた。
「休むことも訓練の一部だと、隊員の皆に教えたのはお嬢様自身でしょう! それなのに、どうしてご自分をそんなに痛めつけるのですか!」
「私が完璧じゃないから! もっと正確に流せるようにならなければ、また誰かが怪我をするわ! 私が守らなきゃいけないのよ!」
私が声を荒らげると、ミラの背後から、足音が近づいてきた。
手の中で小さな光球を灯したフェリクス殿下だった。彼もまた、私の異常な魔力の波形を感じ取って駆けつけてくれたのだろう。
「……リディア嬢」
殿下の静かな声を聞いた瞬間、私の膝から完全に力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
冷たい土の上に座り込みながら、私は震える両手で顔を覆った。
「……怖いんです」
格好をつける言葉が、もう出てこなかった。
「私が間違えたら、皆が死ぬ。私が完璧でなければ、この土地は守れない。自分が無価値だと証明されてしまうのが、怖い……っ」
魔力二十七という数字だけで切り捨てられた私が、ようやく見つけた「役に立てる場所」。それを失う恐怖が、私を限界まで追い詰めていた。
ザッ、と音がして、殿下が私の隣の土の上に、ためらいなく片膝をついた。
「……リディア嬢」
彼は、顔を覆う私の手首をそっと掴み、優しく引き剥がした。
暗闇の中、彼は私から目を逸らさなかった。
「私も、同じです」
「殿下……?」
「兄と比べられ、役に立たなければ王宮に居場所がないと、ずっと一人で全てを抱え込もうとしてきました。……鍛えていれば、研究していれば、その恐怖から目を逸らすことができる。私たちは、似た者同士ですね」
殿下の告白に、私は息を呑んだ。
彼もまた、私と同じ弱さを抱えていたのだ。
「リディア嬢。君は一人で全てを背負う必要はない。君が育てたティナも、バルド隊長も、そして私もいる。もっと、私たちを頼ってください」
「でも、私が……」
「君が教えてくれたのでしょう? 限界が来る前に退き、仲間に任せるのが、一番しぶとい戦い方だと」
その言葉に、私はハッとした。
そうだ。私は一人で戦うために、訓練班を作ったわけではない。
涙が込み上げてきて、私は何度も、何度も頷いた。




