第13話 戻ってこられる魔法
「……というわけで、昨日の測定時における私の心拍数の異常なスパイクは、カフェインの過剰摂取や、不慣れな姿勢による自律神経の乱れと酷似しており、決して心理的な動揺によるものではないと推測されるわ」
爽やかな朝の光が差し込む自室。
私は姿見の前で、領主代行としての動きやすいドレスに着替えながら、背後に立つミラに向かって早口でまくし立てた。
「あの状況下における交感神経の優位性は、プレワークアウト・サプリメントを摂取した後の状態に近くて……つまり、これは私の感情のバグではなく、極めて生理学的な反応だと言えるのよ」
「お嬢様」
私の背中のリボンを結んでいたミラが、ふうっと深い深い溜息を吐いた。
「どう理屈をこね回しても、それは『恋』です。殿下の冷たいお手に触れられて、心臓が爆発しそうなくらいドキドキしたという事実を、素直に認められたらいかがですか?」
「ち、違っ……!」
図星を突かれ、私は鏡に映る自分の顔がボンッと赤く染まるのを見た。
昨日のことを説明し直せば、昨夜より恥ずかしくなくなるはずだった。ミラの顔を見る限り、その試みは失敗している。
「い、いいの! とにかく、昨日のは想定外の事態だったからエラーを起こしただけよ。今日から始まる『ローヴェル魔力訓練班』の初演習では、私は冷徹で完璧な指導者としての顔を被るわ。感情を完全にコントロールしてみせる」
「はいはい。殿下がお見えになった途端に、また変な言葉使いにならないよう気をつけてくださいね」
ミラの的確すぎる忠告に耳を塞ぎつつ、私は気合を入れるために自分の両頬をパンッと叩いた。
大魔潮まで、残り約二百四十日。
恋愛の最適化などにリソースを割いている暇はないのだ。
領都の外れに急造された演習場。
そこには、バルド隊長をはじめとする十数名の『魔力訓練班』のメンバーが整列していた。
全員の顔には、新しい訓練への期待と、少しの緊張が入り交じっている。隊列の少し離れた場所には、機材をセッティングし終えたフェリクス殿下の姿もあった。
彼と目が合い、ふわりと微笑みかけられて一瞬心臓が跳ねたが、私は奥歯を噛み締めて表情筋を固定し、真っ直ぐに隊員たちの前へと歩み出た。
「おはようございます。これより、魔力訓練班の第一回実戦演習を開始します」
私が凜とした声で告げると、隊員たちの背筋がスッと伸びた。
「皆さんの前方には、厚い木の板で作られたダミーの標的が複数設置されています。これらを魔獣に見立て、私が組んだグループごとに前進し、魔法で攻撃を行ってもらいます」
私の説明に、若手隊員の一人が自信ありげに前に出た。
「お任せください、リディアお嬢様! 俺の最大火力の火球で、あの的を木っ端微塵にしてみせますよ!」
「減点一です」
「えっ!?」
鼻息の荒い若手隊員に対し、私は冷ややかな声でバッサリと切り捨てた。
「今日の演習は、的を壊した数や、魔法の火力を競うものではありません。むしろ、最大火力で一発撃って魔力を枯渇させた者は、その時点で落第とします」
隊員たちがざわめいた。
「一発で倒れた兵は、二発目を撃てません。採点するのは、退く、休む、戻る。この三つです」
私の言葉に、バルド隊長と、最後列にいたティナが深く頷いた。
「では、第一グループ、前へ。演習開始!」
私の号令で、演習がスタートした。
先ほどの若手隊員が的に向かって駆け出し、中規模の火球を放つ。ドォンと音がして的に焦げ跡がつくが、彼はその一発で肩で息をし始めた。それでも見栄を張り、二発目を無理やり絞り出そうとして――動きが崩れ、魔力が暴発して膝をついた。
「そこまで。後退しなさい。あなたは限界管理が全くできていません。インターバルを十五分取ってから再測定です」
「くそっ……」
悔しそうに下がる若手隊員。
次に前へ出たのは、ティナとバルド隊長のグループだった。
ティナは、先日私が教えた通りの完全にリラックスしたフォームで、的に向かって小さな光弾を連続して放つ。一発の威力は低いが、的に着実にダメージを蓄積させていく。バルド隊長もまた、自身の古傷に負担をかけない無駄のない動きで、剣に薄い魔力を這わせて的を斬りつけた。
そして数回の攻撃の後。
ティナの呼吸が僅かに乱れかけた瞬間、彼女はピタリと攻撃を止めた。
「後退します!」
自らそう宣言し、ティナは的から距離を取り、安全地帯として設定されたラインの後ろまで下がった。バルド隊長もそれに続く。
二人はそこで用意されていた水差しから水分を摂り、私が教えた『肋骨を広げる深呼吸』を数回繰り返した。
休憩欄へ時刻を入れる。二人は的の前へ戻ることを急がず、水差しを次の班へ渡した。
三分後、ティナが手の熱を確かめた。隊長の札は五分なので、まだ休養線に残っている。
「魔力、経路の熱が引きました。再投入します!」
息を吹き返したティナが、澄んだ瞳で再び前線へと飛び出していき、先ほどと同じ安定したフォームで魔法を放ち始めた。
「ティナ、再投入を。隊長はあと二分、そのままでお願いします」
休むことをためらっていた隊員たちの目つきが変わった。一人が下がれば次が出る。三巡しても的の前は空かず、最初に大火球を撃った若者だけが、まだ再測定を待っていた。
フェリクス殿下は三巡分の出力線を重ね、途切れがないことを確認すると、王都向け報告書の最上段へその図を貼った。
殿下が私に向かって、あの眩しい笑顔を向けた。
ドクン、とまたしても心臓が跳ね上がる。
いけない、感情をコントロールするペルソナが剥がれそうになる。私は必死に平常心を装い、口を開いた。
「え、ええ。当然ですわ。筋肉……いえ、部隊もオールアウト(完全疲労)させないことが重要ですから。計画的な休養こそが、最大のパフォーマンスを生むのです」
またしてもおかしな単語が混じってしまったが、殿下はクスリと笑って「オールアウト、ですか。面白い表現ですね」とメモを取ってくれた。彼のその優しさに、私はますます自分が熱を出したようにポンコツになっていくのを感じていた。
演習が順調に進み、終盤に差し掛かった頃。
ふと、演習場の入り口付近がざわついた。
見れば、王家の紋章ではない、しかし見覚えのある豪奢な装飾が施された馬車が停まり、中から数名の貴族らしき一団が降りてくるところだった。
王都からの視察団だろうか。
その集団の中心に立ち、泥臭く「退いては休む」を繰り返している私たちの訓練を、まるで滑稽な見世物でも見るかのように冷ややかに見下ろしている若い男。
金糸の刺繍が入った上等な外套。
傲慢さを隠そうともしない、整った顔立ち。
「……ロベルト様」
魔力27という数字だけを見て、私に見切りをつけ、婚約を破棄した男。
侯爵家嫡男、ロベルト・クロイツが、忌まわしい過去の象徴のようにそこに立っていた。




