第63話 竜は竜でもドラゴンなの?
立川は軍都である。
南部は立川崖線――多摩川が永年に渡り浸食した地形が横たわるものの、町の大半は武蔵野台地上の広い平野に広がっている。甲州街道沿いの村落に過ぎなかったこの地が、軍都へと変貌したのは、大正年間に陸軍飛行第5連隊による立川飛行場が設けられてからであった。
町制が敷かれ、帝都防衛構想の中核であった飛行場の今は、陸軍航空技術学校の本拠として、研究開発の拠点として、軍都立川の心臓部に鎮座している。
基地に寄り添うように発展した立川の街を、湿り気を帯びた秋風が舐めるように吹き抜けていく。紺から黒へ沈みゆく天穹に、疎らな星々が冷ややかに瞬く。寂寞の静寂を断ち切るように、カラリ――と乾いた音が響いた。
伊沢が本殿の前で色鮮やかな木片を地面に落とした。
「崩すは一時。数理と平衡、――秩序を崩し、龍脈を転じて天穹へ立ち上らせます」
呟きは警告のようでもあり、宣告のようでもあった。ミエコは口元を締めると、右手を胸元のコートに突っ込んだ。ホルスターに仕舞われた二十六年式拳銃の銃把に指先が触れたところで、伊沢の口元――剣指が宛がわれた唇から呪い言葉が縷々と溢れ出た。
「上手く行くかいのう」
石畳にどっかり腰を下ろした丸島が、空を仰ぎ、への字口を曲げた。
「例の怪異――目撃情報通りなら、大丈夫でしょ」
淡々とした漆黒の乙女の口振りに、猿渡が食ってかかった。
「おいおい、目撃情報って言っても、地図上に法則性なんてなかったぜ。どういうことだよ」
額に浮き出た冷や汗が頬を伝っている。狼狽を隠す虚勢が如何にも滑稽だった。
「地上の地図なら、ね」
「地上の? ――ああ、そういうこと」
「ミエコ嬢よぅ、何だよ、すぐに分かったのかよ」
乙女に挟まれた猿が視線を泳がす中、丸島が胡座に腕組み――まるで地面に埋まった仁王像のような姿勢である。そして歯を覗かせて笑った。
「龍脈じゃい。今回、陸軍航空隊が空で見たいうがな、――空だけやないねん。光っとったのは」
ごつい指が、地面を差した。
「地面も、や。空の稲妻に示し合わせとるようにのぅ。目撃情報が同時期、しかも儂らしか知らんはずの龍脈の結節点ばかりじゃ。猿渡の兄ちゃんも、そっちの筋ちゃうんか?」
「あー、……まぁ、確かにそうなんだけどよ」
何処かばつが悪そうに後頭部を掻いた猿渡に、漆黒の乙女――ヒノエが薄く笑った。
「内務省神社局、それに土木局からも話がいってるはずでしょ? 紀元二六〇〇年式典の準備で事前調査をしてるって話じゃない。折角の祭典――こんな怪異話で水を差されたら洒落じゃ済まないでしょ、アンタの上司も」
「……うへぇ、ホントに何でもお見通しじゃねぇか、ヒノエ様よぅ」
半ば諦めたように猿渡が肩を竦めた。
「内務省との窓口はアンタだけじゃないのよ。都市計画に神社局、知事も務めた内務官僚のアンタの上司も、ウチをよく知ってるわ。伊沢が窓口になってるけど、私達が知らないと思って?」
(――私は知らなかったけどね)
ミエコが一人苦笑いを浮かべ、尻目に見た丸島は静かに笑った。
「まぁまぁええわ、ヒノエはん。それよりもな、――そろそろ来よるで」
不図、境内の木々がざわめいた。
風の音ではない。ざぁざぁと波が砕ける音に似た、得体の知れない音であった。須臾の間もなく、カタカタと細かく刻むような小さな揺れが、神社を、地面を走った。刻むような微細な震動が足裏を伝ってくる。
――巨大な何かが、地中を這っている。
「来るわ。構えて」
漆黒の乙女が冷たく言い放った。
刹那。
境内を囲む暗い木立隙間から、紅い奔流――宵闇の空に向かって、十条もの光の筋が勢いよく噴き出た。かつてナチスドイツが全世界に喧伝した「光のカテドラル」の如く、紅い三叉槍が立川の夜空を貫いていた。
「これが……龍脈」
乙女の口から漏れた声は、驚嘆と畏怖が混じり合う。地中から噴き上がる光は、噴水或いは火山噴火のそれに似ていながらも、音も熱も伴わない。不気味に静かに光を放っているばかりであった。
「普通の人には見えないわ。お猿さんも見えてないみたいだし、市井にはただの小さな地震くらいにしか感じないわ」
視線を猿渡に流すと、彼の視線は空になく突如ざわめいた木々に向けられるばかりであった。
やがて――。
本殿の前で剣指を解き、呪い言葉をピタリと止めた伊沢が、溜め息一つに胸ポケットから扇子を取りだした。
「すぐに収まります。見た目には綺麗でも、怪異には爛爛と輝くセントエルモの火――。興味を持たずには居られないはずです。つまり――」
スッと伊沢が空を見上げた。
龍脈の放出が唐突に収まり、紅い光の筋は数秒もせず宵闇に掻き消えた。眼前に広がるのは何も変わらぬ立川の夜空である。小さな星々が瞬き、ただ一つ煌々と輝く宵の明星の近くから、――それは来た。
「あれは……」
ミエコが呟いた。
乙女達の視線の先、墨色の闇に輝く赤がある。星ではない。赤光が、血を滴らせるように残光の尾を引きながら空を揺蕩っている。――否、徐々に大きくなっているように見える。
「例の光、ね」
ヒノエの声に緊張が滲んだ。とても飛行機の速度ではない。そもそも直線ではない。羽ばたくように上下し、偶に左右に振れている。見る者を不安にさせる有機的な動きは、次第に輪郭を持ち、異様な軌道でこちらに向かってきた。
「来るわよ!」
ヒノエが短弓を背中からぐるりと回し、即座に矢を番えた。赤が、血のような赤が神社の境内を煌々と照らし出す。
「う、うわぁ!」
「下がって!」
――激突する。
誰もがそう確信し、銘々が予測点、――境内の中心から飛び跳ねるように離れた。猿渡は叫びながら本殿の向拝柱の影に飛び込んだ。赤い稲妻は、乙女達の瞼に焼き付く程の赤を纏いながら、地上すれすれで羽ばたいた。
轟、と風が爆ぜる。
突風にも似た一陣の風が境内を吹き抜けた。木々のざわめきも一瞬の波の如く、過ぎ去ったあとは嘘のような静寂が訪れた。
赤い光がスッと引いていく。光体の中に輪郭が浮かび上がり、徐々に宵闇に滲んでいく。薄い赤光を帯びたその姿に、ミエコが言葉を漏らした。
「ドラゴン……、それに、人……?」
そこにいたのは、翼を持つ竜。そしてその背に跨がる何かであった。
「これはこれは……、おそろいで」
人語を解する巨大な怪異。輪郭を漸く得ようとする第一声は、酷く侮蔑的な声色であった。




