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立冬

髪の長い女性が、龍に向かって手を差し伸べている。


「あ、あれ僕」


龍を指して阿久津が言った。私もこの光景には見覚えがあった。この前、夢で見た光景だ。夢では、私はあの女性自身だったけど、今はちゃんと私は私でその光景を横から眺めていた。


「と言うことは、あの女の人が、初代葬者のミヨコさん?」

「うん。…まさか、また会えるなんて」


優しい春の日差しがあたりを包んでいるけれど、天からは糸みたいな雨が降り注いでいた。でも、冷たい感じはしない。みずみずしい空気があたりに満ちていた。


あたたかさとか雨粒の感覚とか空気の揺れとかそういう感覚はどこか春の薄い膜一枚隔てたみたいに鈍くて現実感がなかった。


「実際に時間が戻ったわけじゃないんだ。これは、懐中時計の屍神が見せている過去の映像。過去の事実を会った通りになぞって見せてるだけだから、俺たちが何をしようと過去の事実には影響は出ないだろうな」


私、チャコ、結城くん、阿久津君が横一列に並んで女性と龍の様子を眺めていると、いきなり龍が大きな口を開いて女性にかぶりついた。


「あ!ちょっと!」

「あぁーなつかしいなー。僕この時屍神だからミヨコ殿の神力がおいしそうでおいしそうで」

「いや、だめでしょ、ミヨコさんこれ大丈夫なの!?」


しかし見ていると、目を細くして幸せそうにもぐもぐ口を動かしていた龍が急に顔をこわばらせ、パコーンといい音を立てて口を開いた。開いた龍の口の中ではミヨコさんが、こぶしを天に突き出し仁王立ちしていた。


「おう、ミヨコさん、つよい…」


ミヨコさんは悠然と龍の口から出ていくと、龍に向き直って叱るように指を一本立てた。


「おい、おぬし。死にたくなかったら私の言うことを聞け」






「ええ、なんかミヨコさん思ってた人と違う」

「俺達の引継ぎノートには、『初代葬者は性質者破天荒にて強大な力を持つ。その予測不可能なる行動には神も手を焼いたし』と書いてあるな。まぁ俺たちは二代目葬者からサポートするようになったから、伝聞だろうけど」


となると、この中で直接ミヨコさんとかかわったことがあるのは、阿久津くんだけか。

その彼を横目で見ると、なぜか恍惚の表情で、ミヨコさんを見ていた。


「あぁミヨコ殿、あの強気な態度がもう最高にぐっとくるよねぇ」


…阿久津君がよくわからなくなってきた。とりあえず、聞かなかったことにしよう。




龍が、風が唸るような低い声で言った。


「お前、人の子か。なぜそのような強大な神気をまとわせている」


(「なんか阿久津君、今と口調違うくない?」)

(「あれが本当の俺だよ。今は現代に合わせているの。あと宿主の影響」)


「彼の世の神から、お前ら死んだ我の世の神を片付けるよう神命が下ったのだ。私はもともと神の神託を人々に伝えるだけの巫女だったが、その神命が下ったのちに神から神力を賜って、お前らを殺すだけの力を得たのだ」

「神を殺すだと?そんなこと人の子にできるはずも許されるはずもない」

「できるし、やらなくちゃいけないんだよ。お前ら我の世の神は我々人の子が生み出したものだからな」


龍が体をそらして呻いた。


「なら、お前は私を殺しに来たのか」

「あぁ。…と言いたいところだが実は違う。私はお前を、生かしにきた」

「…は?」

「お前は先ほど私に言ったな。『神を殺すなど、できるはずも許されるはずもない』と。…神殺しはできるし、やらなくちゃいけない。だがお前の言う通り、許されはしないんだ」


ミヨコさんはそこで言葉を切ると、大きく息を吸った。


「初めて屍神を葬送したとき、気づいたよ。神殺しは大罪だと、その咎のためにこの身に呪いが絡みつくと。気づいてはいたが、それでもいいと思っていたんだ。…だが、私に子供が生まれた時その考えは間違っていたと知った。生まれた子供は双子だった。男の子と女の子が一人ずつ。女の子の方が私の役目を継ぐのだということは一目でわかった。私はその時まで、この役目が世襲されるものだとは知らなかった。だから私の咎も、私だけ責を負えばいいものだと思っていたんだ。

