第17話 休むところまでが訓練です
「……痛っ」
訓練場の隅で、若い隊員が右腕を押さえてうずくまっているのを、私は視察の途中で見つけた。
急いで駆け寄ると、彼の腕は熱を持ち、魔力経路が集中する前腕のあたりが赤く腫れ上がっている。
「どうしたの? 魔力が暴走したの?」
「い、いえ……その……」
彼は気まずそうに視線を泳がせた後、小さな声で白状した。
私が毎日、長時間の反復練習を行っている姿を見て、自分ももっとやらなければと思い、昨日から指定されたメニューの倍以上の回数を隠れてこなしていたらしい。経路に負荷が集中し、腕が動かしにくくなったという。
「馬鹿者! あれほど指定された回数を守れと言っただろうが!」
駆けつけたバルド隊長が怒鳴りつけるが、私は彼を手で制し、ティナを呼んで患部の冷却と温熱魔法による治癒を指示した。
「怒らないでください、隊長。……彼が悪いのではありません。私の責任です」
「お嬢様の? ですが、お嬢様はきちんと回数の上限を指定されていましたよ」
「ええ。ですが、私自身がその『休む姿』を彼らに見せていなかった」
前世のジムでも、選手の重い一回だけを真似する初心者がいた。食事や休みの時間は、動画の外だ。私も、練習する姿ばかり見せていた。
「量が多いほど偉い」「休むことはサボりだ」
そんな王都の軍隊のような根性論を否定しておきながら、私が毎日ストイックに魔法を使い続けていたせいで、無意識のうちに彼らに「本当はもっとやった方がいいんだ」という誤ったメッセージを与えてしまっていた。
その日の午後、私は魔力訓練班の全員を中庭に集めた。
「昨日の疲れを残したまま回数を増やせば、今日の負担が重なります。回復する時間も、予定に入れてください」
「休むための、予定……」
「そうです。だから、休むことはサボりではなく、強くなるための必須プロセスです。今日から、これまでのメニューの『上限』を絶対に超えないこと。そして、週に二日は魔法を一切使わない『完全休養日』を制度化します」
私の宣言に、隊員たちは顔を見合わせた。
休みを予定表へ先に書くやり方は、彼らには馴染みが薄いらしかった。
「でも、お嬢様は毎日訓練しているじゃないですか。俺たちだけ休むなんて……」
怪我をした若手隊員が、包帯を巻かれた腕をさすりながら申し訳なそうに言った。
私は彼に向かって、はっきりと頷いた。
「ええ。ですから、私も休みます」
「え?」
「休養日には、私も絶対に訓練場へ立ち入りません。魔法を一切使わず、散歩や読書をして過ごします。……教官がルールを守らなくては、示しがつきませんからね」
そう。「休む姿を見せること」もまた、彼らを導くための重要な指導の一部なのだと、私は理解した。
そして迎えた、初の『完全休養日』。
私は宣言通り、訓練場には近づかず、領主の館の図書室にこもっていた。
古い歴史書を広げてはいるものの、内容は全く頭に入ってこない。
「……落ち着かないわね」
私は本を閉じ、小さく溜息をついた。
前世からずっと、私は常に「課題」を見つけ、それを解決するための「記録」で頭を埋めていないと不安になる性質だった。
今日一日の魔力消費量。明日のメニュー。大魔潮までの残り日数。
そうした数字の羅列から離れ、何も生産していない時間を過ごすのは、極限の減量中に目の前にケーキを置かれるよりも精神的な苦痛を伴った。
(鍛えていれば、余計なことを考えずに済むのに)
例えば、父から求められた成果のこと。
セシリアの頭痛のこと。
そして――フェリクス殿下への、この厄介な感情のこと。
窓の外を眺めながら指先を弄っていると、コンコンと図書室の扉がノックされた。
「入室してもよろしいですか、リディア嬢」
顔を出すと、そこにいたのは、まさに私が頭から追い出そうとしていたその人だった。
フェリクス殿下は、いつもの白衣ではなく、仕立ての良い紺色の私服姿だった。王都への定期的な調査進捗の報告を終え、一段落したところらしい。
「殿下。もちろん構いませんが、今日は……」
「ええ、知っています。今日は訓練班の『完全休養日』ですね。実は私も、今日は王都との通信を終えて非番なのです」
殿下は苦笑しながら、私の向かいの席に腰を下ろした。
「ですが、いざ休めと言われても、どうやって休めばいいのか分からなくて。つい、観測データの整理をしたくなってしまう。どうやら私も、何もしない時間が苦手なようです」
「……奇遇ですね。私も今、無性に小灯火レップをやりたくて堪らないところです」
私が正直に告白すると、殿下は声を上げて笑った。
「やはり。君もそうだと思いましたよ。常に結果を求められ、役に立つことでしか自分の居場所を確かめられない。そういう生き方をしてきた人間は、休養日という『役に立たない時間』の使い方が下手だ」
その言葉は、私の胸の奥の、一番柔らかい部分にスッと入り込んできた。
殿下も、非番なのに研究の話を始めた。休んでいる間に何かを失うようで落ち着かないのだろうか。理由はまだ聞いていないが、その手つきには見覚えがあった。
「リディア嬢」
殿下は立ち上がり、私に向かってスッと右手を差し出した。
「休むのが下手な者同士、少し外の空気を吸いに行きませんか? 領都の市場で、何か甘いものでも買って……魔法も記録も忘れて、ただの散歩をしましょう」
差し出されたその手は、魔力経路を測る時の冷たい指先ではなく、とても温かそうに見えた。
私は少しだけ躊躇った後、小さく深呼吸をして、その手を取った。




