第2話 水晶が見ていないもの
婚約を破棄され、領主代行という名目で辺境ローヴェルへの放逐を宣告されたその夜。
私は自室のベッドに腰掛け、右手の指先に小さな火の玉を灯していた。基礎魔法である《灯火》だ。
ふう、と細く息を吐く。
成人判定は二十七。変えるのは、この数字ではなく使い方だ。前世でバーベルを扱った時のように、まず余分な力みを抜いてみる。
(姿勢を変えたら、流れも変わるかしら)
目を閉じ、指先へ流れる魔力を探る。
最初は、ただ力任せに出力していたせいで、すぐに指先が熱くなり、息切れのような疲労感に襲われた。だが、肩の力を抜き、呼吸と魔力の流れを同調させ、余分な経路を遮断して「必要なだけの魔力」を送り出すフォームに修正していく。
「……よし」
目を開ける。
指先の《灯火》は一回り小さくなった。まだ揺れるが、さっきほど熱くない。肩を上げるとまた熱を持つので、下ろしてやり直した。
砂時計の砂が落ちきる。三分。いつもは途中で消えていた灯りが、今日は残っていた。私はそこで手を下ろした。まだ出せそうでも、初日の試しで限界を探る必要はない。
翌朝。
私は父アルノルトに連れられ、再び王立魔導研究院の測定室を訪れていた。
父は、昨日の結果を「水晶の故障によるものだ」と強弁し、再測定を要求したのだ。エルフェルト家の名誉に傷がつくことを何よりも恐れているらしい。
だが、測定室で私たちを待っていたのは、昨日の事務的な測定士ではなく、上質な白衣を羽織った見慣れぬ青年だった。
色素の薄い銀糸の髪に、理知的な深い青の瞳。歳の頃は二十代半ばだろうか。長身で、どこか浮世離れした静謐な空気を纏っている。
「お待ちしておりました、エルフェルト伯爵。本日の再測定は、私が担当いたします」
「殿下……! なぜ、第二王子殿下がこのような末席に」
父が慌てて頭を下げるのを見て、私は目を丸くした。
この青年が、フェリクス・アルヴァーン。この国の第二王子。
王位継承順位は低いと聞いているが、彼は政治の表舞台に立つよりも、研究院で実務研究者として活動しているという噂だった。
「気になさらず。魔力測定と魔脈観測は私の専門分野ですから。機材の不調が疑われると聞いて、興味が湧きましてね」
フェリクス殿下は穏やかに微笑むと、私の方へ視線を向けた。私より先に水晶の台座を確認し、記録用紙を置く。あの数字を知っていても、測り直す手順を省かない人だった。
「リディア嬢。早速ですが、もう一度水晶に手を」
「はい」
私は静かに台座の水晶に手を置いた。
昨晩掴んだ「無駄のないフォーム」を意識し、静かに魔力を流し込む。
水晶が淡く発光し、やがて数値が空中に浮かび上がった。
『27』
結果は同じだった。
父がギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「……やはり、無能は無能か。殿下、お手を煩わせて申し訳ありませんでした。機材の故障ではなかったようです」
父は忌々しげに吐き捨て、踵を返そうとした。
だが、フェリクス殿下は水晶を見つめたまま、微かに眉を寄せていた。
「少しお待ちを。リディア嬢、あなたは今、水晶に魔力を流す際、妙な制御をしませんでしたか?」
「え……?」
「容量の数値こそ二十七のままですが、水晶に流れ込む魔力の波形が、極めて……いや、異常なほど静かでした。測れる範囲では、漏れがほとんどない。リディア嬢、ここで一番小さな《灯火》を出してみてください」
殿下の言葉に、父が怪訝な顔をする。
私は言われた通りに右手を前に出し、昨晩練り上げたフォームで《灯火》を発動させた。
指先に、ブレのない小さな火が灯る。
殿下は白衣のポケットから、片眼鏡のような小型の観測器を取り出し、私の指先の火を覗き込んだ。殿下は観測器を一度外し、目盛りを調整してから覗き直した。
「……もう一度、同じ出力で。これは意図的にやっているのですか?」
「はい。無駄な放出経路を絞り、呼吸に合わせて必要最小限の出力だけを維持しています。私は魔力の総量が少ないので、消費効率を良くするしかありませんから」
私が淡々と答えると、殿下は観測器を下ろし、ふっと嬉しそうに口角を上げた。
「信じられない変換効率だ。一般的な貴族がこの《灯火》を維持するのに使う魔力量に比べて、あなたの消費量は数分の一以下に抑えられている。これなら、容量が二十七でも、平均的な魔力保持者よりも長く魔法を行使できるはずだ」
「殿下! 何を仰るのですか」
父が苛立たしげに口を挟んだ。
「総量が変わらないのであれば、ただの誤差、小手先の誤魔化しに過ぎません。小細工をしたところで、大魔法が撃てない無能であることに変わりはないでしょう」
父の言葉は、この世界の絶対的な価値基準だった。
だが、フェリクス殿下は首を横に振った。
「違います、伯爵。公式の評価が長年『容量』と『瞬間出力』だけに偏りすぎているのです。学院でも軍でも、大きな火球を放てる者ばかりが評価される。結果として、低魔力者ほど高度な教育を受ける前に足切りされ、研究設備からも遠ざけられてきた」
殿下によれば、治癒師や職人の工夫はあっても、高価な記録器具で比較する機会が乏しかったという。論文の審査へ進めない例も多いらしい。
「リディア嬢の行っている低燃費の制御は、決して苦し紛れの言い訳などではない。これは、新しい技術体系の萌芽になり得るものです」
そう言うと、殿下は手元の公式記録用紙に羽ペンを走らせた。
『容量27。ただし、極めて特異な高効率制御を観測。要再評価』
「なっ……! 殿下、そのような見苦しい但し書きは消してください! エルフェルト家の記録に、そのような言い訳がましい文言が残るのは――」
「お断りします」
殿下は、父の言葉を冷たく遮った。
「これは王立魔導研究院の公式記録です。私は観測した事実しか書きませんし、何者にも消させるつもりはありません」
ピシャリと言い放たれた言葉に、父は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
私は記録用紙を見た。父が消せと言っても、但し書きは残っている。二十七の隣に、初めて別の言葉が置かれた。
「リディア嬢」
記録用紙を片付けた殿下が、私に向き直る。
その瞳には、隠しきれない研究者としての熱が帯びていた。
「あなたは今日、ローヴェル領へ発つと聞いています。ですが……もしよければ、出発までの間、もう少し君の魔法の『記録』を見せてはくれませんか?」