だけど、違かった。このまま何もしなければ娘は否応なしに私と同じように葬者になり神を殺して、罪を背負うことになるだろう。私は娘が、自分の意志に関係なしに呪いにさらされるなど、我慢できない」


「だから、私を生かすと?」


「そうだ。それで今まで無数に犯した神殺しの罪が贖えるとは思わないが、何もしないよりはマシだろう?それに、私のこの思いを知れば、神も葬者なんて呪われた役目を生まれたばかりの何もわからない子に押し付けるような真似、改めるかもしれないしな」


「子供は母を亡くすぞ。その方が葬者の役目を背負わすより、酷なのではないか?」

「…あの子らには、立派な父親がついているから大丈夫だ」


誇らしげにほほ笑むと、ミヨコさんは両手を大きく広げた。


「さぁ、私に贖罪させろ」


いつの間にかミヨコさんの手には、よく見たことのある短刀が握られていた。ミヨコさんが、龍に歩み寄って、左手でその体に触れた。慈しむようになでると、御神灯を握った右手を自身の胸に突き刺した。


糸のような雨はもうほとんど止んでいて、動くものは一つもなかった。嘘みたいな静寂があたりを支配して一瞬後、周囲の木々が水滴をポトリと落とす音がかすかに響いた。



あたりが白い光に包まれた。





乳白色の空間に、私たち四人(というか人間2人と神1柱と犬一匹)はいた。例の部長がいる空間によく似ているけど、この前来た時にあれだけ散らかっていたものはひとつもなかったし、そもそも部長自体もどこにもいなかった。ただ、乳白色のだだっ広い空間が続くばかりである。


「それで、どうなったの?」


阿久津君の表情はうかがい知れない。


「ミヨコ殿は俺にすべての神力を渡して死んだよ。亡骸も残らなかった。俺はそのおかげで神に戻れたわけだけど、異例の事態に彼の世の神がひどく怒ってね。ミヨコ殿と同じく神託を聞けるミヨコ殿の夫に俺を封印するよう命じたんだ、それで、ザ・エンド。2000年たったこの時にやっと封印の効果が解けて、復活したってわけ。…でも、これでわかっただろう?ミヨコ殿の願いは子孫が呪いを受けないようにすることなんだ。

封印が解けて、君がミヨコ殿の子孫だと分かった時、すでに君は葬者になっていて、神を殺していた。しかもよくわからない犬を連れている。どうも僕のいた時代とは葬者システムが変わっているようだったから様子見のつもりで低級の屍神を君たちにけしかけたんだ。ま、わかったことは狛犬が葬者のサポートをするようになったってことぐらいだけどね。

そのあと、僕はミヨコ殿の願いを叶えるために動き始めた。都合のいいことに、僕が借りたこの阿久津修って人間の家には懐中時計の付喪神がいてね、これを使ってミヨコ殿が子供を作る前の過去に戻って、そもそも子孫を残すのを阻止しようと考えたんだ。ま、古河の神力をもってしても、実際に時を戻すなんて真似は無理だったようだから諦めたけど。

そもそもの原因を絶つのが無理なら、後はもう未来にそれが起こらないよう阻止するしかないよね。だから僕は君を殺そうと決めたんだ」



チャコがいつもの茶色いもじゃもじゃの小型犬の姿に戻って、阿久津君の頭に飛び乗った。


「お前さん、一つ勘違いしているぞ」


阿久津君が、眉をひそめた。


「は?」


「ちかこはまだ、神殺しの罪は負ってない。だから呪いも受けてない」

「………へ?」


「お前さんは俺ら狛犬が彼の世の神から使わされる前に封印されて眠っちまってたってことだったから知らなくても無理はねぇな。まぁ、あの初代の行動で、神も考えを改めたってことさ。ちかこは、今“仮”の葬者だ。ちかこが犯した神殺しの罪は、すべてちかこの父で、現当主の葬者である惟親に帰属する。

