05.大魔王は艶かしく笑う
魔王トット・トリアーナ・エスペランサ。
かつて、大陸の半分を滅ぼした恐怖の大魔王。
彼を滅ぼした最強の勇者パーティ。
そのパーティに所属した聖女が作り出したと思われる封印結界の中は、凡そ奇怪と呼べるもので。
それはレヴンにとって初となる体験だった。
ふわりふわりと重力を感じさせない浮遊感。
真っ暗闇の中、ゆっくりゆっくりと落下してゆき、尚且つ肌などに水がまとわりつくような感覚もない。
吹き抜ける風もなく、身を包む水分もない。
ただひたすらに虚無の空間を落ちる感覚は、一種の恐怖を引き起こす。
足場が無い恐怖。いつまで落ちるかわからない恐怖。もしかすれば、一生このままでは無いのか──そういった疑問を彷彿とさせる程に。
しかし終わりはやってきた。
小さな穴のようなものが真下に出現し、徐々に近づくとそこから重力のある空間へと到達。
すたりと、突然の環境の変化に負ける事なくレヴンは対応して着地した。
「さて、と」
充分な警戒を張り巡らせていたが、その必要はないと気を落ち着かせる。
辺りには魔の気配はなく、尚且つ生き物の気配もない。
無の空間と呼ぶべきだろうか。
半円のドーム状になった真白の空間であり、町一つがすっぽりおさまってしまうくらいにきょだいなくうかんだ。
そこには何も無いように思えた。
しかし、
「封印の結界に加えて、隠蔽の魔術式が幾重にも重ねられているのか……厳重だな」
益々自身の推測が確実になっていく気がして。
レヴンは唾を飲み、喉を鳴らした。
見えはしない。
しかし確かに感じる存在に、手を伸ばした。
薄い布のような結界は、隠蔽に特化したものなのだろう。
或いはレヴンの祝福がなければ触れる事すら出来なかったのかもしれない。
布のような結界はそれこそ溶けるように触れた側から崩れ始め、中にいる者を露わにした。
「な……」
思わず言葉を飲み込んだ。
布の結界が覆い隠していたのは美しい少女だった。
床まで付く長い銀髪はまるで糸のように美しく、陶器のような白い肌は触れてしまえば壊れそうな程に脆く美しい。
それ程に美しい少女を見た事は無い。
だが、レヴンが言葉を飲み込んだのは少女の美しさではなかった。
「何だ、この封印は」
一つ目の封印、十字架。
十字架に磔にされた少女は、その両の掌を釘のようなもので打ち抜かれている。
二つ目の封印、黒布。
全身に巻きつけられた黒い布はギチリと少女の柔肌を締め付け、その身体を十字架に固定している。
三つ目の封印、白鎖。
ドームの天井と地面から生え出す白い鎖が黒布の上から巻きつけられ、更に彼女の手首足首に枷も取り付けられている。
四つ目の封印、赤い結界。
十字架を覆う角張った赤い結界が、常時その姿を変化させながら彼女の周りを囲っている。
五つ目の封印、青玉。
その結界の周りをシャボン玉のような球がいくつも浮遊し、旋回している。
それらの封印全て、レヴンは初見だった。
初めて見る──勇者なのに。
今まで五年の間、調べ、経験し、知識として溜め込んできた、魔術知識全てに存在しない結界術式の数々を目の当たりにして、レヴンは驚いたのだ。
恐らく眼前の結界術式のどれもが、最上級に位置する結界術式なのだろう。
最上級結界術式五つを総動員させ封印されているのがたった一人の少女。
あまりにも不釣り合い──それこそが、少女の危険性を物語っている。
黒布で彼女の瞳は眼帯のように防がれている為、彼女が起きているのか死んでいるのかすら判断はつかないが、このまま退散する事こそ最善かもしれない。
普通の冒険者であればその判断を下すだろう。懸命な勇者であれば、一回立て直しをする判断をするくらいには、現在は情報がない。
そもそもこの空間から出る方法も模索しなければならないのだ。
難敵を相手取り消耗した後、出られませんでしたでは話にならないからだ。
色々なことに考えを張り巡らせているはずのになぜか、レヴンは少女から目を離せなかった。
なぜこんなに気になるのか、自分でも理解できないくらいに。
その時、
「誰か──いるのかしら?」
少女の小鳥のような声音が囁かれた。
まるで一国の姫が出したかのようなか細く、美しい声。
レヴンは即座に剣を抜き、警戒態勢に移った。
美しさを武器に冒険者を何人も亡き者にした魔物を知っているレヴンからすれば、美しさは剣を止める理由にはならない。
「けほっ……けほっ……ごめんなさい。話すのは久方ぶりなもので、調節が難しいわね。あなた、今は何年かしら」
少女とは思えない程、大人びた雰囲気を内包した話し方だ。
