第78話 魔法と怪異と銃弾と
教祖――。
つい先程まで人間であった者が、人間を辞めている。
中空を羽ばたくその姿に、ミエコは小さくかぶりを振った。辛うじて人間らしい姿形を留めていても――一言だに理性ある動物とは言い難いものだった。
下半身はエイの鰭の如く一本に集合し、両の脚を失っている。いまだ人間味のある上半身も、くの字に黒い表皮が覆い、顔も斜め半分しか残っていない。蝙蝠じみた表皮はグロテスクに滲み、空間との境目すら曖昧に見える。その割に毛のないツルリとした様にも見え、それが片翼4メートルにもなろうかという――薄く巨大な羽根で血生臭い空気を巻き込み、バサバサと大きな音を立てては、乙女達に不快な風を送っていた。
「――なんとまぁ、化け物に成り下がりましたか」
「当然の報いね。畜生道に堕ちた愚者の末路だわ」
伊沢の歪んだ口角が更に下がり、黒衣の巫女の悪し様な罵り言葉が天井に向かって吐き捨てられた。皆一様に見上げ、そして得物を教祖に向けている。その中でも毫も動じない古強者二人に、ミエコは薄ら苦笑いを浮かべた。見れば、自動小銃を構える志乃も、その眼鏡の奥に宿る毅然とした戦意が見て取れた。
(私が怯んでちゃ、ダメね)
足許で気を失っている中宮を庇うように位置取りしながら、乙女は拳銃の銃把を確と握り、ふらふらと天井を揺蕩うように舞っている教祖へ銃口を向けた。
「第三番弾倉、弾込め」
空を舞う怪異を見据えて尚、御影の声は冷たかった。指示に対しに防毒面の部下達が、手際よく機関短銃の弾倉をガチガチと入れ替え始める。一糸乱れぬ統制の取れた部隊行動に、感嘆を漏らす者はないが――総勢十数名の銃口が一斉に教祖を追った。
照星の向こう側。
教祖は左右に振れながら、
『我は――使者。闇の、怠惰なる闇の――』
と虚ろに言葉を発した。
物理的な口も黒い表皮に覆われ、男のはずなのに女の声も混じり――ダンスホールに林立する鬼達の豪腕にも似た鋭い腕を、ぶらぶらと不安定に振りかぶっている。不規則に読めぬ挙動から一撃を食らわせるつもりだろう。乙女が直感的に察した次の瞬間であった。
「撃て」
肌身を切る冷たさの号令一下。
今度は後れを取らない――乙女が引き金を引くとほぼ同時に、全員が一斉に銃火を浴びせた。薄い硝煙が辺り一帯を覆う。志乃も断続的に発砲し、ヒノエの短弓が空を切った。教祖に再び銃弾の嵐が襲いかかった。
――だが今回は血煙は上がらない。
教祖に着弾した御影達の銃弾であろう。身体に弾着した途端、パッと白い粉塵が連続的に舞うのが見えた。乙女に眼には、真白き氷塵と形容すべき――見たこともない雪氷が、教祖の身体中から反動的に吹き上がっっていた。
『特殊怪異弾頭――!』
志乃が発砲を続けながら、息を呑むように呟いた。
『そうだ志乃君。君がこちらにいた時には試作だったが、ドイツからの技術供与の成果だ』
『ドイツ――あのオカルト野郎から?』
間に入ったミエコは、かつて伊沢が『自然魔法』と呟いていたのを思いだした。死人使役を目論み、既存の国内霊会組織を併呑し、なお強大な軍事力と歪な政治思想を有する巨大帝国から魔法をもらう。恐らく氷に関する術を掛けられた弾頭が、これなのだろう。
『力の均衡は表も裏も繋がっているのだよ。英米は広大な植民地を、持たざる我々は先祖の秘技を、異能の果実を現代に蘇らせる』
だが足りぬ――と御影が呟いた途端であった。
「ギィィッ――!」
教祖が断末魔にも似た叫び声を上げた。耳障りに甲高い、如何なる動物とも異なる声色に、銃口を向ける全ての者が一瞬怯み、銃火が止んだ。
だが、その間。
教祖は間隙を見逃さなかった。
最早半身が氷に覆われ始める中、教祖は黒い羽根を一層大きく羽ばたかせて速度を付けた。その勢いのまま鋭角に翼を畳み、ダンスホールを囲むように点在する縦長の窓に向かって飛び込んだ。
バリバリ――と硝子が割れる音が響き渡ったかと思うと、次の瞬間には、初秋の夜風が勢いよくダンスホールを駆け巡った。硝子の細かい破片が乙女達に降りかかり、恰も煙幕のように追撃の間を打ち消してしまった。
「待てッ!」
一呼吸置いた乙女の咆哮が虚しく響き渡る。日本で一番高い建物の窓剥こうには、帝都の闇が蹲り、飄々と夜寒の風に教祖は紛れてしまった。
姿を消した途端、周囲一円にうずたかく積み上がっていた人面鼠の遺骸が、見る見るうちに黒く変色し始めた。さらにブスブスと瘴気のような瓦斯を身体中から吹き出し始め、瞬きを幾つも重ねる間もなく――瘴気は風に融け、人面鼠の肉体は、砂漠を舞う一陣の砂の如く消え失せた。
まるで初めから、何もなかったかのように。
残されたのは幾十もの弾痕。
強烈な鬼の手刀跡。
そして僅かばかり修復された神籬であった。
「奴の追跡は――伊沢君の方が良さそうだな」
窓向こうの闇を見つめながら、御影達が銃を仕舞い始めた。「一応式神を忍ばせておきましたが、早晩気づかれるでしょう」と、伊沢が飄々と答えた。あの銃撃の最中によくやるものだ、と乙女は言葉にこそ出さなかったが感心した。
「しかしまぁ、彼はもう大佐の元にはお戻りにならないでしょう。何処を本拠とする異形の神か――はてさて、想像も付きませんね」
「伊沢様が――御存じ上げない怪異でございますか?」
自動小銃の弾倉を外した志乃が呟いた。
「お褒めいただき光栄ではございますが、僕は浅学非才の身ですよ。有名どころは大方察しますが、森羅万象、異国の妖怪までは網羅は出来ておりません。それに、怪異の詳しさなら千年を生きる姫が一番ですし」
「姫なら――知ってるのかしら」
ミエコは気絶した中宮の身体を静かに抱き起こしながら呟いた。
「さぁね。なんか最近秘密主義が横行してるみたいだしね。――それよりどうよ。級長の具合は?」とヒノエが短弓を仕舞いながら訊ねた。
「大丈夫よ、――きっと」
普通なら弾道が砕け、人体の組織を大きく破壊してしまうものだが、人道銃から放たれた魔法弾丸は、神経も大きな血管すら避け、弾着の衝撃のみを中宮に伝えていたのだろう。
ミエコの推測を裏付けるように、血は既に止まっていた。ショックに気絶しただけで、彼女の顔も身体も、ほとんど傷ついていない。腕の中の中宮は、まるで赤子のようにすやすやと寝息を立てているばかりだった。
安堵の溜め息を漏らした時、御影が
「完徳の乙女よ」
と声を掛けた。十四年式拳銃は既にホルスターに収まり、防毒面の部下達は階段下に引き上げさせた御影が、ミエコを見下ろしていた。
「満足したか。本心ではお前を憎んでいる級友を助けられて」
フン――と鼻を鳴らした御影は、酷く侮蔑的な事実を投げかけた。




