大寒
次の日。
チャコは今日も家に姿を見せなかった。シュウの言う通り、本当にどこかに好きな女の子犬でもいるのかな。
チャコがいない以外は全く普通の一日だった。いつものように学校が始まりあっという間に放課後になって、塾に行く学友に別れを告げ帰ろうと自転車置き場に向かう。そこで、いつもと違うことが起きた。
「ちかちゃん、今日一緒に帰ろう」
さよちゃんが、息をきらして立っていた。いつもは塾へ通いに駅へ向かうから一緒には帰れないのだけど、珍しい。そう言うと、今日は塾休みなんだと教えてくれた。
さよちゃんは歩きで通っているので、私も自転車をひきながら、あぜ道をのんびり歩いて行った。水の枯れた田んぼがカラカラに乾いてひび割れた地面を露出させている。
空っ風が吹き渡って、私たちのマフラーを奪おうとした。さよちゃんがそれを手で押さえて、寒そうに肩をすくめた。いつもは白い頬が寒さで痛々しく赤く染まっている。
色を無くしたさよちゃんの小さな唇が動いて、言葉を紡いだ。
「もっと早く言おうと思ってたんだけど」
「ん?」
「引っ越すんだ」
ぐるぐる巻きにしていたマフラーが風にあおられて舞った。水色の空と赤いマフラーが妙なコントラストだ。
「どこに?」
「熊本。おとうさんが海外赴任で、お母さんが熊本に転勤なの。お母さんの実家が熊本にあるから、そこで暮らそうってなって。」
乾燥した空気に包まれた田畑はやけに白っぽくて現実感が乏しかった。
私は足を止めて、自転車から片手を離した。手袋をしてなくて、かじかみそうな手をコートのポケットで熱を発するホッカイロで暖めた。
「…いつ?」
「高校はむこうのを受けるから、三月はもう向こうかな。でも卒業式はちゃんとこっちででるよ」
さよちゃんがいなくなる。
それこそ現実的じゃない。犬がしゃべるよりも、神様がキグルミ被ってるよりも、ずっと説得力がない。
私たちは幼稚園の時からの親友だ。小学校も中学校もずっと一緒だった。高校は違くなりそうだったけど、それでも会おうと思えば会える距離にはいるはずだった。
「熊本って、遠いよ」
「うん。ごめん」
違う、さよちゃんが謝ることじゃない。
「…さみしい」
「……うん」
だめだ、さよちゃんが辛そうな顔をしている。息を吸え、私。
「なーーーんちゃって!!」
さよちゃんが目を丸くさせた。
「熊本?全然遠くない!飛行機乗ればすぐじゃん!?それに、元々高校は別になるはずだったし、変わらないよ!なんか話したいことあったらメールもできるしね!夏休みとか、遊びに行っていい?熊本って、何か有名どころあったっけ?」
真ん丸かった目を、ふっと細くしてさよちゃんが笑った。
「温泉も、自然も、食べ物も色々あるよ」
「うん。行くね」
「うん」
二人の分かれ道が来て、私たちは互いに手を振って別々の道に進んだ。自転車に飛び乗って、力任せにペダルを踏んだ。いつもよりずっと軽くペダルが回るもんだからスピードもすごくて、冷えきった空気が顔にぶち当たり、涙がにじんだ。
あぁ、寒いから冬は嫌い。
*
家に帰っても、やっぱりチャコはいなかった。チャコが姿を見せなくなって、これでもう3日になる。全くどこをほっつき歩いているんだか。
「おやすみなさい」
電気を消し、布団にもぐる。すぐに睡魔が訪れた。意識が遠くなりーーー…。
目が覚めた。
開けっ放しの窓から月明かりがこぼれ、今がまだ朝ではないことを示している。
その月明かりで、何かが私の目に映る。
その、何か、が口をきいた。
「オィ、最終試験、始めるそ」
「………チャコ!?」
茶色の毛むくじゃらが私の部屋の真ん中で、威風堂々と立っていた。
「・・・えっ?なに?最終試験?こんな夜中に?高校入試はまだ先のはずだけど?…てか、チャコ、いままでどこほっつき歩いてたのさ!!!!」
「高校入試じゃねぇよ。最初に言っただろう?葬者になるには、一年間の研修期間を経てから最終試験に合格する必要があるってな」
「…チャコが最初に私に話しかけたのが5月の初めだから、まだ1年たってないはずだけど」
試験と名の付くものには一様の苦手意識がある。何とか先延ばしにできないか、矛盾をつついてみる。
「予定変更だ。主に阿久津のせいでいろいろ計画が狂ったからな。社長と相談した結果、もう研修は十分だろうって判断になった。合格すれば異例なスピードでの就任だぞ。喜べや」
