第20話 天才にもフォームは必要です
扉の向こうから、低い呻き声がした。私は客室の扉を勢いよく開け放った。
「セシリア!」
部屋の中に飛び込んだ瞬間、バチッ、と肌を刺すような静電気の痛みが全身を走った。
空気が歪んでいる。大気中の魔力濃度が、この部屋の中だけ異常な数値に跳ね上がっているのだ。
その中心。天蓋付きのベッドの上で、セシリアがシーツを固く握りしめ、丸くなって震えていた。
「お姉、様……っ」
彼女は顔を上げ、私を見てボロボロと大粒の涙をこぼした。
その青白い顔は苦痛に歪み、金糸の髪は汗で額に張り付いている。彼女の周囲には、青白い魔力のスパークが不規則に弾けており、今にも大爆発を起こしそうな危険な状態だった。
「ごめんなさい、お姉様……私が悪かったの。お父様と一緒に、お姉様を見下しているって……そう思われても仕方ない態度をとって……!」
「セシリア、喋らないで。魔力経路がショートしかかっているわ!」
「怖いよ……頭が割れそう……助けて、お姉様……っ!」
泣きじゃくる妹の姿に、私の胸は激しく締め付けられた。
学院の予備測定で容量824。大きな器を、痛みがあっても満たし続けていた。大魔潮が近づき、環境魔力が濃くなっている今、彼女の大きすぎるタンクは周囲の魔力を過剰に取り込み続け、限界を迎えていたのだ。
父の期待に応えるため、誰にも弱音を吐けずに、一人でどれほどの痛みに耐えてきたのだろう。
「あなたは何も悪くない。私もごめんなさい、あなたの苦しみに気づいてあげられなかった。……もう、強がらなくていいのよ」
私はベッドに駆け寄り、暴走しかけている魔力のスパークに肌を焼かれながらも、彼女の背中を強く抱きしめた。
ビクッ、とセシリアの体が大きく跳ねる。
「泣いていてもいいから、息は止めないで。今、少しだけ圧を逃がすわ」
私はミラへ窓を開け、殿下を呼ぶよう頼んだ。妹の呼吸に合わせ、背中へ置いた手の力を緩める。
セシリアは大魔法の制御を学んでいる。けれど、魔法を撃たずに余分な圧だけを逃がすやり方は、教わっていなかった。
「背筋を伸ばして。肩の力をストンと抜くの」
「う、うん……っ」
「息を止めないで! 深く吸って、肋骨を広げる。そして、細く長く息を吐き出しながら、その息に乗せて、余分な魔力を少しずつ外へ逃がすのよ」
私は彼女の背中に手を当て、強張っている筋肉を物理的に解しながら、魔力の排出経路をナビゲートした。
私の魔力27という極小の出力を使って、彼女の膨大な魔力流の「道案内」をするイメージだ。
「大出力で全部を出そうとしないで。指先の一点だけを開いて、安全な熱に変えて放出するの。そう、ゆっくり……」
セシリアが私の指示通りに深く息を吐き出すと、彼女の指先から、バチバチと暴れていた青白いスパークが、柔らかな赤い温熱の光へと変換されて放たれ始めた。
体内に溜まりすぎていた過剰な魔力圧が、ゆっくりと、しかし確実に外へと排出されていく。
「はぁっ……ふぅっ……」
セシリアの呼吸が、次第に規則的なリズムを取り戻していく。
部屋の中に充満していた、肌を刺すような重い空気が薄れ、歪みが消えていくのが分かった。
やがて数分が経過し、完全に魔力が安定したことを確認して、私はセシリアから手を離した。
「いったん止めるわ。息はできる?」
「あ……」
セシリアは自分の両手を見つめ、信じられないというように何度も瞬きをした。
「少し、軽い……。まだ痛いけれど、息ができます」
彼女はベッドにへたり込み、安堵の涙を流した。
そこへ、ミラの知らせを受けたフェリクス殿下とティナが観測器を抱えて駆け込んできた。殿下はセシリアの魔力波形を測り、暴発域からは下がったが経路の炎症は残っていると告げた。
「三日は魔法禁止です。医師の診察も受けてもらいます。今のは治癒ではなく、危険な圧を逃がしただけです」
私が言うと、セシリアは素直に頷いた。
私はベッドの脇に腰を下ろし、汗ばんだ彼女の髪を優しく撫でた。
「セシリア。あなたの予備測定値824は、本当に素晴らしい才能よ。でも、大出力には『制御』を足さなければ、ただ自分と周りを傷つけるだけの暴走機関車になってしまうわ」
「……はい」
「これからは、痛い時は痛いと、休みたい時は休みたいと、ちゃんと言うこと。それが、魔法を安全に使うための第一歩よ」
私の言葉に、セシリアはゴシゴシと乱暴に涙を拭い、真っ直ぐな目で私を見つめ返した。
それは、父の顔色を窺う人形のような少女の目ではなく、一人の等身大の女の子の目だった。
「お姉様」
セシリアはベッドの上に正座し、私に向かって深く、深く頭を下げた。
「私を……助けてくれて、ありがとうございます。私、王都では誰も本当の苦しみを分かってくれなくて、お姉様だけが頼りだったの」
「顔を上げて、セシリア」
「お願いします、お姉様。私に……魔法の本当の使い方を、教えてください。私も、お姉様みたいに強くなりたい」
震える声での、切実な願い。
魔力27の落ちこぼれが、予備測定値824の天才から教えを請われている。王都の貴族たちが見たら、狂気の沙汰だと笑うだろう。
だが、私にとっては、ようやく手に入れた「妹との本当の繋がり」だった。
「……ええ、いいわよ。ただし、私の『ローヴェル魔力訓練班』のメニューは、早く上達したいからと、勝手に回数は増やせないわよ。まず三日、ちゃんと休める?」
「はいっ!」
妹が頷いた。私は毛布を掛け直し、ティナへ水を頼んだ。教えるのは、眠れた後でいい。




