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第59話 影は影を呼び宵闇を塗りつぶし

 横浜の空を染める墨色に、御影大佐の肌は気色悪い白を浮かべていた。電灯は暖色のボンヤリとした温かさなのに、顔色は幽霊画のそれである。晩夏の夜寒とはいえ相変わらず見るだけで汗が噴き出そうな外套を纏っている。闇に浮かぶ冷たい貌は、まんじりともせず乙女を見つめていた。



「奴らを追うな」

 外套から抜き出た白手袋さえも、冷たそうである。

「み、御影大佐――」

 久々の邂逅とはいえ今が今である。

 乙女は僅かに首を振った。

「……どういうことよ、それ」

「どうもこうもない。追うなと言っているのだ」

 語気が僅かに強い。そもそも問うなとでも言いたげな態度に、乙女は手に握った拳銃の銃把(グリツプ)を強く握り締めた。

 今はこんな所で止まっている場合ではないのに、と。

「あの男も、()()()()()()()()()も、あのロボットも――、だ」

「なんで! アンタには関係ないわ!」

 羅刹と関わりのある陸軍軍人、神宮司家とも関わりがあると言っても、ミエコには全く関係ないことだった。軍隊組織の上下もない、忠義も義理もない。闇に舞う羅刹の(ともがら)だとしても、それ以前に乙女の矜持が現実(連れ去られた級友)を許さないのだ。

 ミエコの感情を高ぶらせた叫びに、御影は酷く深い溜息をついた。

「――まったく。猪突猛進も良いとこだな。じゃじゃ馬どころかイノシシではないか。少しは大和撫子らしい()(おや)()にでもなったらどうだ?」

「なんですって!」



 安い挑発だ――。

 乙女の軽やかな脳味噌は高ぶる激情とは裏腹に落ち着き払っていた。御影大佐が、――()()()()()()が態々悪態をつく時は、目的から逸らさせるための誘導であろう。感情を顔に滲ませつつ二十六年式拳銃の銃口をそれとなく上げた。

 撃つ気などなどない。

 銃口が御影の足下を捉えた辺りで、

「安い挑発は止めろ」

 呆れたように肩を落とした。

「それはお互い様でしょ」

 御影の視線が、鈍い反射光を湛える銃身を舐めた。きっとこの銃がどういう銃かも知っているのだろう。乙女はそれでも銃口を下げはしない。

「……物怖じしない勇敢さは褒めてやる。それに銃も良くなったようだしな」

 いいだろう――、と御影は軽く手を叩いた。

 それでもミエコの行く先は塞いだままだった。



「あのロボットも、あの男も――、いえ、危ない薬も含めてね。アンタ、一体全体ここで何してたのよ。汚い金で――」

「お転婆娘。あの猿(特高警察)からどこまで聞いてるかは知らんが、我々は(やま)しいことなどしていない」

 一切の感情を排除した音調(イントネーシヨン)だった。

「内モンゴル経由の危ない薬『ペルビチン』の密造、――その金が陸軍に行くなら分かるわ。大佐、アンタ達は麻薬もやってたんでしょ? 別に新しい薬に手を出したところで、特段驚きはしないわ」

あの馬鹿(城戸太一郎)が巻き込まれてるのも、――それはそれで癪だわ)

 そうだ。

 脳裏に過る『人並みの世界』で生きる人達は皆、こんな薄汚れた世界に関わっちゃいけない。威丈高な愚か者と言えど、大佐が焚きつけなければただの痴れ者で終わっていたし、それで良かった。中宮だってただのムッツリ眼鏡でよかったのだ。

 軍部や怪異に絡むと人生を狂わされるだけだ。

 だからこそ、現実と悪夢のあわいに生きる乙女は、昂然と顔を上げ御影を強く睨んだ。

「――ほぅ」

 御影が物珍しそうに小さく呻いた。

「不透明な金なのは百歩譲って目を瞑るわ。正直どうでも良い。でも分からないのは、金の流れがどうして『暗黒の知啓団』に辿り着くのか――よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。不透明な金の向かう先が奴らなら、陸軍と奴らに『密約』があるんじゃないかって、小学生でも予測できるわ。――で、蓋を開けたらどうよ?」



 鉄工場跡の密造工場に佇む巨大ロボット。

 血肉が散らばる惨劇。

 暗黒の知啓団と級友。

 追跡を阻害するのは羅刹と関わりが深い御影大佐――。



「これで疚しくないの? 邪教の手伝い、国家転覆を狙うような輩に手を貸して、本当に疚しくないって、胸に手を当てて神様に誓える?」

 外なる神への宣誓などせぬ、と御影は口を曲げた。

「よく口の回る女だ、まったく。……だがさっき言った通りだ。疚しいことなどない。全てはこの大戦争に生き残るために必要な投資であり、犠牲だ」

 犠牲――。

 脳裏に過るのは赤黒い肉片の無惨な散らばりであった。

「あの工場で死んでた人達も、その犠牲だって言うの!」

「そうだ」



 ――()()()()()()()()()

 凪いでいた御影の口調が、俄に波立った。



「犠牲のない平和などない。一時の平穏も、恒久の平和も、数多くの犠牲の上にのみ成り立っている。その血を流すのは我々(軍人)だけでは足りない。敵も味方も、軍人も民間人もだ。全員が必要な血を流さねば、あの男の言うような『絶望』が世を覆うことになる」

 御影は不図、視線を逸らしてから目を瞑った。

「人間同士が世界中で殺し合っているのだ。地球上ありとあらゆる地域で怪異が活発化し、目も当てられぬ事態になる。否、()()()()()()()()()()()()かも知れない。その時に備えがなくてどうする? 対抗する術は――」

 お前の見たアレだ、と静かに呟いた。



「ま、まさか、あの大きなロボットが――、怪異の」

「我々の()()()()、試製大型人造人間(ロボツト)()()()()()()――、だ」

 きっぱりと、再び感情は凪いだ。

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