五本と、少し
夜明けの石段は、霜で白かった。
ダリアさんは、俺の前を上っていく。案内しろと言ったのに、道は知っているらしい。
一段ごとに左の肘が曲がる。添え木は、一度も鳴らなかった。
塔の扉の前で、オスカーさんが箒を使っていた。リタもいる。毛布を肩から巻いて、手燭を持っていた。
「隊長さんが、上に?」
オスカーさんが箒を止める。ダリアさんは、短く頭を下げただけだった。
オスカーさんは箒を扉に立てかけて、俺たちのあとから上ってきた。
らせん階段の上の部屋は、今朝も冷えていた。
水晶はくすんだまま、台座に載っている。
ダリアさんは、八つの穴を一つずつ見て回った。俺は何も言わずに、後ろをついていく。
台座の裏で、ダリアさんの足が止まった。
点検済の板。白い槌の刻印。
右手の親指が、刻印をこすった。二度、三度。汚れではないから、落ちない。
「この印は、知っている」
声は、いつもより低かった。
「十五年前、北の砦にいた。王国軍だ」
リタが、手燭を持ったまま息を止めた。
「組合の新しい盾が、隊に入った。裏に、これと同じ印があった。最初の冬に、腕帯の金具が外れた。三枚」
親指が、刻印から離れる。
「部下が三人、戻らなかった」
部屋の中で、誰も動かなかった。
いつ、どうやって壊れましたか。
いつもなら、最初に聞くことだ。十五年前の盾のことを、聞いていいのか分からなかった。
それでも、聞いた。
「金具は、どうやって外れましたか」
ダリアさんが、こちらを見た。
「打たれて。三枚とも、同じ所からだ」
「組合は、なんと」
「扱いが悪い、と言った」
「俺は、その盾を見ていません。だから、言い切れません」
息を一つ吸う。
「でも、三枚が三枚とも同じ所から外れたなら、俺は、持った人より先に、金具を疑います」
ダリアさんは、しばらく黙っていた。
それから、右手で左の肘の上を押さえた。
「腕は、そのとき折れた。砦の鍛冶が、これを巻いた。古い盾の金具を延ばして、打った棒だ。星銀だ、これは折れん、と言っていた」
「骨は、曲がってついた。これがないと、重い物を引いたとき、肘が外へ逃げる」
知っていたのだ。昨日、作業場で、俺が星銀だと言ったときにも。
ダリアさんの右手が、留め金にかかった。
「これが腕にあるうちは、新品は信じない。そう決めて、巻いてきた」
一つ。二つ。三つ。
昨日の作業場で見たのと、同じ手つきだった。
添え木を抜くと、ダリアさんはそれを台座に置いた。空いた穴の、すぐ横に。
「使え」
リタが、俺の顔を見上げた。
オスカーさんは階段の口に立ったまま、台座の上の添え木を見ている。
俺は、すぐには手を伸ばさなかった。
「まだ、受け取れません」
「なぜだ」
「確かめることが、三つあります。中まで星銀か。それで、留め具が何本打てるか」
ダリアさんの左腕は、体の横に下がっていた。肘の上に、添え木の形の白い跡がある。
「それと、ダリアさんの腕です」
「腕は、いい」
「よくありません。左手で門の縄を引くのは、やめられないんでしょう。昨日、無理だと言われました」
ダリアさんの口の端が、少しだけ曲がった。
「代わりの添え木は、俺が作ります。棒を外すのは、それができてからです」
「量るんだろう。外さずに、量れるのか」
「……量るあいだだけ、外させてください。量ったら、一度、元に戻します」
俺は添え木を台座から取って、ダリアさんに返した。
「下りの階段は、巻いていってください」
ダリアさんは、黙って腕を通した。
オスカーさんが、階段の口から一歩下がった。
「上は冷える。……下で、茶を入れよう」
◇
作業場へ行く前に、空き家に寄って、蝋の型を一つ取ってきた。リタも、毛布を巻いたままついてくる。
ダリアさんは、ハンナさんの桶に腰を下ろして、添え木を外した。
