立夏
帰路途中、私たちは家の近くにあるお団子屋さんによって、名物の揚げまんじゅうを食べた。
店先に置いてある木製のベンチに座って、紙にくるまれたアツアツのまんじゅうを頬張ると、じゅわっと染み出る油と甘すぎない餡が口の中に広がって、幸せな気持ちになれる。
ずるいと駄々をこねたのでチャコにも同じものを買ってあげたけど、はたして犬がこんなもん食べていいのかどうか。
「一つ質問」
「なんだ」
「ソウシャってなに?」
社長が口にした単語だ。確か、“私=次のソウシャ”、という文脈で使われていたと思うけど、なんのことかさっぱりわからない。走者?走るの?
「葬る者と書いて葬者だ。」
「葬る?何を?」
「よし、最初から説明しよう。よく聞け」
そういってチャコが語り始めたのは、だいぶ理解に苦労する話だった。(でも理解するのに全神経を使ったので、その突飛もない話を信じる信じないの次元で悩まなくて済んだ。馬鹿でよかった。)
チャコの話は次の一言から始まった。曰く、
“この国では、誰かに祀られたものは全て神になる。”
「八百万の神って言葉、聞いたことあるだろう?その言葉通り、この国にはむやみやたらに神様がいるんだよ。人の信仰があれば、神が宿る。岩、森、木、土地、川、なんかの自然物――これらはもともと精霊的な力を持つものだから、神成っても格が高い――あとは、彫刻、縁起物、年代物の骨とう品とか、ホントなんでもだ。先祖を奉って、神としている一族もいるな。とにかく、ポンポン神が生まれているわけだ。
……でここで問題。神様に寿命はあるでしょーか?」
「神様だし、ないんじゃない?不老不死でしょ」
「ぶっぶー。残念でした。不正解―。」
いらっ。いらだちを押さえるために深く息を吸う。すーはーすー
「神様は死にます」
はー、…は?
「……まじで?」
「誰かに祀られて、神になる。逆に言えば、誰からも祀られなくなった神は死ぬのさ。神が死ぬことを、崩神と言って、死んだ神のことを屍神と言う」
「じゃ、さっき会った部長サンもいつかは死んじゃうの!?」
「いや、それはない」
「へ?なんで?」
「彼の世に住まうのは人間の生まれる遥か昔から存在する神のみで、その誕生に人間が介在しないから彼らに“人間からの信仰が無くなる”という形での死の訪れはないんだ。だから彼の世の神である部長が死ぬことはない。寿命があるのは我の世にて、人間に祀られたことがきっかけで生まれた神だけだ」
「うーん、つまり偉い神様は死なないけど、あんまり偉くない神様は死ぬっていう理解でおーけー?」
「ちょっと違うが、まぁいいだろう」
もう、最初からそう言ってくれればいいのに。私の頭はもうパンク寸前だ。
私は整理のために疑問点を明確にすることにした。
「………神様が死ぬことについては、へーそういうこともあるんだ、とでも言っておけばいいのかな、うん。じゃなくて、私が知りたいのは、古河家、つまり私は何をすればいいのか、ソウシャって何なのか?ってことなんです。プリーズテルミー」
「だから今それを説明しようとしてるんじゃねぇか!…よし、神は死ぬ、ここまではいいか?じゃぁ死んだ神はどうなる?……はい、時間切れ。答えはそう屍神になる、だ。」
「屍神?」
「屍神と言うのはな、人間からの信仰がなくなって“気枯れた”神だ。神性が穢れ、もはや神としては死んでいる状態だ。やつらは自分からは消えられないから、かつての神性を引きずったまま、怪異を起こす」
「怪異?」
「そうだ。神は、まぁ神って言われるくらいだから、多かれ少なかれ超自然的な奇跡を起こす力がある。ただ屍神はいわば壊れた神だから、その力を本来の用途に使うことができないんだ。壊れたラジオが意味不明な雑音を垂れ流すように、やつらは一転、人に害なす存在となる」
「そんな、じゃ死んじゃった神様はどうすればいいの?」
「そう、そこだ。屍神を葬れる唯一の人間、それが古河一族なんだ。葬者は葬る者と書く。いっただろ?神を葬る者、それがお前だ」
「……………………………………………」
「おうい、大丈夫かー、ついてきてる?理解してる?」
食べかけの揚げまんじゅうが冷めて、紙の中でぐったりしている。
フル回転する頭の中とは裏腹に、私はゆっくりと首を縦に振った。
