第71話 帝国議事堂の天辺に
『神社――? こんな所に?』
『そうよ』
素っ気ない返しだった。
『ダンスホールくらいの広さの空間が、この上にあるわ。……元々はね、ある篤志家が伊勢神宮の神符を貴衆両院議員事務局に送ってきたことが始まりよ』
建設期間は十七年に渡り、その間日本国民の多くの目が、期待が寄せられていた。たった4年前の事なのにミエコは良く覚えていなかったが、確かに盛大に報道やニュースになっていた気がする。完成祝いの一種、と納得し小さく頷いた。
『で、寄贈を受けた帝國議事堂守衛長が、何処に設置したら良いかって頭を捻ったらしいわね。それで出た答えが、議事堂の上。そこに天照大神と豊受大神の神符を祭って、毎日毎日、帝國日本の無事と繁栄を祈っているっていうのよ。……以前本に載ってたから、知ってる人は知ってるかもね』
海抜九百尺。日本で一番高い建物の一番上くらい。
篤志家の思いを受けて、全くの善意から、この国の平穏を祈る。十二分にいい話だ。『帝都を見下ろす一番高い神社の末席が、この国を見守ってるのね』と得心したところで、ヒノエがふっと息を漏らした。
『……っていうのが、表向きの話よ』
『あー、もう、そういうことよね。ウチが絡んでるんですものねぇ!』
狭い階段の一番後ろを歩いていた志乃が、クスッと声を漏らして笑った。
『ヒノエ様もお話しがお上手で御座いますねぇ。伊沢様も努々、油断なされませんように』
『志乃さんも意地悪ですねぇ、まったく』
先頭早足気味の伊沢が少しだけ歩みを遅くした。
『ミエコさん、この上に神社を設けたのは理由がありましてね。簡単に言えば、結界を張ったんですよ』
『結界?』
すぐさまヒノエが釘を刺すように答えた。
『簡単な話よ。ここは帝國の全てが決まる頭脳みたいな場所よ。議員や――いえ、臨席賜るやんごとなき御方も含むわね。衆議院、貴族院、皇室も集まる議会中に、それこそテロリスト――邪教の連中が入ってきて「何か」しでかしてみなさい。後は分かるでしょ?』
子どもでも容易に想像が付くわね、とミエコがかぶりを振った。
『臣民の代表、選挙によって選ばれた民意を乗っ取る邪な意志。目に見えず、対処も出来ず、簡単にこの国を乗っ取ることも可能――って訳ね。もし陸軍大臣なんかに憑依しちゃったら……』
『まぁ、大陸から撤兵出来ない時点で、妄念に囚われているもんですがね』
ミエコの整理に乗せて、珍しく伊沢が毒を吐いた。
『兎角そういうことです。我々はそういう事態を危惧して、この帝國議事堂の天辺に人知れず神社――「羅刹」の管理拠点、磐戸第七神社を建立しました。ここは言わば磐座なんですよ』
神社とは文字通りの神の社である。素朴な自然崇拝を強固な礎にした原初の宗教観があり、それ故に人智を超えた自然物は神の降り立つ地――依代、或いは神そのものと解されてきた。
人と神の内は時に漫然と、時に厳然と区劃される。
簡単に白石を敷くだけで、神聖で人の立入が憚られる空間に生まれ変わる。
それでもなお、古くからの信仰の中心には依代があった。
『人里にはない山の上の巨石、不思議に聳える年老いた樹木。日本各地にある巨岩伝説の伝えるとおり、巨大なモノは依代に適しているんですよ。例えそれが人間が作った物であったとしても――ね』
『エジプトのピラミッド――あぁ、あれは王墓ですものね。既にそれ自身が神聖性の塊っていうことよね』
『そういうことです。だからこそ――』
日本の中枢で一番高い巨石建造物に、神社がある。
そこから――。
『妖しい声が聞こえてくるって、総理大臣の依頼だけど、何? 妖しい声も結界の基本機能なの?』
神社、結界も人あらざるモノなれば、等しく皆怪異なり。乙女の疑問に伊沢は階段の上を向いたまま『いいえ』と答えた。
『意思はありますが、声を漏らすことはないと思うんですよ。それに、本拠でもここの異常がつい最近検知されました。近衛首相の依頼というのも――まぁ偶然なんでしょうが、時機がちょうど合いましてね。――都合良く、堂々と調査に赴けるようになった訳ですよ』
『堂々って言う割には、十分コソコソしてるけどね』
『それは言わないお約束ですよ、お嬢様』
影に生きるのは『羅刹』の宿命と言わんばかりの志乃の笑みに、ミエコも静かに笑った。
『で、結局その声って――』
ミエコが訊ねた途端。
誰かが啜り泣くような声が、乙女達の脳裏に響き渡った。『あぁ、うぅ――』と小さく嘔吐くような、女の声だ。
しくしくと擬音が当て嵌まりそうな、か細い声である。
ミエコは思わず立ち止まり、振り返ってヒノエに視線を合わせた。
『……これ?』
『そうらしいわね。お労しい限りだわ』
お労しい――?
ミエコが小さく首を捻った。
『――行きましょう、皆さん。彼女がお待ちです』
疑義を呈する間もなく、伊沢が小走りに階段を駆け上がり始めた。
『ま、待ってよ、どういうこと? 彼女って――』
伊沢もヒノエも答えない。それどころか後ろのヒノエが無言でミエコの背中を押した。乙女は抵抗しようかとも思ったが辞めた。近づく度に強くなっていく女性の泣き声を確かめる方が先だった。
狭い階段を駆け上がり、八階真下、直線に手摺りが伸びている場所まで来た。
階上からは光が漏れているが、――様子がおかしい。白熱灯の光はパチパチ瞬き、明らかに正常の点灯ではない。厭な予感に得物を胸から颯と抜き出した乙女は、一足先に八階に躍り出た伊沢の背中に一息遅れて追いついた。
「む――」
伊沢が口角一文字に唸った。
眼前に広がる八階の光景。ヒノエがダンスホールと形容したのはまさに正鵠を得ていた。ワックスが掛けられた茶色い床は光を帯び、円形ドームの白壁、そして九階展望室へ繋がる螺旋階段の色気などは、モダンテイストの小洒落た空間を華々しく演出している。
しかし――。
『これは酷いですね』
皆一様に同じ感想でああった。
階段正面、明らかに幕が張られていたであろう、添え木も鳥居らしきものも、壁際に設置されていたであろう祠――その何もかもが徹底的に破壊されていた。ボロボロになった白幕が床に落ち、中央の祠も鉄槌で破壊されたように見る影もない。
銘々が呆然と惨劇の跡を見つめた。
壊される前はさぞや立派な造りをしていたろう、と乙女が目を細めた途端、非常に近い距離から女の声が再び脳裏に響き渡った。
『誰ぞ、――誰ぞえ』
明瞭に聞こえる女の声は、不安を滲ませながら誰何する。姿は見えないものの、ミエコは何故か正面の祠――その残骸から聞こえてきたような気がした。伊沢が一歩前に踏み出すと、両手を合わせ、深々と頭を垂れた。
『伊沢めに御座います。――天照大御神』
乙女は息を呑むどころか、フハッと声を漏らした。




