石段の下まで
朝のうちに、前腕の棒を酢の瓶に沈め直した。
水は、二本目の線を少し越える。昨日と同じだ。
棒を引き上げて、見当をつけて、炭筆で印を引いた。
「そこで切るの?」
ふいごの前で、リタが聞く。
「切ってから、もう一度沈めます。一本目の線を少し越えれば、足ります」
棒の端を炉に入れる。
赤くなったところで火箸で引き出し、金床の角に載せた。鏨を当てて、槌で打つ。三度目で、端が落ちた。
冷めるのを待って、瓶に入れる。
水は、一本目の線をわずかに越えて、止まった。
「少し、だね」
「少しは、削ります」
切った端を、もう一度炉に入れた。
ハンナさんは、桶に腰を下ろしている。昨日と同じ場所だ。今日は、両手を膝の上で握っていた。
引き出して、叩く。
まず、先を細くしていく。叩いては回し、また叩く。作業台に蝋の型を立てて、横に並べてみた。細り方が、まだ足りない。炉に戻す。
三度目に引き出したとき、片側を金床の平らな所に当てて、まっすぐ叩いた。
平らな面が、一つできる。差しこむ向きを決める面だ。
冷めてから、やすりを使った。
根元に、ぐるりと浅い溝を一本。やすりの角を当てて、少しずつ回していく。落ちる粉は、白い。
蝋の型と、並べる。
平らな面。先細り。根元の溝。
ハンナさんが立ち上がって、のぞきこんだ。
「うちの人が見たら、悔しがったろうねえ」
「打ってみたかった、と」
「一生に一度は、ってね。先を越されたよ」
ハンナさんは、声を出して笑った。笑いながら、前掛けで手を拭いている。何もついていない手だった。
◇
日が傾くころ、リタと塔へ上がった。
オスカーさんは、小屋から手燭を持って、あとから来た。
上の部屋は、外より冷えている。
俺は留め具を、一つ目の穴に差した。平らな面を、穴の平らな所に合わせる。根元の溝のところまで入って、止まった。
三人で、水晶を見た。
くすんだまま、何も映さない。音もしない。
「……だめ?」
リタの声が、小さくなった。
渡らないのは、留め具か、穴か、管か。
俺は留め具を抜いて、二つ目の穴に差し直した。
しばらくして、足の裏に何かが伝わってきた。
低い音だ。台座の奥で、何かが唸っている。
水晶の奥に、白い点が一つともった。
オスカーさんの手燭が、揺れた。
「……唸っとる」
点は、それ以上大きくならない。一本ぶんだ。
「留め具は、渡ります」
俺は、一つ目の穴を見た。
「渡らないのは、一つ目の穴か、その先の管です。調べます」
一つ目の穴から出た管は、床の石の下へ潜っている。
「オスカーさん。床の石は、上がりますか」
オスカーさんは少し考えてから、部屋の隅へ歩いた。靴の先で、一枚の石を踏む。ことり、と鳴った。
「掃くたびに、これだけ鳴る」
俺とオスカーさんで、石を持ち上げた。
下は、狭い穴になっている。管が何本も束になって、岩の中へ下りていく。手燭を差し入れると、一本だけ、曲がり目のところが割れていた。
縦に、指一本ぶん。割れ目の縁が、外へめくれている。
「内側から押された割れ方です。中にたまった水が、凍ったんでしょう」
「冬は、ここも凍る」
オスカーさんが言った。
「穴が、二十年開いていましたから。湿気が入って、曲がり目にたまったんだと思います」
腹ばいになって、割れ目に両手を当てた。
銅は冷たい。手のひらが、熱くなっていく。めくれた縁が少しずつ寄っていって、元の一本に戻る。
手を離すと、割れていた所に、銀の線が一本残っていた。
二つ目の穴から留め具を抜いて、一つ目に差し直す。
唸りが、戻ってきた。水晶の奥に、また白い点がともる。
「動いた」
リタが、俺の袖をつかんだ。
◇
階段を下りて、扉の外に出た。
日は、もう落ちていた。
塔のまわりの岩が、白く明るい。手燭の火とは違う明るさだ。
明るさは石段を下っていって、いちばん下の段で終わっていた。その先は、もう夜だった。
オスカーさんは扉の前に立ったまま、石段を見下ろしている。
「毎朝、掃いといて、よかった」
石段の下から、松明の火が一つ上がってきた。ダリアさんだった。
「門から、塔に明かりが見えた」
ダリアさんは、明るい段に足をかけて、止まった。
「これだけか」
「一本です。今日、打ちました」
俺は、町のほうを見た。暗い屋根が並んでいる。その向こうの畑は、見えない。
「一本で、石段の下まで。八本のころは、東の畑のいちばん外の柵まで届いていた、とハンナさんに聞きました」
「五本なら」
「たぶん、町の真ん中あたりまでです。柵には、届きません」
言い終えてから、暗い屋根の並びに目が戻った。門に近い屋根は、どれも同じ暗さだった。
ダリアさんは、しばらく黙っていた。
「今朝、森の縁で、灰狼の足跡を見た。毎年見ているが、今年は多い」
松明の火が、風で横に流れた。
「冬の初めに、まとまって下りてくる。あと四本、何日かかる」
「一日に、一本です」
ダリアさんはうなずいて、背を向けた。石段を下りていく。
俺も、そのあとについて下りた。
最後の段を下りて地面を踏むと、足もとが暗くなった。