王家関係者と話した事くらい、勇者のレヴンならば当然一つや二つあったが、姫や王子くらいの年頃はまだまだ言葉遣いに幼さが抜けていなかった。
それを考えると、眼前の少女は見た目通りの年齢ではない可能性が高い。
そもそも何十年と封印されてきた存在なのだ。
自分より歳上であることは間違い無いだろう。
「ミハ暦四五六年だ」
「ミハ暦……? 知らないわね。確か私の時は何で呼ばれてたかしら……覚えてないわね。そもそも呼び名とかあったのかしら」
直近の暦さえ知らない事実にレヴンは目を丸くした。
四五六年より更に前からの封印。
一体どれほど昔から封印されていたのか。
そして、本来なら餓死寸前の拷問になる筈の結界内でピンピンしている少女の力は一体──
そして、レヴンが少女の底の見えない力に驚愕したその時。
確信をつく言葉が出た。
「勇者イクスは知ってるかしら」
「勇者……イクス、だって」
「彼が生きてた歳から数えると、何年前?」
「……丁度、八百年前だ」
「八百年。そう、八百年も経ったのね」
感慨深いようにしみじみとつぶやく少女。
しかしそこに悲観の様子はなく、寧ろ笑みを浮かべてレヴンに続けて問う。
「よくここに来れたわね。どうやって来たのかしら?」
「僕の祝福は結界を破壊出来る類のものだ。それでここに来た」
「へぇ! 凄いわね。これを作った本人が言うには、壊される事のない結界と、自信満々だったわけだけれど。見事八百年でそれは覆されたわけね。あぁなんて──滑稽なこと」
ふふふと笑う彼女の笑みはどこか不気味だった。
「それであなたはどうするつもりなのかしら。私を、殺すの?」
「必要があるなら」
「あら、随分と冷めた答えね。八百年ぶりの人との会話よ。もう少し張り切ってくれてもバチは当たらないわよ」
「君が何者か分からない以上、仲良く話すつもりはないよ」
徹底した拒絶の態度に、少女は艶めかしく微笑を零す。
人と対話をしている感じがしない。まるで人の皮を被った何かと話しているかのような──異様感。
一切気を置けない状況に、レヴンは唾を飲んだ。
緊張で視界が狭まり始めたレヴンをよそに、少女は静かに笑いながら問いかける。
「そしたら取引をしない?」
「なに?」
「私にはある程度、願いを叶えるだけの力があるわ。あなたの願いを叶える代わりに、私の封印を解除してくれないかしら」
それはある種、魅力ある提案だった。
彼女のいうことが真実であれば、レヴンにとって好都合なこと間違い無い。
現状、レヴンのとある目的はほとんど他人任せだ。
ニサッサとその直轄に当たる諜報機関が全力で捜索してくれてはいるものの、五年かけて未だに見つかる気配はない。
だが、問題は多い。
まずこの問題を解消できるのか、確証がないこと。
次に相手の正体が知れないこと。
この二つの問題があまりにも大きすぎた。
レヴンには気安く頷ける問題では──
「──瘴気の魔王」
「……なに?」
「あなたが探している魔王よね? まぁ、私達の間で“それ”を魔王と呼称するにはいささか力が足りないかも知れないけれど、兎に角、君達人間の間では魔王と呼ばれているみたいね。何々、へぇ……そんな事が」
「お前……記憶が読めるのか!」
咄嗟に身構える。
放たれる殺気は極上。
すぐさま首を刎ね飛ばせる状態に移行するが、くすくすと嘲るように少女は笑って、
「急がないの。あくまで情報が勝手に流れてくるだけよ。なんていうのかしら。相手が咄嗟に考えた一瞬のことが映像で流れてくると言った具合かしらね。だから、知りたい事を知る事は出来ない。誘導する事は出来るけれど」
つまり誘導して、今の状況を引き出したという事だ。
それを理解したレヴンは顔を歪める。
「悪趣味な」
「仕方ないわ。交渉材料だもの」
「これだけの封印を施されている化け物を、解放する理由にしてはあまりに私情すぎる──だから」
空中をおもむろに掴み、引き抜くように腕を引けば現れるのは一つの羊皮紙だ。
そこには絶対遵守とタイトルのように大きく記載されている。
「絶対盟約の法。これを使うなら君の条件を飲む」
「へぇ……欲には忠実。いや、それだけの執念があなたをそこまで強くしたのね。興味深いわ」
少女は不敵に笑う。
少年が持ち出した魔法紙の事を理解しているからだ。
──二者間に於けるありとあらゆる、魔術的縛りを儲けた契約。
世界魔法と呼ばれる誰でも扱える魔術の一つであり、祝福により魔術を使えないレヴンですら利用出来る魔術である。
その効果は簡単。
二者間に於いて一度しか使用出来ない代わり、一つの約束事を設ける事ができる。そしてその約束事が破られた場合、命を落とす。例外なく。
