第74話 秘めたるキモチは嫉妬に消され
平時の式札にしては仰々しい札であった。
ミエコからすれば相変わらず記号のような漢字と紋様であるが、間違いなくそれは呪符のそれである。陰陽道――ひいては道教の面影が露骨に濃い。伊沢の号令の下、各所に配置した呪符からも異形が生える。
「金鬼、風鬼、水鬼――さぁ、壊しなさい」
音調静かに黒衣の男が呟く。
時を置かずしてそれぞれの呪符から、人面鼠と似たように腕が生え、顔が起き上がり、角が飛び出し、筋骨隆々の巨躯がゆっくりと姿を現す。
「おのれ――」
危機を察したのは教祖であった。
突然、口元で呪を唱えたかと思うと、人面鼠たちは一斉に向きを変えた。ミエコ達には背を向けて、生まれ出ずる場所に逆戻りに駆け出した。ギイギイと啼き声を上げ、毛むくじゃらの津波がのっそりと現れた三体の鬼に向かい襲いかかった。
しかし、そちらも地獄であった。
拳銃やライフルで弾ける血肉より、遥かに露骨な直接的暴力が繰り広げられる。
かつてアスタロトに対峙し、威嚇により戦いを終わらせた鬼の一角として――三体の鬼はそれぞれの特色を遺憾なく発揮した。黄土色の肌をした金鬼は、飛びかかって来た人面鼠を豪腕で掴んでは胴体ごと握りつぶし、派手に血袋を破裂させた。鋭い手刀は鼠の頭から真っ二つにし、拳骨は顔面部分だけを綺麗に吹き飛ばす――血煙の惨禍であった。
風を操る風鬼は、暴風を掌ると思いきや、一点に空気を集中して爆発的に人面鼠の肉体を切り刻んでいる。同じように水鬼も大波で攫うのではなく、強烈に圧縮された水圧を以て――傍目にはナイフで斬り伏せているようであったが――人面鼠を粘土細工のように真っ二つにしていく。
まるで破壊を極力抑えているように見える鬼の暴力に、乙女が銃口を構えながら呟いた。
『吐きそうな絵面だけど、――あれでもこの場所を気に掛けてるの?』
『それはそうでしょ』
呆れたのはヒノエであった。
天照大御神の分神を祀り、帝国の中枢たる議事堂の階上である。言葉にしなくても分かるでしょ、と番えた矢を教祖に向け直した。ミエコも合わせるように銃口を教祖に向けたが、その脳裏に去来したのは、水で物体を切り裂く――巨大ロボットの巨影であった。
あれも水を、似たように使う。
あのロボットは――この教祖じゃなく、こちら側の作り、所作に似ている――?
一瞬の懊悩が銃口の正確さを鈍らせたが、照星の向こう側に見える教祖と中宮を見て、乙女は気を確かにした。中宮を助けなければ――。
人面鼠の波が引き、まだ僅かに寄せる一部を志乃が的確に自動小銃で捌く。その間隙を縫って――乙女は教祖に一歩近づいた。
「もう終わりよ! 中宮を放しなさい!」
教祖の男は口元の呪を即座に止めると、後ろに従えていた中宮の――更に後ろに身を翻した。虚無の顔を浮かべる少女を盾にするかのような振る舞いに、乙女は激高した。
「テメェッ……巫山戯んじゃないわよッ!」
感情が指先を震わせる。
危うく引き鉄を引きかけた所で、男が中宮の耳元で何かを呟いた。
ぼそぼそと聴き取れぬ、呪文ではないようだったが、教祖の言葉を聞いて、中宮の顔が僅かに歪んだ。虚ろな目に真一文字の口元――それがゆっくりと、歪み、歯を覗かせた。笑み――? と乙女が勘違いしてしまいそうになる。
だが違う。
牙を剥き出しに威嚇するように、中宮の口角は下がりに下がり、怒りに打ち震える般若の様相であった。
「あなたは、いつもそう――」
本当に久しぶりに耳にした、ムッツリ眼鏡の声。しかし往時の冷たさはない。そればかりか――表情に見合った、地を揺るがすような低い声であった。
「品格も、常識もない。口汚く、男みたいに暴れて、いつも私達の秩序を振り回す」
「中宮――」
「その癖に、成績はいつも上位。財閥の令嬢で、将来の心配もない。――あなたは、あなたはいつもッ‼」
中宮が大きく右手を振った。
ミエコは一瞬我が目を疑った。中宮の右手――クロークの下に隠されていたのであろう、裾から突き出たのは短刀――剥き身の白刃が白熱灯の光を帯びていた。短刀を握る手に力が入っているのが、傍目にも分かった。そうして何もない虚空を、音を立てて切り裂いた。
「見下していたんでしょうがッ! 貴方より成績の低い、平民の私をッ!」
「中宮、私は――ッ!」
銃口の先が揺れる。
照星の向こう側には、助けるべき乙女が――鬼の形相で込められた感情を白刃に乗せている。張り詰めた糸は、滾る感情が――ミエコに襲いかかった。
クロークが風を孕み、中宮が短刀を振り回しながらミエコに向かって駆け出した。彼我数メートル程度の距離である。ミエコは「くっ」と声を漏らすと、銃口を下げて後ろに飛び退いた。彼女を傷つける訳には行かない――、死臭漂うダンスホールにクロークとスカートが翻った。
「お嬢様!」
「撃たないで! 志乃!」
空かさず助けに入ろうとした志乃とヒノエであったが、教祖はジリジリと距離を取りながら、またしても口元で呪を唱えている。3匹の鬼が放つ暴虐の鉄風を擦り抜けた何匹かが、志乃とヒノエを狙い撃ちするように飛びかかった。露骨な援護に、ミエコが叫んだ。
「アンタッ! よくも中宮をッ! 関係ない友達を、よくもッ!」
拙い動きとはいえ、殺意漲る白刃である。器用に避ける様を、未だフードに目元を隠した教祖が歯を剥き出しに嗤った。
「ハハハハハ、怒りに震えるか、御転婆娘。それもこれも全て貴様ら一族の宿業だ。それも此処で終わらせてやる」
さぁ――と両手を広げた。
「依代の娘よ。深く遠大な闇でこの愚か者どもの闇を塗りつぶせ。お前の居るべき場所は、ブルジョアや貴族共に虐げられる狭い檻ではない。深淵の――この世すべてを覆う、何よりも深い闇にこそ、我らはあるのだッ!」
喜喜とした宣言。得意気な声が、死臭溢れる帝國議事堂に響き渡った――。




