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大寒

「なんでだ、主語はIなんだから、be動詞はamだろう…どうしてisなんだ…」


結城くんがわたしの書いた英作文の紙をもって、声を震わせた。


「ちょ、こまかいところはいいから、流れ掴んで!流れを!結構いい内容が書けたと思うんだ」

「いや、受験で大事なのは、いかに文法的に破たんがないかだから。どんないい文章でも、文法が違ったりスペルが間違ってたら0点だから」


なるほど現実は厳しい。まったく、世知がない世の中だ。




今、私たちは結城くんの家の居間で、勉強会を開いていた。正月も過ぎ、大人たちはやれやれと仕事に追われる日常に戻って行ったが、私たち受験生はそうもいかない。入試間近という非日常にもまれて、一息つく間もない。


12月中に私立高校の入試がいくつかあって、その結果がつい最近出た。私は全落ちで、結城くんは佳親兄ちゃんと同じ高校に受かった。でも私たち2人とも本命は公立高校だから、この結果に一喜一憂している場合じゃないのだ。公立高校の試験は3月。私たちの戦いはまだまだこれからだ!(と言うと、お母さんに、少しは焦りなさいと言われた。耳が痛い…)


「あははは、チカコの文章、革命的だねぇ~」


ひょいと結城くんの手から作文用紙を取って、シュウが言った。


そう、私たち「三人」は結城くんの家で勉強会を開いていた。掘りごたつの上に教科書と問題集を広げ、今はお互いに英作文の添削を行っているところだ。


「おお!分かってくれる?さすが、ネイティブスピーカーは違うねぇ」

「…あぁ、なぜ、どうして俺の家にお前がいるんだ…」


結城くんが頭を抱えて呻いた。


「だって俺ら友達じゃん~。こたつ入って勉強会とか、憧れだったんだよね!結城の家、ザ・ジャパンって感じだし、サイッコーだよ」

「ごめん、英語の勉強するなら役立つだろうなーって思って、私が呼んだ」


それに、シュウは学校で、神様が作ったキャラ通りの儚げで紳士的な少年を律儀に演じていたから、少しかわいそうに思ったのだ。私たち以外に本当のテンションで話せる友達がいないみたい。

結城くん、シュウのことを嫌ってるわけじゃないみたいなんだけど、時々うんざりしているというかむっとしているというか、複雑な表情を彼に向けている。


―――そう言えば、私が『阿久津君』に抱いていた淡い恋心はいつの間にか消えていた。シュウは確かに阿久津君の姿をしているけれど、彼はあくまでもシュウであって、私が好きだった阿久津君ではなかった。


「チカコー、今日はあのいぬっころ、連れてきてないの?」


勉強に飽きたのか、ミカンの皮をむきながらシュウが言った。すでにシュウの前には大量のミカンの皮が積まれている。


「チャコ、最近付き合い悪いんだよね、ふらっとどっか行ってしばらく帰ってこないことあるし」

「へーえ。好きな雌犬でもできたかな」

「お前ら、無駄口叩いてないで勉強しろ。ほら修、お前はこれな」


結城くんがシュウの前に漢字ドリルをどさっと積み上げた。


「え、ナニコレ」

「俺が小学生の時に使っていた漢字ドリルだ。貸し出しはしないから、今日中に全部終わらせろよ」

「ええええ無理でしょ!君が6年かけて学んだことを、あと数時間でやれと!?」

「あぁ」

「あぁ、じゃないよ!君時々俺にめっちゃ冷たいよねぇ~」


シュウは、結構優秀らしく、数学も理科ももちろん英語も、そして意外なことに社会も、大変良くできる(「神様が熱心に日本史を勉強してたから、社会は得意なんだ」と言っていた)ただ、海外が長いから国語だけは大の苦手で、特に漢字の書き取りが無理なのだそうだ。


文句を言いながらも、シュウは漢字ドリルに着手し始めた。彼は要領がいいというか、物覚えがいいというか、陽気な言動に騙されずによく見てみると実際かなりの“頭がいい人”なので、漢字くらいすぐに苦もなくかけるようになるだろう。結城くんと同じ、県下一の進学校を受けるらしい。


よし、私も頑張るか!


