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第62話 防空演習を嗤う

 夕焼けは人を感傷(センチメンタル)の渦に引き摺り込む。

 瑞瑞しい朝焼けでも、苛烈な盛夏の太陽でもない。赤く、大きく、地に沈みゆく、大気の底に澱むもの悲しさを孕んだ、あの(あか)だ。古代エジプトでは日の出を誕生とし、日の入りを死と見做したという。死は一過性の断絶ではなく、太陽神ラーが冥界を巡り、夜ごとに神と戦いながら再び光と共に蘇る一巡に過ぎない――。


 (ゆうべ)は悲しむべきものではない。

 夜は死の時間であっても、明けない夜はない。

 それでも心悲(うらがな)しさに涙が溢れそうになる。夕闇迫る神社の境内なら尚更である。

 ささやかな鎮守の森は刻々と影を濃くし、木立の間を吹き抜ける初秋の風が、ミエコの前髪をかすかに揺らした。風を追うように、西の空に残る朱を仰ぎ見た。



「本当に来るの? その怪異って」

「保証なんて致しかねますがね。まぁ、()()だけなら確実でしょう」

「でもこんな場所で誰かに見られたら……」

「それだけは安心して、ミエコ。伊沢は術()()は当代一流だから」

「だけは余計でしょう、ヒノエさん」


 東京府立川町の片隅――。

 伊沢は『偽装神社』の本殿、年季の入った柱に背を預け、乙女達の暴言に嘆息を漏らした。

「せやで。術だけやあらへんで。伊沢はんは裏でも丁々発止のええ働きをしとるんや」

「さらに余計ですよ、丸島さん」

 ひとり愉快げに笑う丸島に、呆れ顔のヒノエ、諦観して目を伏せた伊沢。そして――猿渡は何故か木陰から様子を覗っている。ミエコは緊張感の欠片もない面々を見て苦笑を浮かべた。

「……暇ね。いつ現れるかも分からない怪異を、こんな夜の神社で待つしかないって」

 ふぅ、とついた乙女の溜め息が宵闇に融ける。

 ミエコは微かに残る夕焼けの朱を頼りに、改めて境内を見回した。

 一見何の変哲もない神社であった。社殿があり、手水(ちようず)があり、由来があり、石碑があり、石畳があり鳥居がある。昼であれば、この広い境内は絶好の子どもの遊び場であろう。ミエコは子どもの喧騒を想像しながら、僅かに唇を噛んだ。


 だが、此処は違う。

 日本全国津々浦々、怪異を統制する『羅刹』は歴史上の表に顔を出さない。陽光の下を歩むことなどなく、月華に血塗られた道を歩んできた。千年に渡る歳月、その営みには常に何かしらの隠れ蓑を必要とした。

頬杖をつきながら見渡せば、境内一帯に薄ぼんやりと白い靄がかかっている。人はおろか怪異も結界と()()が稼働している限り、認識することすらも出来ない。異能によって()()()()()()()は、昼の顔と夜の顔を適切に使い分けてきた。

()()()()()()()()()()()なんて、国民には知らせられないわね」

「そう言わんといてぇな、ヒノエはん。敵機は怖うなくてもな、幽霊は別や。夜間訓練の真っ暗な空やで。訳の分からん光が寄ったり離れたりしたら、――そら肝も冷えるやろ」

「あら、軍の肩を持つの? 丸島さん」

「意地悪な問いやで、ほんま」

 丸島はガリガリと後頭部を掻き、肩を竦めてから地べたに腰を下ろした。



 姫の命令――帝都上空に現れる『赤い稲妻』の調査。

 しかし、その内実はあまり褒められたものではなかった。

「夜間訓練中の部隊が怪異を目撃。しかも複数人、数日間に渡り、ですよ。あまりの頻度に一部兵士が怯えてしまい、部隊内で流言飛語も飛び交う始末。敵国の新兵器――とはとても思えず対処のしようもなし。二週間は箝口令で抑えたものの限界が来て、姫に解決を泣きついた……。まぁ、確かに国民には伝えられませんねぇ」

 伊沢は扇子を閉じ、口元に苦笑を浮かべた。

「確かにただの稲妻じゃありません。音もなく、赤く、しかもゆっくりと――。まるで操縦士を覗き込むように……、あるいは嘲るように自由自在に飛んでいたようです」

「赤く輝く竜に跨がる人影を見た――なんて話もあるんでしょ?」

 ミエコは膝で頬杖をつき、

「何よその怪異。アメリカのロデオ? 赤兎馬に乗る呂布?」

 と気の抜けた問いをした。意外な言葉だったのか、ヒノエが小さく喉を乗らして笑った。

「それこそ何よ、ミエコ。吉川英治でも読んだの?」

()()()()()()に乗るって言ったら、それくらいしか浮かばなかったのよ」

 ミエコが不図空を見上げると、()()()()が不気味に輝いているのが見えた。

「皇軍兵士といえど人間ですから。我々のように怪異には全く慣れてないんですよ。――ほら、ああいう反応が寧ろ普通ですよ」

 伊沢の扇子が指し示した先。

 猿渡はいつでも逃げられるように、境内端の木陰に身を潜め、こちらを覗っている。相も変わらず、()()()()()()()()であったが。


「お猿さん、こっちに来なさいよ! まだ何も出てきてないじゃない」

「ま、()()って言ったな! 絶対これから来るんじゃネェか! 俺は化け物に食われたくネェぞ!」

 木陰で怯えながらキャンキャン吠える。猿というより犬の如し。ミエコは笑みを浮かべてヒノエに視線を送った。

「お猿さん、アンタのいる場所は、この世と彼の世の端境よ。亡者達が生きているアンタを羨ましがって、真っ白い手で地獄に引き摺り込むわよぅ」

 口元を歪めて嗤ったヒノエの脅しに、猿は「ヒィッ」と悲鳴を上げて本殿へ駆け込んできた。薄墨色の宵闇でも瞭然(ハツキリ)分かる青ざめた泣きそうな表情(かお)である。ドタドタと不器用に走る様は酷く滑稽であった。

「あら、化け物が来る場所は厭なんじゃなくて?」

「な――、仲間はずれはもっと厭だからな! それに俺は、内務省本省にちゃんと報告する義務もあるしなぁッ!」

 引き攣った笑みの虚勢が痛々しい。

 すると、伊沢が「そこまでですよ、ヒノエさん」と珍しく直言した。

「間もなく目撃の時刻です。猿渡さんは本殿の影へ。これ以上、陸軍に迷惑は掛けられませんし、()()()()()()()も避けたい所です。今回の件は我々が収めますので、内務省経由で軍にキチッと説明しておいてください」

 それから漸く術士らしい笑みを浮かべた。

「さて――、件の怪異を誘い出すと致しましょうか」

 扇子が乾いた音を立てて閉じられた。



()()()()()を以て――」

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