棒を革に留めている鋲は、六本。頭をやすりで落として、鏨の先で裏から押し出す。抜けた鋲が、一本ずつ金床の上で鳴った。
棒が二本と、肘の蝶番。革から外すと、思っていたより細い。
「表だけ白い、ということもあります」
前腕の棒の端に、やすりを当てた。革の下に隠れていた所だ。
「中が鉄で、上に薄く被せた物なら、量っても足りません」
三度、引く。
削った跡も、白い。鉄なら出るはずの灰色が、どこにもない。
布をほどいて、かけらを横に並べた。ちぎれたように荒れた端は、かけらの中の色だ。削った跡と、同じ色をしている。
「削った内側も、同じ色です」
ダリアさんは、うなずいただけだった。
「星銀だと見ていいと思います。ただ、芯まで同じかは、打って延ばしてみるまで言い切れません。力が渡るかどうかも、穴に差すまで分かりません。それは、先に言っておきます」
「分かった」
「ハンナさん。口の細い瓶は、ありますか」
「酢の瓶なら」
ハンナさんが棚から出したのは、首の長い、緑の瓶だった。中をすすいで、水を首の途中まで入れる。水の高さに、炭筆で線を一本引いた。
蝋の型を、瓶の口から落とす。
型は、水に浮いた。
「沈まないよ」
「沈めます」
ハンナさんの目打ちを借りて、その先で、型を水の中へ押し下げた。首の水が、爪の幅ほど上がる。そこにも線を引いた。
「目打ちの先も沈んでいます。そのぶん、線は少しだけ多めに出ています」
「これが、留め具一本ぶんです」
型を取り出すと、水は最初の線に戻った。
線と線のあいだの幅を、リタが炭筆で写していく。一本ぶん、二本ぶん。瓶の首を、線が上っていく。
「八本ぶん、引けた」
瓶の首に、線が並んだ。いちばん下の、元の水の線の上に、八本。
棒は、瓶の背丈より短い。外してみて分かったとおり、首を通るほど細かった。
俺は、二本の棒と蝶番を、一つずつ瓶に入れた。
沈むたびに、水が上がる。どれも、頭まで水の下に隠れた。
前腕の棒で、二本目の線を越えた。二の腕の棒で、四本目の線の手前まで。蝶番で、五本目の線を、わずかに越えた。
水は、そこで止まった。
「五本と、少し」
リタが読み上げる。
「打てば、平らに削ぐ所と、溝のぶんを、やすりで落とします。少し、は、そこで消えます」
俺は、瓶から目を上げた。
「五本は、打てそうです。打ってみて、足りるかどうかです」
リタが、五本目の線から上を、指で数えた。
「六、七、八。……三本、足りない」
◇
棒を瓶から出して、布で拭いた。
もとの鋲の穴に合わせて、革に当て直す。ハンナさんの鋲を通して、金床の角で頭をつぶした。六本。
「代わりができるまでは、これで支えてください」
ダリアさんは、添え木に腕を通した。右手で、留め金を一つずつ締めていく。
「代わりは、何で作る」
「鉄です。この作業場に、車輪の外枠がありました。あれを延ばして、棒を二本打ちます。蝶番は」
「扉の蝶番なら、箱に十はあるよ」
ハンナさんは、もう棚の下の箱を引き出していた。
「鉄は、錆びます。ときどき油を差してもらうことになります」
「かまわん」
「革は、このまま使います」
添え木の革には、古い針の穴が三列、並んでいる。
「ダリアさんが、四度縫った革です。替えるのは、棒と蝶番だけです」
ダリアさんは、自分の左腕を見下ろした。何も言わなかった。
戸口で、ダリアさんは振り返った。
「五本で、塔は光るか」
八つの穴に、五本。三つの穴は、空いたままになる。
「分かりません」
ダリアさんは、しばらく俺の顔を見ていた。
「分からないと言った職人は、お前が初めてだ」
戸が閉まった。
俺は、作業場の奥の山から、車輪の外枠を一つ引き出した。
鉄の帯は赤く錆びて、まだ車輪の丸い形のままだ。