そう思って、結城くんの添削が入って真っ赤になった英作文の用紙に目を落とした時、襖があいて、半纏を羽織ったみさとさんが入ってきた。


「ちかこちゃん、お迎え来てるよー」

「え?頼んでない…」

「うん。そういう空気読めないやつが来てるのよねー。珍しい奴だし、一緒に帰ってあげれば?」


みさとさんの言い方に含みがあるのを感じて、私は眉をひそめた。お母さんやよし兄じゃないのかな?誰だろう。

慌てて荷物をまとめて玄関に向かうと、金髪の外国人が立っていた。


いや違う。


「まさ兄!生きてたんだ」

「おー、迎えに来たぜー。今日うち、ごちそうだって。早く帰ろう」


まさ兄の顔は覚えているよりもずっと日に焼けて、まっくろくなっていた。ほとんど白に近いくらいまで脱色された髪と相まって、一見日本人には見えない。


夏に海外旅行に行って以来、大学が冬休みになっても正月が来ても全くの音信不通だったのに、今になってどうして帰ってきたのだろう。


「え?ていうか、ごちそう?今日なんかの記念日だっけ?」

「あー、父さんが帰ってくるんだってさ」

「え!?お父さんが!?」


それは大変だ。一年のほとんどを家で過ごさないお父さんの帰還は、クリスマスとお正月と誕生日の次にうれしいイベントだ。(あれ、結構どうでもいいかも…)


「みさとさん、結城くん、お邪魔しました。帰るね!」


みさとさんが、じゃぁね~と、半纏の片袖でを押さえながら手を振ってくれた。私は軽く頭を下げると背を向けて、玄関の引き戸を開けた。そのとき、背に結城くんの声がかかった。


「あ、まって、ちかこ!」

「へ?」

「あ、その、“古河”だと坂東…じゃない、政親さんとどっちかわからないだろ?で、違う、俺が言いたいのは、英作文!明日までに10個やって来いよ!添削するから!」


それだけ言うと、結城くんは逃げるように居間に戻ってしまった。


「なんか、あいつ変わったなぁ」

「青いよねぇ~、見ててむずむずする」


まさ兄とみさとさんがしみじみ言うが、私には結城くんが昔と変わったようには思えない。


「英作文10個…」


あいつ、鬼だ。



まさ兄が運転する車で家に帰ると、すでにお父さんは帰っていて、居間のソファでくつろいでいた。


「おう、ちかこおかえり。背少し伸びたか?」

「お父さん!!!これっぽっちも伸びてないよ!お父さんの遺伝だね!」


惟親これちか父さんは背が高くない。でもガタイはいいので小さい感じはしない。もじゃもじゃの髪の毛とひげも相まって、どこか小熊を思わせる容姿をしている。


「あなた、まずそのきたねぇひげを剃って来てちょうだい。むさくるしい」


お母さんがしっしと追い払うように手を振った。髭剃りはたまに帰ってきたときの儀式みたいになっている節がある。ひげがきれいさっぱりなくならない限り、お母さんはお父さんに食事を出さない構えだ。それを分かっているから、お父さんもおとなしくひげを剃りに洗面所に向かった。




