第66話 太歳
九体の鬼に囲まれ。六人の猛者――と猿一匹に囲まれ。
今頭に鳴り響くのは、嗄れた女の声ばかり。
遠方に念を飛ばすだけなら造作もないが、意識を、式を同時的に繰り出すのは優れた陰陽師と言えど難しい。しかし、羅刹拠点『偽装神社』――全国各地に点在し、その全ては本拠――京都老ノ坂と繋がっている。幾人の鬼も伊沢と滝夜叉姫による共同の式であった。
ここは滑らかに念が飛び、電波が飛び、各種弾薬に得物が取り揃えられた、戦力投射空間である。言わば一種の要塞であった。
アスタロトは突き出していた三叉槍を静かに引き戻した。
『貴方は――、ああ、そうですか』
『そうじゃ。これ以上は誰も得をせん。――お主の主、ルシフェルも望んでおらんのじゃろう?』
『……ふむ』
ルシフェル――という呼び方に、ミエコは眉を顰めた。
何故英語読みではなく、態々欧州、ラテン語っぽい言い方をするのだろう?
だがそれは些細な事なのだろう。滝夜叉姫もアスタロトも、気になる素振りすら見せず念話を続けた。
『お主の役目は、我々を試すことであろう。――如何であった? まさに世に噴き出さんとする煉獄を、この東の片隅で抑える役目は果たしておろう?』
姫が何を言っているのか、ミエコにはよく分からなかった。不安げに視線をヒノエや伊沢、丸島に向けるが、軒並み怪訝な顔をしていた。誰一人真意が読めぬ中、『――まぁ、良いでしょう』と切り上げたのは、キン――と甲高い音を鳴らして、三叉槍を垂直に打ち立てたアスタロトであった。
『尊き主命、その全てを知らせる義理など在りませんが――、少し教えてやってもよいでしょう』
一々上から。
黒衣の巫女がうんざりした貌で短弓を背にしまった。示し合わせるように銘々が銃を、牙を、腕を下ろした。唯一人、伊沢だけが剣指を解いてはいなかったが。
『――で、私達は何を試されたのよ? 力? 意志? それとも――』
『その全てですよ』
アスタロトが冠を僅かに下げた。
うんざりしているのは乙女達ばかりではないかのように。
『人の子らよ。この世を覆う災禍を何と見る?』
災禍とは何か。
その言葉を態々口にするほど野暮ではない。
『まぁ、随分と雑な問いね』
とヒノエが呟いた。
しかし、ミエコの脳裏に過ったのは、表層的な答えではなかった。
『大陸での事変に、第二次欧州大戦。憎悪と偏見、欲に塗れた人間の愚かさが原因――っていうのが、「普通」の天使の警告で、力を唆すのが「普通」の悪魔の甘言――でしょ?』
態々「普通」に抑揚をつけたことに、アスタロトが意外そうな声を漏らした。
『ほぅ。では「普通」でなければ、この災禍を何と見るか?』
ん……と、瞬時の整理を挟み、乙女は静かに答えた。
『人間でも悪魔でもない、――別の原因が、この戦争を引き起こしている、かしら』
「『太歳』」
「えっ――」
突然、シャンランが強い口調で間に入った。
『直接の引き鉄とまでは行かないだろうけど、思い当たるのは「太歳」よ。大地を蠢く巨大な怪異。地面の下を移動して、極稀に掘り起こされて地表に現れる、眼だらけの化け物よ。元々は古代中国の天文官が、木星の運行を参考に作られた、反対軌道の仮想星。対を成す事が転じたんでしょうけど、――それは伊沢さんの方が詳しいんでなくて?』
シャンランが腰に手を当てながら伊沢に視線を振った。
伊沢は薄い笑みを浮かべた。
「『敵いませんねぇ、シャンランさん。――そう。本日、大公爵をおびき寄せるために天穹に放った龍脈ですが、あれは元々水脈と同義と捉えられていました』」
剣指を解いた伊沢が、眼にも止まらぬ早さで扇子を取りだしパチンと音を鳴らした。
しかし。
「『――水脈は人間の生活を支える命綱。だから神聖なものとして捉えられ、大地の下を竜が這っていると考えられた』」
さも当たり前のように、ヒノエが伊沢の二の句を継いだ。
――長くするんじゃないぞ、と。
ミエコが苦笑いを浮かべ、伊沢が口の端を歪めた。
「『陰陽道――、いえ、陰陽五行、道教、風水術の考え方の通りです。古今、支那、本邦においては、大地には気の流れ――龍脈があると解されます。これは大地の気を吹き上げる場所を龍穴といい、そこまでの道筋を脈とした見立てた訳ですね。基本的には良いものなのですが、――ねぇ』」
「『なによ、含ませすぎよ』」
「『……簡単なことですよ、ミエコさん。この龍脈、良い気だけを運んでるんじゃないんです。今、シャンランさんが仰った太歳。これは強烈なマガツ神でしてね、陰気の奔流みたいなものです。それが龍脈と同じように、大地の下を巡るんですよ』」
(あ、そうか)
乙女はポンと手を叩いた。
「『悪い気も同じように大地を巡る。――戦争を起こした別の原因、それが――』」
「『実は、全世界中にアルんですよ、ソレ。名前を変えテね』」
仕込み杖を杖らしく傾けたデービッドが補足した。
「『|ヨルムンガンド《Jörmun gandr》――。古ノルドの神話にチナみ、我々「神聖同盟」では、欧州に流レる怪異の河を、そう呼んでいまス』」
全地球的な気の流れ。
人々の営みの足下深く。普通の人間には見えない気、――否、怪異の大河が流れている。
ミエコが深く得心したように頷いた。その様子を見てシャンランが息を吐いた。
『大陸は今地獄の様相。国共内戦も、日本軍の侵攻も、全部魔女の釜の中。こんな状況じゃ、「太歳」本体がいつどこに出てもおかしくない。しかも、その奔流は前線だけじゃない、銃後の――』
――この国に大乱が近い、と。
アスタロトがククッと嗤った。
『我が眼は未来を見通すことが出来ます。我が身を召喚してきた幾人にも未来を教えて差し上げました。――この国の運命は、決して華やかなものではありませんよ』
引き攣るように喉を鳴らす地獄の大公爵に、ミエコが一人一歩だけ前に出た。
脳裏に蘇るのは、デービッドと初めて出会った時の、――あの怪異の言葉。
「『知ってるわよ、そんな事。帝都が火の海になるって事くらい』」
乙女の突然の暴言に、全員が言葉を失い、瞠目するばかりであった。




