↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/45

第1話 魔力二十七

「魔力二十七です」


 王立魔導研究院の冷えた測定室で、水晶が頼りなく明滅し、すぐに光を失った。


 二十七。


 未成年の予備測定なら、父はまだ「成人までに伸びる」と言えた。けれど、今日は十八歳の成人魔力判定だ。婚姻契約にも相続手続きにも使われる、法的な確定値だった。


 貴族の平均は三百前後。昔から低かった私の魔力が、最後に奇跡を起こすことはなかった。


「……信じられん。何かの間違いではないのか」


 背後で、エルフェルト伯爵である父アルノルトが低く唸った。その声には隠しきれない落胆と、私への苛立ちが滲んでいた。


 私は台座から手を離し、俯いた。視線の端に、付き添いとして来ていた十六歳の妹、セシリアのドレスの裾が見えた。


 彼女の魔力は、王立学院の年次予備測定で『824』を記録している。


 まだ未成年であるため法的効力はないが、誰もがその圧倒的な才能を疑っていない。父が誇る自慢の娘。それに引き換え、私は。


(お姉様と違って、セシリアは素晴らしいわね)


 社交界の囁きが蘇る。妹の才能も、父からの寵愛も妬ましかった。そう思う自分まで嫌いになり、私は唇を噛んだ。


「お父様、お姉様は……」


 セシリアが前に出ようとした。彼女はちっとも笑っていなかった。むしろ、不安げに私を見つめ、何かを弁護しようとしてくれているようだった。


 だが、父はそれを冷たく手で制した。


「口を挟むな、セシリア。お前は学院の首席なのだ、この程度の数字に心を乱されるな」


 父の言葉が、私の心に決定的な刃を突き立てた。私はもう、庇う価値すらない存在なのだ。


 追い打ちをかけるように、固い靴音が響いた。婚約者である侯爵家嫡男、ロベルトだった。彼は美しい金糸の刺繍が施された外套を翻し、一歩前に進み出た。その手には、見覚えのある羊皮紙が握られている。私たちの婚約契約書だ。


「リディア嬢。残念だが、君個人を責めるつもりはない。だが、侯爵家として二十七という数字を受け入れるわけにはいかない」


 ロベルトの声には一切の感情がこもっていなかった。


 契約書には明確に記されている。『成人判定が百五十未満であった場合、双方から婚約を解消できる』と。


「婚約は解消だ。君には将来性がない」


「……はい」


 私は掠れた声で同意するしかなかった。ロベルトは決して悪辣な男ではない。彼もまた、家の利益と数字という絶対的な評価基準に従っただけだ。


 崩れ落ちそうになる膝を必死に堪えていると、父が冷え切った視線を私へ向けた。


「エルフェルト家にとっても、お前には落胆させられた。だが、今日でお前も成人だ。法的に大人になったのだから、自分の責任は自分で負え」


 父の言葉の意味が分からず、私は顔を上げた。


「亡き母エレナの実家、ローヴェル男爵領。お前が未成年の間、私が後見人として管理していたが、その期間は今日で終わる。第一継承者はお前だ」


 ローヴェル。王都から遠く離れた、寂れた辺境の地。


 魔獣の脅威に晒され、まともな産業もない不採算領。


「今日付けで管理権を移す書状も用意した。明日から、王家の正式叙任まで領主代行として赴任しろ。守備隊と領費を使い、領地を整理しろ」


 王冠魔導局の公式予測では、大魔潮は一年後。三か月前から段階的に退避すれば間に合う――父はその説明を疑っていない。私を殺す気はないのだろう。ただ、価値のない娘に赤字領地の始末を負わせ、本家から切り離したいのだ。


「……お父、様……」


 喉の奥から惨めな声が漏れた。婚約者にも父にも、二十七という数字だけで捨てられた。


 視界が滲み、膝から力が抜ける。


 ――そのはず、だった。


『泣いて、筋肉がデカくなるの?』


 不意に、脳の奥底から全く別の声が響いた。


 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。


 刹那、濁流のような記憶が私の意識を呑み込んだ。


 重いバーベルの冷たい感触。


 筋肉が焼け付くような痛み。


 グラム単位で計算された鶏胸肉とブロッコリーの味。


 大会前、体調を崩さないぎりぎりで食事と水分を調整した日々。


 ステージの眩しいライト。その数分に合わせ、何か月も記録を取り、最後の一週間で疲労、食事、水分、休養を整える『ピーキング』。


 プロボディビルダー兼ボディメイクトレーナー、黒瀬玲奈。


 三十一歳で事故死した彼女の記憶と執念が、リディア・エルフェルトの惨めな感情と完全に統合された。


 泣いても状況は変わらない。失恋も理不尽な判定も、私は数値と反復へ変えてきた。


 感情を、次の一回へ変換しろ。


 私は、石の床に向かって落ちかけていた膝にグッと力を入れた。大腿四頭筋に意識を集中し、骨盤を立てて姿勢を正す。無駄のない型で立ち上がると、視界のブレが止まった。


 頬を伝っていた涙を、ドレスの袖で乱暴に拭い去る。


 私の急な変化に、父もロベルトも、測定士も怪訝な顔をしていた。


「……一つ、よろしいでしょうか」


 私は、泣き濡れた顔のまま、冷静な声で測定士に尋ねた。


「この水晶が測定しているのは、要するに『魔力のタンクの大きさ』と『一度に出せる瞬間的な量』だけ。そういう認識で間違いありませんか?」


「は、はい。魔力容量と瞬間出力。それが公式な魔力評価の全てですが……」


「そう。分かりました」


 私は小さく頷いた。


 容量と瞬間出力。要するに、生まれ持ったバルクの大きさと、一発の挙上重量しか見ていないということだ。


 ならば、話は早い。


 総量が足りなくても、動きの無駄を削り、回復まで管理すれば結果は変わる。


「リディア? 何を言っている……」


 ロベルトが眉をひそめる。父も不快げに私を見下ろしていた。


 私は彼らを見返し、まだ涙の残る目で言った。


「ローヴェル領主代行の任、謹んでお受けいたします。お父様、ロベルト様。私は、この水晶が測っていない場所で勝ちます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。