「いただきます!」


声をそろえて手を合わせると、私たち5人は我先にと食卓に載せられたカニに手を伸ばした。


「…」

「…」

「…」

「…」

「…」


「いや!お父さん!ひさーしぶりに帰ってきたんだけど!家族の団欒しなくていいの?」

「ちょっと待ってとうさん、今忙しい」


よし兄がお父さんの顔も見ずに言い放って、再びカニの身をほぐす作業に戻った。あきれるほどに没頭している。それは、私もまさ兄もお母さんも同じだ。


「ごちそうはうれしいんだけどさ、カニはまずかったよね、母さん。これじゃぁご飯食べながら楽しく団欒とはいかないじゃないか…」

「なら、食べなくていいわよ」


そう言って、お母さんがひょいとお父さんのカニを取り上げてしまった。お父さんの顔が一瞬にして青ざめる。


「わかった!わかったよ!カニ食べてから、みんなでゆっくりしゃべろうな」




カニを食べ終わると、お酒が飲める大人組(父母まさ兄)はそれぞれに好きな酒を開けて談笑し始めた。よし兄も珍しく団欒の輪の中に残って、つまみのポテチをひたすらに食べている。私は地獄の英作文10個を片付けなきゃならないので仕方なくその場から離れた。


自分の部屋で勉強できる気がしなくて、居間の机で英作文を書いていると、缶ビールとあたりめの袋を抱えたお父さんが隣にどかっと腰掛けた。


「ちかこ最近どうだ?」

「ぼちぼちだよ」

「高校入試、3月だっけか?」

「死にそう…」


ははっははと大口空けて、お父さんが笑った。


「勉強は、できるに越したことはないが、できないからって死ぬわけじゃない。父さんも勉強できなくてな、高校は県下最下位のあれくれ者が通うところに行ったぞ。楽しかったなぁ」

「そうだったの?知らなかった」

「母さんは優秀だけどな。立派な高校通って立派な大学行ったんだ。政親たちは母さん似だな」

「…ね、立派な高校行って、立派な大学行かないと、やっぱり立派な人間にはなれないのかな」

「俺に向かってそれ聞く?いやー、そこはお父さんを見ればわかるだろ?」

「え」

「え?」


気まずい沈黙が流れた。


「…だって、お父さんめったに家に帰ってこないじゃん。社会的には立派な人間でも、家族的にはくそおやじだよ。普段何してるの?…当代葬者はお父さん、なんだよね?」


家に居なくて、寂しいよ、という一番伝えたい言葉は、でも言ったら負けな気がして口の中に飲み込んだ。


「あぁ。いろんな屍神を追って、全国転々としてるぞ。ちかこは、葬者、継ぐ決意したんだよな?」

「何で知ってるの?」

「父さんは何でも知ってるのさ。…葬者は、つらい仕事だぞ。呪いのことは、もう知ってるんだったよな?」

「うん、いろいろあってね」

「いいのか?俺は正直、娘にこんなつらい責務は負わせたくない」

「決めたんだ。私はみんなの住むこの世界が好きだから」

「そうか。お前がそう決めたなら、俺に止める権利はないな」


わずかに顔を伏せたお父さんの顔に影が落ちて、すこし、寂しそうに見えた。


「もう、そんな心配しなくても大丈夫だって。それに、お父さんだって呪いのこと知りながら、葬者をやってるんでしょう?」

「呪い、な。…呪いは二度発現する。おじいさんの呪いはお父さんの呪いでもあり、お父さんの呪いはちかこの呪いでもある」


「??」


「まだ、分からなくてもいいんだ。それが起きるのはまだまだ先だろうし」

「どんな呪いなのか、知ってるの!?教えてよ!」

「知って、葬者になる決意が変わるのか?」

「それは、変わらないよ」


きっぱりと言った。何が起ころうと、この気持ちは揺らがない自信がある。


「なら、知らなくてもいいだろう。はい!この話はおしまい」


なんだかうまくはぐらかされたようだ。こうなると、この父はどんなにごねようとも口を割らないだろうから、私は何か言う代わりに頬を膨らませて不満を表現した。


「ま、今日はお前の気持ちを聞けてよかったよ。最終試験、頑張れよ」


大きな手で、お父さんは私の頭をくしゃくしゃとなでた。もう、そういうことされて喜ぶような年じゃないってのに、この父は私をまだまだ小さい子供だと思っているんだ。


でもやっぱり、ちょっとはうれしくて、私は乱れた髪を整えながら、膨らませた頬を少ししぼませた。


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