第11話 ローヴェル魔力訓練班
大魔潮まで、残り約八ヶ月(二百四十日)。
フェリクス殿下が再計算で弾き出したその数字は、私が想定していた最終調整のスケジュールを根底から覆すものだった。
自室の机に広げた帳面を前に、私は羽ペンを走らせながら思考をフル回転させていた。
一人で長く働けても、一人分の場所しか守れない。私は地図へ防衛線を書き、必要な人数を割り当てた。人が足りない印ばかり残る。
「……やるしかないわね」
私は新しいスケジュールのページに『ローヴェル魔力訓練班』と力強く書き込み、立ち上がった。
数日後。
領主の館の中庭には、バルド隊長をはじめとする守備隊員たちと、ティナと同じように「魔法の才能がない」とされてきた領民の希望者たちが集まっていた。年齢も十代の若者から五十代の初老まで様々だ。
彼らは皆、どこか不安げな顔で私と、隣で観測機材を準備しているフェリクス殿下を見つめている。
「よく集まってくれました。これより、大魔潮に向けた特別訓練班の編成と、第一回の測定を行います」
私が宣言すると、列の中にいた初老のレンガ職人が、おずおずと手を挙げた。
「あの、領主代行様。俺たちは容量が五十にも満たない落ちこぼれです。王都の立派な先生方からは、魔法を学ぶ価値もないと見捨てられた身でして……こんな俺たちに、厳しい軍の訓練などついていけるでしょうか」
「厳しい軍事教練など行いません。そもそも、王都の基準で皆さんの価値を測る必要などないのです」
私は彼に向かって、はっきりと首を横に振った。
「皆さんは普段、仕事で魔法を使う時、どのようにしていますか? 容量が少ないからと、一度で全ての魔力を使い切っていますか?」
「い、いいえ。そんなことをしたら倒れてしまいます。ですから昔から俺たちは、魔力をチビチビと使って、息が上がったら少し休んで……またチビチビと使うようにしています。みっともない使い方ですが……」
初老の職人が恥じ入るように言うと、他の領民たちも「私たちもそうだ」「そうしないと身体がもたない」と口々に同意した。
「みっともなくありません。皆さんが生きるために身につけた工夫です。私が足すのは、姿勢と測定と、倒れる前に止める上限だけです」
ポカンとする人々の前へ、測定表を並べた。
「一人ずつ、容量、消費量、回復時間を測ります。フェリクス殿下、お願いします」
殿下は進めていた別の分析書を閉じ、無言で観測台を空けた。
殿下が楽しげに微笑み、観測器を起動させた。
測定が始まると、私は参加者たちの結果を見ながら、その場で次々と紙に『個別メニュー』を書き込んでいった。
「バルド隊長。あなたは古傷の右肩を庇うせいで、背中の筋肉が極端に強張っています。魔力経路がそこで圧迫されているので、まずは出力よりも脱力から。セット間のインターバル(休憩)は五分取ってください」
「ティナは前回のフォーム維持が課題ね。小灯火レップを十回三セット。無理に光を強くしようとしないで」
一人一人に手渡された紙を見て、若い守備隊員の一人が声を上げた。
「お嬢様! 俺のメニュー、バルド隊長たちの半分しか回数が書かれていません! 俺は体力には自信があります、もっと限界までやらせてください!」
気合をアピールするように胸を叩く若手隊員。王都の軍なら「その意気やよし」と褒められる場面だろう。
だが、私は帳面をピシャリと閉じて、冷ややかな声で告げた。
「却下します。指定した回数で必ずやめてください」
「な、なぜですか!」
「あなたの魔力回復速度は、他の人よりも遅いデータが出ています。その状態で限界まで魔力を枯渇させれば、次にまともな魔法が使えるようになるまで丸二日かかります。本番で二日も魔法を使えなくなれば、その間は誰が持ち場を引き受けますか?」
若手隊員が言葉に詰まり、顔を赤くした。
「根性論は捨ててください。枯渇するまで追い込むのは三流のやり方です。私の訓練では、動きが崩れたらその時点の回数に関わらず強制終了します。『休むこと』も、私が指定した重要な訓練メニューの一部だと心に刻んでください」
職人の一人が、休憩欄の数字を隣へ見せた。「ここで帰ってもいいのか」と聞かれ、私は頷いた。
やがて始まった第一回の訓練。
参加者たちは、私が指定した呼吸法と脱力を意識しながら、薄い障壁や小さな温熱魔法を反復し始めた。
無理をさせない、徹底的に管理されたインターバル。その効果はすぐに現れ、「いつもより苦しくない」「まだ魔法が出せる」という驚きの声があちこちから上がり始めた。
「……素晴らしい」
その光景を眺めながら、フェリクス殿下が静かに呟いた。
「仕事場ごとに違っていた工夫を、同じ表で比べられますね。あの職人には、逆に私たちが教わることもありそうだ」
「大げさですわ、殿下。私はただ、無駄を削ぎ落としているだけですから。でも、外側からフォームの歪みを見るだけでは限界がありますね。もっと一人一人の魔力の流れの癖を正確に把握できれば、メニューの精度を上げられるのですが……」
私が顎に手を当てて悩んでいると、殿下はふと思いついたように観測器を下ろした。
「それなら、一つ手がありますよ」
「本当ですか? どうすれば」
「対象者の魔力経路の癖を正確に辿るには、体外からの観測だけでなく、体内に微弱な探査魔力を流し込むのが一番です。私が王都で行っている精密測定の手法ですね」
殿下は自分の手袋をゆっくりと外しながら、事もなげに言った。
「ただ、それを行うには……手首や背中など、魔力経路が集中している部分の『肌』に、私が直接触れなければなりませんが」
……えっ。
その言葉の意味を理解した瞬間、私の思考回路は、今日の訓練で最も激しいエラー音を鳴らして停止した。




