第61話 目指すべきものは同じなのよ
「今日ばっかりはアンタらしくない、とは言わないわよ」
喫茶ろまねすくの片隅である。ボックス席で向かい合う二人の乙女の間には、外の陽気と対照的に空気が淀んでいた。ヒノエは瞼を細め、対座するミエコを見遣った。
先日の人造人間逃亡劇は散々な結果に終わった。肝心の人造人間は激しい銃火をものともせず、夜の闇に紛れて遁走した。どうやら川へ潜ったらしく、残留する感情や意思を辿れるヒノエの千里眼を以てしても、そこからの追跡は困難だった。
巨大ロボットを見失い。
教祖を逃し、中宮を奪われた。
調査は失敗。追跡も空を掴んだ。
しかも――。
「……知ってたんでしょ、ヒノエ」
ミエコの声は沈んでいたが、責める語調ではない。級友が事件に巻き込まれた――例のブローチを見つけた時点で共有されるべきだった。生と死が常に隣り合う、紙一重の世界に身を置いているのだ。些細なほころびが致命傷に繋がることは、ミエコ自身よく知っていたはずであった。
「そりゃあね」
黒衣の巫女はあっさりと呟いた。弁明も躊躇もない、いつも通りの声色である。
「知ってたんなら――、なんて言わないわ。隠してた私が悪い、……そうでしょ?」
「……」
激情に溺れることはない。ただ、透き通るほどに澄んだ乙女の意識の周縁に、積み重ねられた事実があまりにも暗いのだ。
「私はね、ヒノエ。アイツのこと嫌いじゃないのよ」
ぼつりと言葉を落とした。
「いつもぶつかってばっかりだったけど、アイツはアイツなりに真正面からぶつかってきた。陰口を叩いたり、逃げたりする訳でもなく、自分の矜持を確り持ってた。その中宮が、よりにもよって――、邪教の教祖に」
――利用されたのだろうか?
利用とは何だ?
どうして中宮なのか?
怪異や異能に利用される、素質? 家柄? それとも――。
「深く考えたら駄目よ」
ヒノエがキッパリとミエコの懊悩を斬り捨てた。
「見たでしょう、あの様子を。中宮冴子に意識はない。どう見ても操られてるじゃない。なら、やることは一つよ。――あの男をぶん殴って中宮を取り戻す。それだけでしょ」
それはそうなのだ。
あまりに単純な答え。冷静な乙女達は、言葉にするまでもなく疾うに理解している。それでも他者の口から言葉を求めてしまうのは、人間の弱さである。
「分かってるわ。でもね、……あぁ、ダメね。怒られるって分かってるけどね。私はね、まだ聖ウルスラ高等女学校の生徒でいたいのよ。中宮が――事件に巻き込まれて、平穏な日常から、私みたいに踏み外しているのを、認められないのよ」
語るほどに言葉が乱れていく。話ながら分かっている。感情の波が揺らす語彙の乱れに、揚げ足を取るような愚か者はここにはいない。
ヒノエは深い溜息をついて、茶を静かに啜った。
「昔の私だったら、さっさと『羅刹』を辞めろ、って言ってたわ」
態々の前置きに込められた優しさを、ミエコも即座に理解する。
「級友ってのが私にはよく分からない。アンタがそれを認めたたがらないのも、正直ピンと来ないわ」
けどね、と黒衣の巫女は凛と瞳を見開いた。
「だからこそ、でしょ、ミエコ。その矜持があるからこそ、命を懸けて戦わなきゃいけない。アンタの守ろうとしている場所は、『羅刹』のそれと、何も違わないわ」
人の世を怪異から護る――。
何も悩む必要なんてなかった。級友という事実に苦しむ必要なんてなかった。自分達は同じものを守っていたのだから。
ミエコは小さく息を漏らすと、視線を上げてヒノエを見た。
「……そうね。ありがとう、ヒノエ」
お転婆娘の大人びた微笑みに、「そういうの、アンタらしくないから」と黒衣の巫女は口を尖らせた。怒ってやろうと思ったが、ミエコは軽く流すように歯を見せて笑った。
「ミエコ様も、随分とご成長なさいましたねぇ」
奥から現れた近堂が、穏やかな調子でコーヒーを差し出した。
「マスター、そういうのは面と向かって言われると恥ずかしいのよ」
「これは失礼を。ですが、謝意や賛辞というものは、直接言葉にしなければ中々相手に伝わらないもので御座います。言霊石であろうと、声でも同じで御座います。形を得た言葉こそが本来在るべき意思疎通――、というもので御座いますよ」
心を読めてもそれは傍証に過ぎません、とマスターは微笑んだ。ヒノエへの嫌味に聞こえたミエコは僅かに眉を顰めたが、ヒノエは
「それはそうね」
と微塵も動じずに茶を啜った。
「言葉は意志の表明だもの。これに勝るものはないわ。……ところでマスター、この間の戦いでカガチの舌はどうなったの?」
「損壊致しました」
近堂は眉ひとつ動かさず、微笑みの儘に答えた。
「装弾に相変わらず難が御座居ましてねぇ。機構的な問題でしょうが、壊れたらなば代わりを用いるだけで御座います。皆様をお守り出来たのであれば、壊れた武器も本望でございましょう?」
なるほど、そういう見方もあるか。
ミエコがヒノエに目配せをすると、心を読める漆黒の乙女は僅かに唇を緩ませていた。
笑っているのだろう。
誰かさんを思い浮かべて。
「そうね。いつか問題が解決すると良いわね」
ヒノエの評に一瞬だけ首を傾げた近堂を見て、ミエコが小さく笑みを漏らした。
――その時。
カランコロン、とドアベルが店内に響き渡った。
振り向けば、珍しい組み合わせの3人組が随分と辟易した顔で入ってきた。
「伊沢に丸島さん、それに――どうして猿渡がいるのよ」
デコボコどころではない。長方形に三角形に円形である。ミエコが半ば呆れ気味に笑うと、伊沢は口の端を歪ませた表情のまま、隣のボックスに腰掛けた。丸島も猿渡も続いて座るが、珍しいほどに無口である。
「あぁ、ミエコさん。この度は災難でしたね」
疲労を滲ませた声色が珍しい。
「知ってた癖に。悪い男ね」
ミエコの冷たい物言いに、ヒノエはくくっと笑い、伊沢は苦笑した。
「まぁそう仰らないで。組織の上に立つ者の務めです。……まぁ、だから骨が折れるんですがねぇ」
いつもの伊沢らしくない。
それを言ったら全員そうだ。意気揚々と自分語りをする猿が、挨拶をする丸島が無言を貫くなどあり得ない。誰もがどこか沈んでいる。
「雁首揃えて随分と陰気じゃない。――何? 貴方達が裏でコソコソ動いてた関係の話かしら?」
「それこそ陰気な言い方やなぁ、ヒノエはん」
ようやっと丸島が口を開いたが、普段より一段調子が鈍い。
「何か御座いましたか、伊沢様」
いつもの調子の近堂が静かに声を掛けた。
「――いえ、大した事ではありませんよ。ただ――少々厄介なだけです」
伊沢はネクタイを緩め、深く息を吐いた。
「ヒノエさんに、ミエコさんにも伝達致します。姫からの依頼です」
一瞬の静寂が挟まった。
「――最近、帝都上空に出没する『赤い稲妻』について対処せよ、とのことです」




