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第68話 塞ぎ込むことは悪い事じゃない

「そんなに気を落とすことはないよ、美映子」

「……はい」

 揺れる車内、流れる車窓を目で追いながら、父米次郎はミエコを労った。帝都はすっかり秋本番の(よそお)いである。街路樹の葉が微かな風に揺れ、淡い陽光を受けて何れ来たる朱に染まろうとしている。晩夏も既に久しく、天は高く蒼穹は薄絹のような雲が優しく走っている。後部座席に並ぶ神宮司家の当主と令嬢は、どちらも塞ぎ込んだ(かんばせ)である。乙女は両手を膝の上に乗せ、熟っと何もない中空を虚ろに眺めていた。

 脳裏を過るのは己の過失。

 溢れかえるのは強烈な出来事の洪水。

 舞い降りた西洋の大悪魔(アスタロト)、何事にも動じない銀幕女優(李香蘭)、不穏な予言と滲み出た姫の焦り――その何もかもが、死線を幾夜か潜ってきた乙女であっても、安易に咀嚼し呑み込むことなど決して出来ない、夏の夜の夢であった。

 そして何より――。

 怪異情報の共有がされていなかったことについて、伊沢とヒノエに叱られた。簡単な怪異現象であれば全く問題にならなかった。だがミエコがかつて遭遇し、()()()()()()()()()()()怪異――(くだん)()の者の(げん)は不穏に過ぎた。


 ――帝都に油まみれの火雨(ひさめ)が降り注ぐ。

 ――四方の海、衆生悉く絶え逝く。

 ――黒き闇、人の子を操らん。

 (わな)()き、気が動転する中でも記憶に刻まれた言葉。――否、だからこそであった。金田製作所でヒノエと志乃に()()()()()()、陰の道に歩みを進めた――その予言であったからこそ、乙女は一言一句とは言えずとも、瞭然とその意を心に刻みつけていた。

 予言が正しければ、幾万の人が死ぬ。

 それも優しい死ではない。

 鉄火の横暴による残酷な死である。

 アスタロトの匂わせも加味して――伊沢が感情を込めずに冷たく叱責したのであった。

「いつも飄々として弁士っぽく振る舞う彼だがね、やはり本当は冷たく厳しい男なのだよ。でもそれは単なる冷血漢ではないんだ。――帝国臣民、いや、怪異に脅かされる全ての人間の命を背負っているからこそなんだ。それは分かっているね?」

「……勿論です、お父様」

 父米次郎も羅刹の(ともがら)である。

 全てを知らされて尚――表向きには動じない胆力を示して見せた。

 だが――。


「羅刹の先達も多くの困難を抱えてきた。それは私だって知っている。――だけどね、美映子。今起きている事は、ここ数十年でも類を見ない事ばかりだ」

 関東大震災を除いて、と小声で補足を入れた米次郎は、咳払い一つに声色を和らげた。

「千古不易なんて言ってもそれは嘘なんだよ。神や悪魔、幽霊化け物と人間の関係は大して変わってないが、技術が、世界を覆うような技術の洪水が、私達の全てを替えていくんだ」

 視界の端に映るのは、車窓を走り去る電柱。

 舗装された道路の上を進み。

 遠くを走る鉄道の煙が薄ら空に消えていく。

「未来は誰にも分からないんだ。予言など、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに(けい)(がん)ある者ならば、怪異に頼らずともそれくらいの未来、予想できるさ」

 不図、米次郎が車窓から視線をミエコに移した。

「戦争の影はあまりにも濃く、深い。太歳の蠢きに多くの国が踊らされる。こんな大変な世の中なんだ。――私には、お前の無事が何よりなんだよ」


 ミエコ――と。

 塞ぎ込んだ乙女の脳裏に、突然、あのロボットの声が染み入る残響の如く蘇った。

 優しく、懐かしい女の声。

 でも、何故か思い出せない。

 聞き覚えもあれば、聞き心地のよいとなると、自身の関係者に限られるはずだが――()()()()()()()()()()()()()()()()()()。堂々巡りの時間など、この近現代の時間(モダンタイムス)には一秒もない。乙女は顔を上げ、父を見た。

「ありがとう、お父様」

 いつもハンサムな父の顔に、昨今の苦労が滲み出ている。顔の皺、僅かな目の隈、その要因の一つが己なのだろう。乙女は引き締まった表情で、口元を強く結び、笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、私は死なないわ。――それより、もう着きそうです」

 贅言を語らずキッパリと。頼もしい口調で断言したミエコは、車窓の外へ目を向けた。


 東京、荻窪――。

 善福寺川の北側、閑静な街並みの中にひっそりと佇む木々に囲まれた家がある。大正天皇の侍医が設計を依頼した十数年前の日本家屋。そこに住まう人こそが、今回の依頼主であった。

「――しかし、ここに来るのも久しいな」

「そうでございますね、米次郎様」

 今まで一言も発していなかった運転手の近堂が、車を止めながら頷いた。

 カガチと同型者の――正しく一般仕様の国産車である。後部座席の扉を近堂が開け、米次郎とミエコがゆっくりと地に立った。初秋の涼しげな風が乙女達の頬を優しく撫でた。

「綺麗な場所ですわね」

 見渡せば、鬱蒼とした木々である。豊かな自然に囲まれ、整然と人の手の入った庭園や庭木に眼が躍る。僅かに高台となっている家屋からは、雄大な富士の眺望が得られるとあって、広間に通された客人は皆一様に息を呑むという。 

「羅刹への依頼だが、――彼が直接会いたいそうだ。人の居ない日に取り次いで貰えたのは、まぁ幸いだな」


 

 荻外荘(てきがいそう)――。

 西園寺公望が命名したこの邸宅は、数多くの政治的な会議、話し合いが行われている。東亜新秩序建設を話し合った、所謂『荻窪会談』は、僅か3ヶ月前の話である。喧騒とは無縁の政治の中枢――この邸宅の主こそ、第38代総理大臣、近衛文麿であった――。

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