「いやだよ!だってまだ心の準備が全然できてないもん!明日にしよ明日!」
「ずべこべ言うな。さ、始めるぞ」
チャコの体が光りだした。どこからか、ガランゴロンと鈴を鳴らす音が聞こえる。光と音は次第に強く大きくなる。眩しさと大音量に私は目と耳をふさいだ。
次に目を開けると、うちの裏山にあるボロ神社の裏手、狛犬の像がごろごろ置いてあるあそこだった。さっきまで真夜中だったはずなのに、いつの間にか山際から暁の光が差し込んでいる。真横から差し込む澄んだ緋色の光に照らされて、多種多様の狛犬像が薄い影を長くのばしていた。
「さて」
チャコが、その空間の真ん中にお座りして、厳かに言った。
「始めるぞ。」
「何をするの」
「なに、簡単だ。一柱、屍神を葬送すればいい」
「屍神?…どこにもそんな気配はないけど」
結城くんならわかるのかもしれないけど、私には何も感じられない。
「いや、いるぞ……ここにな」
ぼっとチャコの体が燃え上がった。赤黒い火柱が上がって、煙が立ち上る。それが晴れると、そこには見慣れた獅子姿のチャコがいた。でもどこかいつもより体が大きくて、まとっている気配がなんというか、重かった。
「チャコ?どうしたの。やる気満々なのはいいけど、肝心の屍神がいなきゃ何もすることないよ」
「分からないのか。俺が、屍神だ」
―――――え?
「さぁ最終試験だ。俺を、殺せ」
「……何、言ってるの?嫌だよ。チャコがいなきゃ、私葬者なんてやってけないよ。最初に言ったじゃん、俺はお前の相棒だって。殺せって、どういうこと?」
「狛犬の役目は、葬者候補の子を導き監督し審判することだ。役目が終われば、存在する意味はない。存在理由を失った神は神性を失い、屍神になるしかないんだ、ちかこもよく知っているだろう?」
「私、まだまだ半人前だしチャコがいないと何にもできないし…だから、役目が終わったとか言わないで」
「規格外の神を葬ったやつが何言ってるんだ。お前はもう一人前だよ」
「チャコと他の神様じゃ、意味合いが全然違う!私チャコを殺すなんて、したくない!」
「屍神に例外はない。唯一の例外が、初代が生かしお前が先日葬ったあいつだったんだ。」
それを聞いて、一筋の光が見えた気がして、私は今思いついたそのアイディアに飛びついた。
「そうだ、じゃあ、私がチャコに神力渡して一緒に生きてと願えば、チャコはずっと生きられる?」
チャコは表情を動かさなかった。
「お前が本当にそうしたいなら」
「当り前じゃない!チャコにずっと一緒にいてほしいもん。これですべて解決じゃん!」
うれしくて微笑みかけて、阿久津君の悲し気な顔を思い出して表情が固まった。
理をゆがめてまで生きてしまった神は、哀れだ。…私の自分勝手な願いのためにチャコを不幸にしてはいけない。
「…だめ」
チャコが役目を終えるというならば、私が葬者としてやるべきことはただ一つ。しがみついても泣き叫んでも変わっていくものは止められない。
「だめだ。やっちゃいけない」
「よかった。お前はちゃんと、分かってくれたようだな」
チャコが牙をむいてにやっと笑った。同時にチャコの体を覆う赤黒い体毛が炎の様に燃え盛った。
「最後の教えだ。葬送の舞を教えてやる。といっても、本当は俺が教えるまでもなく、お前はもう知っているはずだ。記憶に耳を澄ませてみろ」
しゃーん、しゃーんと小さな鈴の音が、頭の奥から聞こえてきた。何も考えていのに、その音に合わせるように体が動き始める。
それは、まるで水の中で行われているかのようなゆっくりとした舞だった。音が遠くなって、鈴の音だけが私の体の動きに合わせて鳴り響く。私が足をついた地面が光って、チャコは光の柱に包まれた。
舞が終わりに近づいている。
しゃらん、とひときわ大きな音がした。いままでチャコから渡されていた短刀とよく似た、けれどどこか新しい感じのする刀が手の中に現れた。
「俺はお前を誇りに思うぜ、ちかこ。がんばれよ」
チャコの姿はもはや光の中に埋もれて見えなかった。私は漏れそうになる嗚咽を辛うじて飲み込んで、その大きな一つの光の柱を、刀で薙いだ。
うん。私がんばるよ、チャコ。きっとどこかで見ていてね。




