06.現れし死神は朽ちた天使の形
黒い布がまるで蛇のように身体に纏わりつき、その細々とした肢体を彩るブラックドレスへと変貌を遂げる。
黒い布が鞭のようにしなり、自在に動き回る。
先ほどまで、彼女の枷として機能していた封印装置の黒布が、彼女の文字通り手足として服従している。
「魔術の中でも最高レベルを誇る“異式”。封印術式に限定したらその数は約五つとされてるわ。しかし私を封印した彼女は違った。彼女はその場で新たな術式を作成し、私に封印を施した……正しく規格外。そんな彼女が作ったこの黒布も別格よ。身体に馴染むわ」
不敵に微笑を浮かべ、彼女は迫る。
レヴンはその手に持つ剣を前面に構え、動かない。
「封印術・異式──グレゴリオの聖骸布。彼女が使った封印術式の中でその場で作成したものではなく、唯一既存のもの。その効果は自在に操る黒布を持って対象を捕縛する。そして捕縛されたものの術式構築能力を低下させる。つまり、この黒布に捕縛された対象は例外なく魔術を使いづらくなるわけだけれど。低下させる程度なら、強力な魔術師はB級クラスの魔術でも使えてしまうでしょうね。しかし、黒布自体に非常に強い魔耐性があるため、魔術で斬り裂く事はできず、永続的な弱体化を強制できる弩級の術式なの。その封印を“彼女”が使えば……完全に対象者の術式構築能力を無効化出来る。魔王である私でさえ、ほぼ魔術が使えないわ。度し難いことにね」
得意げに語るそれは自身を封印せしめた人間への称賛だった。
それも特大の。会ってまだ数分と経たないレヴンでさえ、その言葉に嘘偽りがないと察せられる程の賛美。
レヴンはだからこそ、眉を顰めた。
「しかも見て。この硬さ。動きにくさも半端ないの。それもそうよね。元よりこれは拘束を目的とした術式。今の私みたいに自由に行動出来ていること自体がおかしな話なのだから」
指差した先の地面に向かって黒布は突き進み、地面は粉々に粉砕された。
少なくとも鉄の硬度程度はあるのだろうか。
そんな予測を立てたところで、ついにレヴンは口を開いた。
「自身の不利を開示。そこに何の意味が?」
「分からない? ハンデだと。そう言ってるの」
直後。屍肉に群がる蠅のように。或いは巣にやってきた敵を攻撃する兵隊蜂のように。
それぞれ勝手に動き回っていた黒布が一斉に起動。
縦横無尽に真白な空間を翔け、不規則な軌道を進み、そして、八方からの絶対不可避の攻撃がレヴンを襲った。
逃れる事は許されない必中の黒閃。
その威力は先ほど証明されている。加速なしの攻撃で地面が容易く砕ける威力ならば、広大な空間を駆け巡り、加速を充分に経た威力は想像もつかない。
それこそ人体など瞬時に肉片となり爆散する事だろう。
防御に木を回しても被害が想像出来ないならば、回避に専念するする他ない。
それを理解して尚、
「何……? 接近戦に持ち込むつもり?」
レヴンは前へと走り出した。
剣を前に構え、前傾姿勢での突貫。
その姿に迷いは微塵もなく、ある種無謀な作戦にも思えた。
「馬鹿ね。木っ端微塵に消し飛びなさい」
期待外れか。
トットは落胆した様子で嘆息する。
だがその予想は裏切られることになる。
接近する黒布。
総勢三二の黒布がレヴンに迫り、岩盤を撃ち貫く威力を持ってその肉体を──
「な」
パヂィン! と甲高い音を立て、
貫く前に霧散した。
直後。
黒布の密林から顔を出すレヴン。
攻撃と守りの両方を兼ね備えた完全なトットの策はかけらもレヴンには通用せず、構えた剣はレヴンの加速のまま上段に構えられた。
そして、トットの身体を斜めに袈裟斬った。
「かっ……は!」
充分な助速とレヴンの腕力を持ってして振り抜かれた剣の攻撃は、呆気なく魔王の身体を斬り裂いた。
それこそ僅かな罪悪感が生まれる程に。
それもそうだ。相手の見た目は少女そのもの。
顔こそ半分しか見えてはいないが、身体も声も、子供と変わらないのだ。
今まで多くの魔物や悪漢を殺してきたけれど、子供は経験がない。
それでも躊躇なく腕を振り抜けたのはきっと──
「く……クク……クククッ……面白いわね。ええ! こんな感動は八◯◯年ぶり!」
袈裟斬りされた生々しい傷からどくどくと血を流し、口から流れる血を拭い、トットは歓喜の叫びを上げた。
「血が赤いな。魔物にしては珍しい」
「うるさいわね。純正じゃないのよ……そんなことより」
トットは艶かしい吐息を漏らすと傷口はグジュグジュと音を立てて再生を始めた。
瞬時にして傷は癒え、黒布もちぎれた部位同士がひっつき合い、傷は消えてしまった。
「術式の気配はない。詠唱もない。かと言って術式無効の様子もない。更に結界内まで来た……いや、来れたその力。肉体に強化の術式をかけていない様子! あはは!! まさか、あなたそうなのね! 神達に愛されし者!」
狂気じみた笑いが真白な空間にこだまする。
レヴンの正体を瞬時に特定せしめた彼女の言葉は、彼女の知識の深さを示していた。
更に言えば不意をついたレヴンの全力の攻撃も今では無かったことにされてしまった。
“術式が使えない”。彼女の言葉をそのまま受け止めるのであれば、そもそも肉体に備わった機能と考えるのが妥当だろう。
それ以外であれば、嘘、かまだ隠していることがある、という話だが。
どちらにせよ魔術はレヴンには通用しない。
再び剣を前面に構える。
「あなたよく今日まで生きて来れたわね。術式が使えない身体じゃあ不便な人生でしょうに」
「不便でも不服でも、やらなきゃならないさ。自分の人生なんだから」
「ふふ、間違いないわね。でも考えてる事を実行するのは、誰でも出来る事じゃあない。しかも、自分の身体が邪魔をしてくるのだから、普通は諦めるものよ。見る限り、戦闘の心得も充分にあるようじゃない。明らかにあなた異常よ」
称賛の言葉。
しかしそれは、結界を作った主に対してとはうって変わって、酷く冷たいものだった。
強いマイナスの感情を含んだ声音。
軽蔑ではない。忌避でもない。
どちらかというとそれは──嫉妬のような。
「お褒めの言葉はありがたく頂戴するよ。ついでに君の命も貰おうかな」
「あら?」
両者逼迫した状態、緊張の糸が張り詰め、レヴンの言葉の直後、それが切れる。
空間を割るようにして現れたのは黒い輪を頭上につけた襤褸布を着た巨大な骸骨。
その三〇メートルはあるだろう体躯の中で、目を引くのは漆黒の鎌だ。
両手で持つ巨大な大鎌は、禍々しいオーラを放つ。
不敵に笑うレヴンは告げる。
「さぁ、審判の時だ」
魔王のその最後の刻を。