「わかってねぇな、こりゃ。まぁ百聞は一見に如かず、だ。今夜ちょいと出かけるぞ」
「なにしに?」
「屍神を葬送しに、だ。」
と言うわけで、午後8時。普段なら家でばらいてぃ番組でも見てまったりしている時間に、私は中心街から外れた古い町並みの残る界隈のとある空き家に忍び込もうと塀の前をうろうろしていた。傍からみたら、単なる不審者だ。
チャコと、あとなぜかよし兄もいる。
「なんでよし兄まで」
「いいじゃん、なんか面白そうだったし。それにちかこごときに葬者が務まるのか、見極めてやろうと思ってな」
「うるっさいな!」
というか、よし兄も、お母さんも、葬者のこと知っていたんだ。
「俺は15歳になった時に親父に教えてもらったぜ。そういう決まりらしい」
知ってなら教えてくれてもよかったのに、と愚痴ろう思ってたけど、なるほどそういう決まりなら仕方ない。
「なぁそれよりもチャコ、何でほんとに葬者がちかこなわけ?順当にいったら兄貴だろ?」
「直感だ直感!」
「なんだそれ、狛犬は選定者かつ教育者なんだろ?直感とかで選んじゃって大丈夫かよ、こいつじゃ最終試験に受からないんじゃないか」
「え、何?最終試験?」
チャコが、しまったという顔をした。
「言ってなかったか?」
うん、聞いてない。なんだ試験って。私、試験と名の付くものには先天的なアレルギーがあるんだけども。
「あーおほん。今、古河家の当主はお前の父――惟親だ。だから、お前はまだ仮葬者ってことになる。正式な葬者には、これから1年間の研修期間を経て、最後、最終試験に合格した時に就任できる」
「いや、まって!!私その最終試験ってのに合格できない自信あるよ!」
私は小学校の時、体育以外の科目でオール1を取ったことがある猛者だ。テストの出来には自信がある。
「大丈夫だ、そのために教育者たる俺がいるんだ。」
「えーむりむりむり、よし兄にやってもらおうよそれがいいよー」
はぁ?とよし兄が険悪な顔になった。チャコも心なしか眉を上げて、厳しめの顔だ。
「ずべこべ言うなや!無理かどうかはやってみてから言え!―――ほれ、屍神はすぐそこだ」
私たちが入ろうとしている空き家は、元・質屋だったようだ。
「俺、聞いたことことあるんだけど…」
敷地に入り込もうと塀の外をうろうろしていると、脈略なく突然よし兄が声を低めて怪談話をし始めた。
「あるところに、今にも朽ち果てそうな廃墟がありました」
「なにいきなり」
「うるさい黙って聞け。ここら辺に住んでる友達が言ってた話思い出したんだよ。……そこにはもう長いこと誰も済んでいないはずなのに、夜になるとちゃりん、ちゃりん、って音が聞こえてくるんだそうだ。たまたまその音を聞いて不思議に思った通行人が家を覗くと、身ずぼらしい老婆がいちまいにまい…って小判を数えているんだってさ。その人は恐ろしくなって逃げようとしたんだけどなぜか足が言う事を聞かなくて、意思に反してふらふらと老婆のもとに近寄って行ってしまったんだ」
「それで、どうなったの?」
ごくりとつばを飲み込んで、続きを待つ。
「その人は、たまたまポッケに入っていた小銭を老婆に投げつけたらしい。そしたら体が自由になって、無事逃げられたそうだ」
「おー、よかったねぇ」
「ただ、もし小銭を持っていなかったらどうなっていたか…噂だと、老婆に食われて死ぬパターンと、自分が小銭に変えられて死ぬパターンがあるらしい。お前なら、どっちがいい…?」
「どっちも嫌だよ!」
そんなやり取りをしたもんだから、いざ忍び込めそうだってなった時、私は家に入るのをためらった。
ブロック塀はあちこちが崩れかけていて、人ひとり入り込めそうな穴はあっけなく見つかった。
「なんか入ってくださいって言わんばかりじゃない?」
「なんだちかこ、怖いのか?…小銭もっとく?」
よし兄の言い方には明らかに侮蔑のニュアンスがあったので、私はその申し出を断った。
…大丈夫、恐ろしい老婆とかいないいない。
「そうだ。いるのは屍神だ」
「あっそっか。よかった~」
―――ん?いやそれもどうなんだ。
私たちは朽ちた木戸を取り払って空き家の中に上がり込んだ。空気がほこりっぽい。
「ね、これって不法進にゅ」
言いかけたところでいきなりよし兄がうッと呻いて、床に膝をついた。
「よし兄!?」
「来たぞ、屍神だ!!