葬者任命の仕組みがお前がいた時とは変わったんだ。…いいか、まず古河本家の子で、葬者の適性がある子が15歳になると、俺ら狛犬が遣わされて、奏者の仕事についてのレクチャーを行う。そんで一年間俺ら狛犬が仮葬者の相棒を務める中で、その子に本当に葬者になるか選んでもらうんだ。もちろん、呪いが怖いからなりたくねぇ!っていうやつもいる。だから、長い歴史の中では葬者がいなかったっていうような年月もあるんだぜ」

「そんな、じゃぁ…」

「あぁ、今までの葬者は皆、自分の意志で神殺しすることを選んでる」

「ミヨコ殿の願いは…」

「初代の思いは、確かに彼の世の神に伝わったんだ。彼女の行動が、この狛犬制度を作るきっかけとなった。今見た光景、聞いた言葉思い出してみろ。初代は言っただろう?『葬者なんて呪われた役目、生まれたばかりの何もわからない子に押し付けるような真似、改めるかもしれないしな』って」

「…」

「実際、神は改めたんだ。葬者になるかならないかは選べるんだよ。―――初代の願いはずっと前から十分叶えられている」




優しい風が渡って、足元の草を揺らした。


気づくといつの間にか、さっきまでいた森の中のすすき野に戻ってきていた。


「なんだ、そうだったの。よかった…じゃぁ、もう、いいんだ」


安心したように、阿久津君が目じりを下げた。優しい表情だったけど、どこか寂しさをにじませていた。


「あ、僕もう存在理由がないね」


朝露が日に照らされてキラキラ輝くように阿久津の体が光り始めた。半透明の龍が、阿久津の殻がら浮かび上がり巨大な体を天に泳がせた。


「阿久津君…」

「古河ちかこ。僕ミヨコ殿のところに行きたいな」

「…!」

「お願いだ。僕を送ってくれる?まだ辛うじて神性を保っている間にさ。屍神に堕ちるのはつらいことだから」


なぜだかわからないけど、涙があふれて止まらなかった。

結城くんにあんなにひどいことをした神なのに、私を殺そうとしてた神なのに、彼が自ら消えようとしているのが悲しくて仕方なかった。


人に祀られて生まれ、人がいなくなって死ぬ。その摂理を私の先祖は身勝手な願いを押し付けてゆがめた。贖罪のつもりだったのかもしれない。だけど、きっと無理やり生かされた神ほど不幸で悲しいものはない。神はあまりにも純粋すぎる。


古河は人の子でありながら、屍神を葬送するという目的のために神から力を賜っている。それは一歩間違えればこの世の理さえ壊してしまう力だ。だからこそ、その力は定められた目的の遂行のためだけに行使しなくてはならない。


私が今彼に一緒に生きてと願えば、彼はその願いを存在理由に神のまま存在できるのだろう。だけど、摂理をゆがめるその願いは最後にはきっと悲しい結末を生む。


「分かった」


私は夕日を背に宙にたゆたう龍のその黄金の目をしかと見て、言った。龍の白銀の鱗は夕日を反射し、不思議な色に光っていた。


「俺も一緒に」


隣に立った結城くんが日本刀を構えた。私も短刀を構えて集中する。刀身がほのかに緋色に光って、結城くんの刀と同じくらいの大太刀に変化した。不思議と重さは感じない。


龍の姿がおぼろになって、白い靄のようにあたりに拡散した、黄金の目だけが輪郭をしっかりと保って、キラキラと宙に浮かんでいる。


「いろいろ迷惑かけたね。君くらい、しっかりしているならミヨコ殿も安心だと思うよ」

「ありがとう。…私は呪いがあったとしても、葬者の仕事を続けたい。あなたも、安心して」


阿久津君が笑ったように思えた。



「さよなら、ミヨコ殿の子孫たちよ」


強い風が吹いた。水に押し流されるような強い抵抗を感じて、私は後ろにひっくり返りそうになった。だけど結城くんが支えてくれて、何とか踏みとどまる。結城くんの顔を見上げると、彼は大きくうなずいた。





二つの刀が、同時に振り降ろされた。


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