第72話 照らす日ノ本何処に傾く
『畏み畏みも白さく。我が施し奉りし式、なお拙くして験あらず。図らずも大御神の御身を煩はし奉りしこと――誠に恐み入り奉る』
『汝が畏みの心、既に至れり。――面を上げよ、伊沢』
すっ――と伊沢が頭を上げて直立した。
『先ずは神籬を清め、場を斎い奉りますれば』
早速――と伊沢が懐から小さく白い人形を、幾枚かハラハラと床に落とした。それから口元で呪い言葉を唱えた。いつも見ているように、人形達がにょきにょきと動き出しては、徹底的に破壊され尽くされた神殿――社を直すべく、瓦礫を退かし始めた。乙女は小人めいた人形の可愛さに一瞬目を奪われたが、小さく首を振ってヒノエに問うた。
『天照大御神って、本当にあの天照大御神――よね?』
『当たり前じゃない』
ヒノエが半ば呆れたようにミエコに視線を送った。
『神社で散々ぱら、神様にお願いして祈祷しているじゃない。お神籤という形で、神様からのお言葉も頂戴してうるでしょう? ……それにミエコ、多邇具久命とは話をしたことだってあるじゃない』
『――それもそうね』
危うくぶん殴りそうになった蛙の神様を思い出し、乙女は苦笑いを浮かべた。
『それに、神のお言葉を受けるのは巫女の務めですものね』
『ふふ、よく分かってるじゃない』
漸く満足げに笑みを浮かべた黒衣の巫女に、尚も続けてミエコが訊ねた。
『――でも、この有様はどういうことよ。伊沢が術をかけて、ヒノエが動作確認もしたんでしょ? どうして』
『今伊沢が言った通りよ。拙くして験あらず。――要はこの結界は、今回壊した奴には効果がなかったってだけの話よ』
癪に障るけど、とヒノエは言葉を付け足した。『伊沢の迷妄式は、私が言うのもなんだけど――かなり強力だったわ。普通の人間なら、そもそも見ることも意識することも出来ず、ここはただの広間にしか見えないわ。それに異能者といえども、生半可な奴なら薄ら何かがあると分かる程度。それなりの術者でも結界を解いてここまで破壊するなんて――普通は出来ないわ』
やや饒舌に語る評は自信の現れかしら、と乙女は小さく頷いた。
『でも壊されたっていうことは、普通じゃない奴が壊した、と。――この間のアスタロトみたいな大妖怪の類い?』
『いいえ、違うわ』
『随分とキッパリ言うわね。――残留思念を見たの?』
『そう。――このどす暗い黒は』
『お嬢様』
乙女達の背中に志乃が声を掛けた。彼女は肩に抱えた得物袋からフェドロフ自動小銃を取り出し肩にかけているところだった。『こちらを』と続けて取りだしたのは、手榴弾であった。見たことのない――つるりとした表面に、乙女は首を傾げた。
『これは――?』
『陸軍で仮制式になったばかりの新型手榴弾を、さらに神宮司財閥で改良した物です』
志乃の説明にミエコが得心したように唸った。
『あぁ、ウチの軍民転換工場でも作ってるのね。……というか、改良って、まさか対怪異用に?』
勿論で御座います、と志乃が満面の笑みを浮かべた。
『西洋系怪異にも対応出来るよう、神聖化済み聖水子弾も内蔵されております。生産ラインの一部を、「羅刹」専用に回しておりますので、今まで以上に派手に使って構わないとの事で御座います』
『ちゃっかりしてるわねぇ、お父様も』
呆れ気味に受け取った手榴弾を、取り敢えず一個サスペンダーのフックに引っかけた。李香蘭の佇まいに憧れて――速攻で作らせた特注品でもあった。志乃がヒノエにも特製鏃――破壊力を増強するべく雁股ではなく、命中時に返し羽根が開く鎧通し――に付け替えられた破魔矢が何本かを渡したところで、伊沢の祝詞が恰度終わった。
『天照大御神――この度の襲撃は、矢張り』
伊沢の問いに天照大御神は『さよう』と小さく肯った。
『日ノ本の国つ柱を揺るがさんと謀る者よ』
『成る程――然様でございましたか。「暗黒の知啓団」でございます。彼の者の襲撃を許し奉りしこと、ひとへに我が不明・不徳の致すところと――』
『よい。伊沢よ』
威厳ある女の声ながら、音調は何処か優しさが滲んでいた。
『そなたも滝夜叉も、よく務めを果たしておる。天津神らも、その誠を見届けておる』
『過分のお言葉、恐み拝し奉る』
『然れど――』
一呼吸置いた間。
そこに潜む諸々の意味を量りかねて、皆一様に固唾を飲んだ。
『我が神威をも、そなたらが威をも寄せつけぬ。その性、まこと畏るべし』
天照大御神の、さがという言葉に、ミエコが閃いたように「あぁ」と言葉を漏らした。
『……もしかして、伊沢の結界が効かなかったのは、強力な力があるからじゃなくて――』
分かっているが神威に服せず。
異なる何かを信じ、異なる何かに守られた悪意。
――何か憑いてる?
往時、ヒノエが奴に投げかけた言葉が、乙女の脳裏にまざまざと蘇った。
『そういうことです、ミエコさん。あの男は、人の命をなんとも思わず、我々の知らない何か――神でも悪魔でもない何かが憑依しているに違いないでしょう』
口調をガラリと変えた伊沢が、視線も合わさずに呟いた。音韻に起伏なく、それこそが彼の感情の発露である事を察したミエコは、静かに俯いた。
『でも、奴はどうしてここを破壊したので御座いましょう? 矢張り、この国の乗っ取りを狙って……?』
志乃が解けぬ謎に首を傾げたところに、以外にも天照大御神が答えた。
しかし――天照大御神の声が投げかけられた先は、乙女達ではなかった。
『そこもとよ。汝が嘆きは浅き闇より産まれしものなりや。その闇、ついに日ノ本をを覆い尽くさんとするか』
『――その通り』
展望室に続く螺旋階段から――。
カタンカタンと音を響かせ降りてくる。
灰色のローブを纏い、フードが顔を影に沈ませて。陰気な空気がぞろりぞろりと円を描きながら、僅かに整えられたばかりの神籬を、場を、侵食していく。男の後ろに、さらにもう一人続いて降りてくる者がいる。その姿を認めた乙女が大きく口を開いた。
『なかみやッ――!』
フードを外して露わになった虚ろな目。
生気のない窶れた顔。
乙女の悲痛な声が、ホールいっぱいに響き渡った――。