「僕が君に要求するのは、僕が君を拘束する魔術を全て外す代わりに、君は僕に“瘴気の魔王”の居場所を教える事」
「ええ。約束しましょう」
「それと、人を脅かす全ての行動を禁ずる。思うのも無しだ」
「ええ。それも約束しましょう」
「魔術の使用も制限する。使えるのは初級のものまで。生活に支障がない程度のものまでだ」
「要求が多いわね。用心な事」
「当たり前だ。得体の知れない化け物相手には……破格の処遇だろうさ」
レヴンの言葉通り、羊皮紙には契約が焼き記されていく。
それはレヴンと少女間のみで通る契約だ。
これが他者に適用される事はない。
それでも、契約内容はあまりに縛りが強かった。
互いの要求の吊り合いが取れていなければ、途中で焼き記されていく文字も止まるのだが。
スラスラと進んでゆく文字の快活さを見ると、少女の今後の生涯に於いての拘束より、現在の結界の拘束の方が重いらしい。
レヴンは徐に歩を進める。
レヴンの障害となるのは五つ目の結界、青玉。
少女の周りを旋回するシャボン玉のような青玉は一見、子供達が集まる広場などで披露すれば大喜びではしゃぎそうな程、綺麗で幻想的だ。
ともすれば中に入れてしまいそうな。そのままふわふわと浮かべそうな、そんな想像を掻き立てる青玉に、触れる。
直後、爆発。人一人など軽く吹き飛ばす超火力の爆発がレヴンを次々と襲うが、そのどれもレヴンにとってすれば痛痒にすらならない。
第四の結界、赤い変幻自在の結界は常時のその姿を変え、毎度その強度や情報を書き換えているようだった。
結界とは基本、超高密度の術式の羅列により完成する方程式の檻のようなものと言われている。
その方程式で答えを出したものだけが結界を解除出来るのだと、知り合いの術者がレヴンに鼻高々に語っていた。
その結界の中でも数秒で内容を変えるこの赤い結界は最上級のものであろう。
触れるだけで計算を踏み倒すレヴンは正しく結界使い泣かせと言えた。
第三の結界、白鎖。
純粋な拘束としての力は勿論、魔術の源である魔素を吸収し続ける仕組みを持つ凶悪な代物だ。
それをまたしても触れるだけで灰へと変えてしまうレヴン。
勇者であるはずなのにまるで魔王の行進のような、驚きの光景に少女も開いた口が塞がらなかった。
黒布で塞がれた目でも尚、状況把握だけは出来る。
八百年自分を拘束し続けていた最強の結界三種が瞬く間に破壊されているのだ。
驚くなという方が無理だろう。
焦げ臭い匂いを出して、羊皮紙はつらつらと、レヴンが歩を進める間も契約内容が記されていた。
レヴンの告げた内容全てが紙に収まったところで、
「契約者レヴン・マレディクス。君の名は」
レヴンは自身の名を告げた。
それが契約に必要な順序だからだ。
契約の内容が記された時点で契約者の名を言う。
順じてもう片方の契約者の名を告げる。
これで絶対盟約の法の契約は完了となる。
その最後の刻になって、少女はうっすら笑い、
「私の名は──トット」
名を告げた。
名前の響きとは裏腹な恐怖の名を。
世界に君臨した大魔王の名を。
「な、なに!?」
「もう遅い」
手を引きかけたレヴンを後押しするように何かが背中を押す。
引き戻される、少女の元へ。
勢いよく押された先、少女の足にあたる柱に触る。
その瞬間、パキィンと取り返しのつかない甲高い音が鳴った。
咄嗟に身を引くレヴンは既に厳戒態勢だ。
息は荒く、身構えた剣先も少し震えている。
見据える先、磔にされた少女の腕を拘束していた黒布はシュルシュルと解かれ、釘もズプズプと肉を掻き分けて引き抜けた。
ゆっくりと、天使でも舞い降りるように重力を感じさせない動きで地面に降り立つ少女。
身体に巻き付く黒布のみが彼女の服となっている。
「ふふ。悪くないわね、借りるわよ聖女様」
黒布を一撫ですると意志を持った黒布は彼女の服を模っていく。
適当に巻きついていただけの布は規則性のある巻きつきに代わり、一種の服のように変わり果てた。
見た目は未だ囚人のようだが、黒い姫の様にも見えた。
「その名を口にするのはこの世で一人しかいない。まさか……君が」
「まだ親しみを持った言い方をするのね、レヴン・マレディクス。好感が持てるわ。来世があったなら、ペットか足拭きくらいにはしてあげましょう」
後悔はあまりにも遅い。
ただひたすらに今後の展開に想像を馳せる。
どんな危機的状況でも乗り越えねばならない。
これは自分が欲を出した結果なのだから──!
「改めて、私はトット・トリアーナ・エスペランサ。はじめまして、そしてさようなら。世界を一度、蹂躙せしめた大魔王の前に跪き、その儚い命を差し出しなさい」




