聞いた話
朝早く、門番の若い衆が空き家の戸を叩いた。
「隊長が、東門まで来てくれって」
東門では、ロバが鳴いていた。
ダリアさんが、その手綱を左手で押さえている。ロバは首を振り、後ろ脚で土を蹴った。背中の荷が、右へずり落ちかけている。
荷を両手で支えているのは、毛皮の帽子をかぶった男だった。
「行商のコンラートだ。毎年、雪の前に来る」
ダリアさんが言うと、男は帽子のつばを持ち上げた。
「町に入る前に、まず修繕屋に見せろってさ。この町に修繕屋なんて、いたかね」
「いなかった。六日前までは」
荷を下ろしてもらって、荷鞍を見た。
ロバの背に載せる木の枠だ。左右二枚の板を、前と後ろの弓なりの木でつないである。その右の板が、真ん中から割れていた。
「いつ、どうやって壊れましたか」
「昨日の坂の下りだ。ばきっと鳴って、荷が傾いた。そこから半日、俺が横で荷を押して歩いてきた」
コンラートさんは、右の肩を回してみせた。
割れ口の木は、まだ白い。新しい割れだ。
ただ、板の裏は、右だけが黒く光っていた。何年も重い物にこすられた艶だ。左の板の裏は、まだ木目が立っている。
ロバの背中も見せてもらった。右の腹の上だけ、毛が薄くなって、皮が固い。
「重い荷を、いつも右に積みますね」
「……なんで分かる」
「板の減り方と、この子の背中です。右ばかり重いから、右の板が先に疲れた。昨日の坂は、最後のひと押しです」
コンラートさんは、帽子の上から頭をかいた。
「左から積もうとすると、こいつが蹴るんだよ」
ロバが、鼻を鳴らした。
ダリアさんの口の端が、少しだけ上がった。
割れた板を合わせて、両手を当てる。手のひらが熱くなる。白い割れ口が閉じて、銀の線が一本残った。
「継ぎ目は、元の板と同じ強さにしかなりません。右の板は、もう疲れています。荷を分けて積まないと、また同じところから割れます」
見積書を書いた。
――荷鞍。右の板、割れ。繕い。銅貨八枚。
――重い荷は、左右に分けて積むこと。左から積むときは、先にこの子に声をかけること。
コンラートさんは二度読んで、笑った。それから、自分の荷の山を指さした。
「銅貨のかわりに、品物じゃだめかね。冬の前で、財布が軽いんだ」
「何がありますか」
「革、鍋、針と糸、塩」
「厚い牛の革を、ふいご一つぶん。銅貨八枚では足りないはずなので、差額は俺が払います」
コンラートさんは、目を丸くした。
「修繕屋が、ふいごを?」
「炉を起こします」
◇
革を選んでもらうあいだに、俺は布の包みをほどいた。
「これと同じ物を、どこかで見たことはありませんか」
爪の先ほどの、白っぽい銀色のかけら。
コンラートさんはそれを指でつまんで、朝日にかざした。短く口笛を吹く。
「星銀か。こんな所で見るとはね」
「どこかで、売っていませんか」
「売ってないね。今どき、どこの村にもない」
かけらが、俺の手のひらに戻ってきた。
「南の村で聞いた話だがね。組合の買い取りが回ってきて、星銀なら、鍋の鋲一つでも高く買っていくんだと。集めて、王都へ運んでるらしい」
「買っていくところを、見ましたか」
「いいや。聞いた話だ」
コンラートさんは、ロバの首を軽く叩いた。
「昔は、軍の払い下げの古道具に、ときどき混じってたもんだがね。今は、とんと見ない」
ダリアさんの添え木が、ぎし、と鳴った。
ダリアさんは手綱を若い衆に渡して、門の外の森のほうへ目を向けた。
塔の留め具も、王都へ。
そう考えかけて、やめた。
組合が星銀を買い集めている、というのは聞いた話だ。誰が留め具を抜いたのかは、まだ見ていない。
俺のスキルは、元は一つだった物どうししか、つながない。聞いた話と見たものは、まだ一つだと分かっていない。
かけらを、布に包み直した。
牛の革は、二枚になった。
差額の銅貨を数えて渡すと、コンラートさんは手のひらの上の銅貨と、俺の顔を見比べた。
「払いすぎる客は、初めてだ」
「払いすぎてはいません。適正価格です」
◇
昼から、ハンナさんの作業場で、ふいごの革を張り替えた。
ふいごは、上と下の二枚の板を、革でつないだ箱だ。上の板を押すと、中の風が筒から炉へ吹きこむ。
古い革を留めている鋲を、一本ずつ起こしていく。錆びて、頭の欠けたものもある。リタが、抜いた鋲を空き缶に落としながら数えた。
「四十二本」
「新しい鋲が、四十二本要りますね」
「ハンナばあちゃん、鋲ある?」
ハンナさんは、もう棚の奥に手を入れていた。
はがした古い革を、新しい革の上に広げる。ひびだらけでも、形は残っている。その縁を炭筆でなぞって、切り出した。
塔の穴に蝋を押しこんだときと、やることは変わらない。
革は、ひだを取りながら張る。ひだがなければ、板が開かない。張りすぎれば、開いたときに裂ける。
鋲を、一本ずつ打っていく。
打ち終えて、筒の口を手のひらでふさいだ。上の板を押す。
板が、押し返してきた。どこからも、風は漏れていない。
炭は、リタがマルタさんの店から、袋に半分もらってきた。かまどの熾きを消して取っておいた、消し炭だ。
「代金は」
「夫婦げんかの見積書の、お礼だって」
炉に消し炭を入れて、火をつけた。
「今日は、強くは焚きません」
「なんで?」
「十年、冷えていた煉瓦です。いきなり熱くすると、割れる。今日は、炉を起こすだけです」
ふいごを、ゆっくり押す。
炭の赤が、押すたびに明るくなり、手を離すと沈む。煉瓦の目地から、細い湯気が上がった。十年分の湿りが、抜けていく。
ハンナさんは、ひっくり返した桶に腰を下ろして、それを見ていた。
しばらくして立ち上がると、壁に掛けてあった火箸を外した。前掛けで錆をこすって、炉のすぐ横の釘に掛け直す。
それから、また桶に座った。何も言わなかった。
リタが、炉の火と、俺の布の包みを見比べた。
「あとは、星銀があれば」
「あれば、です」
◇
日が落ちるころ、作業場の戸口に、ダリアさんが立っていた。
右手で、左の腕を抱えている。
添え木の革が、肘の下でだらりと垂れていた。留め金が外れて、金具が一つ、革の端からぶら下がっている。
初めて会った夜から、ずれていた留め金だ。
ダリアさんは、戸口から入ってこなかった。炉の火が、ぶら下がった金具を赤く照らしている。
「壊れたら、まずお前に見せる。……言ったからな」
俺は、ふいごから手を離して立ち上がった。
「いつ、どうやって壊れましたか」
「留め金は、今朝だ。ロバを押さえたときに、外れた」
ダリアさんは、一歩だけ中へ入った。
左腕を、炉の明かりの中へ差し出す。
「添え木のほうは、長くなる」