」
電気はついていないが、月明りと近くの街灯が光源となって、部屋の中はぼんやりと青白かった。
その幽かな光の中で、よし兄にまとわりついている“何か”が見えた。
「なに、アレ…」
巨大な数珠のようなものが、よし兄体を締め付けていた。その数珠の粒は一つ一つが人の頭ほどの大きさで、黒真珠の様にてらてらと光っていた。
「この質屋で祀られていた商売繁盛の神さんだろうな。店がつぶれたのか、継ぐ人がいなくなったのか、信仰する人間がいなくなって崩神したんだろう」
「なんでよし兄にまとわりついてるの?」
「屍神は古河の神力に惹かれるんだ。神力は精気に宿るからな、古河の神力を得ようとやつらはお前らを殺しにかかるぞ」
「なんだって!?オイ、ちかこ、のんびり喋ってねぇで早く何とかしろ!!」
よし兄がチャコの言葉を聞いて表情を変え、まとわりついている数珠をひきはがそうとじたばた暴れ始めた。
うん、よかったまだまだ元気そうだ。
「でもどうすればいいの?呪文とかお札とか、あっ小銭投げる!?」
「…いや、これを使う」
どこに隠し持っていたのか、チャコが差し出したのはきれいな飾りのついた短刀だった。螺鈿の装飾と、青色の宝石があしらわれたそれはどうにも実戦用には見えない。
「鞘から抜いとけよ」
言うと、チャコは大きく息を吸い込んで、屍神に向かって吠えた。
銅鑼が叩かれたような腹に響く音だ。
すると風に吹き飛ばされたように数珠がよし兄から剥がれて、畳に転がった。
「今だちかこ、刀で斬れ!」
茫然とその様子を見ていた私はチャコの言葉にはっとして、慌てて数珠のもとに駆け寄った。
丸いがゆえにころころと転がっていた数珠は、しかし何個か粒を浮かせつつあり、尋常の物理法則ではありえない動きを見せていた。その動きがなんだか芋虫のようで気持ち悪い。
「もたもたしてっと、また襲ってくるぞ!早く!」
「言われなくてもー!」
私は数珠を押さえつけようと足で粒を一つ踏みつけ、手近な粒に刀を振り下ろした。
「えいや!」
ちゃりん、と小銭の落ちる音がした。
と思うと同時に私が刺した粒は砕けて光の粒になり、そのほかの粒もドミノ倒しの様に次々と砕けて消えていった。
屍神が消えた後には、もとの静かな夜が戻ってきた。
ほーほーとどこかで梟のなく声が聞こえる。
「おめでとうちかこ、初仕事、無事完了だ」
*
「結局、どういうことだったの?」
私たち三人は、家に帰ってお母さんの用意してくれたお茶づけを食べていた。疲れた体に、梅干のクエン酸が染みわたる。
時刻は午後9時。いつもなら歯を磨いているころだけど、明日も休みだし、ま、いっか。
「あの屍神は、商売繁盛の神さんだった。だから、お客を呼び寄せるっていう性があったんだろうな。崩神した後もだれかれ構わず近くにいた人を家の中、もしくは敷地の中まで呼び寄せていたんだろう。家は朽ちているから、誘われて入ってしまった人間の中には、床を踏み抜いたり割れたガラスを踏んづけたりしてけがをした人間もいただろう。だから、さっき佳親が言っていたような怪談が生まれたんだろうな」
「全然実際と違うじゃないか」
「人間の想像力は豊かだからな」
よし兄が憮然とした表情で腕を組んだ。
「…それにしても、死にかけた。人を呼び寄せるくらいの怪異ならそんなに害ないからほっといてもよかったんじゃないのか?葬送しようとしてこんな危ない目にあうならリスクでけぇよ」
「確かにな、実際惟親も長年放っておいた屍神だからな。ま、格の低い屍神だからちかこの初仕事にはちょうどいいと思って」
「格?屍神にもランクがあるの?」
「あぁ。低級・中級・上級とある。低級は形を成さない黒い靄みたいな姿をしている。生まれてすぐ屍神になってしまったようなものばかりで、起こす怪異もたかが知れている。中級は、個人的に祀られていた商売繁盛や家内安全の神、先祖神、付喪神などが崩神したものだ。こいつらは神だったころの性を強く受け継いでいて、屍神となった後もその性に基づいた厄介な怪異を起こす。今日葬送したのはここのランクな。上級は主に土地神や川の神、森の神など、自然物信仰によって生まれた神だ。…ま、仮葬者のお前にこのランクの屍神を任すことはほぼないだろうが」
よし兄が匙を置いて、ごちそうさま、と手を合わせた。
「葬者って思ったより危険な仕事なんだな。ちかこ、お前どうしようもない阿呆だけど…助けてもらったし、とりあえずはお前のこと認めてやるよ」
…驚いた。よし兄が私を褒めるような言葉を口に出すなんて。
よし兄はくそゲーマーだけど、勉強はできるから、成績の悪い私を馬鹿にすることはあれど、褒めるようなことはほとんどなかった。
私は皿を台所に片付けに去っていくよし兄の後ろ姿を、目を丸くして見送った。
――――葬者なんて危険だしめんどくさいし嫌だなと思っていたけど、何のとりえもない阿呆の私がヒーローになれるとか、もしかしたら案外いいものかもしれない。
「あら?佳親、まだケーキがあるわよ?食べないの?」
その時お母さんがちょうど台所に戻ってきて、冷蔵庫からホールケーキを取り出した。
「え、やった!ケーキあるの?なんで?」
「あら、ばかね。物覚えが悪い子だとは思っていたけど、ついに自分の誕生日も忘れちゃったの?」
「え!?今日、何日!?」
慌ててカレンダーを見ると、今日の日付にはしっかりと赤で丸印が付けられていた。
「あー!そっか、今日か!チャコがしゃべったり葬者がどうとか言い出すから、すっかり忘れてた!!」
お母さんがくすくす笑った。
「相変わらずね。…15歳、おめでとう、ちかこ」
チャコが犬のくせに、もうすっかりケーキを食べるつもりでいるのか、うきうきとフォークを前足に持っているのが、なんだかもう違和感なく感じられた。
――――あぁ、奇妙な誕生日もあったもんだ!
「立夏」おわり