三年分の閂
折れた横木を、松明の下で裏返した。
樫の、いい木だった。太さは俺の腕を二本合わせたくらい。折れ口は、片側だけが黒ずんでいる。
「今夜折れたんじゃありませんね」
「三日前だと言ったろう」
「三日前に折れきっただけです。この黒いところは、ずっと前から割れていた跡です。少しずつ割れて、汚れが入って、黒くなった。一晩や二晩の割れじゃない」
ダリアさんが、眉を寄せる。
俺は立ち上がって、門の受け金を見た。門の両扉に一つずつ、横木を通す鉄の輪がついている。
指を入れてみた。横木の太さより、指一本ぶん大きい。
「この受け金、いつ取り替えました?」
「……三年前だ。王都の組合の巡回技師が来て、古い金具は規格外だから、と」
三年。割れの黒さと、合う。
「受け金が大きすぎるんです。横木が中で遊ぶ。狼が門を打つたびに、横木が受け金の縁にぶつかって、毎回、同じところに力が集まる。三年かけて、そこから割れました。細い松なら、もっと中で遊びます。木を替えるだけでは、だめです。受け金も直さないと」
「組合の新品だぞ」
「新品でも、門に合っていなければ、壊します」
門の外で、何かが門にぶつかった。どん、と腹に響く音がして、背中で押さえていた男たちが、うめいた。
「来たぞ!」
灰狼の群れだ。
門の向こうで、爪が板を掻く音がする。
「何がいる」
ダリアさんの声は、もう落ち着いていた。
「二つです。この横木を元の一本に戻すこと。それと、古い受け金。三年前に外した物です。どこにありますか」
「そんな物……」
ダリアさんが言いかけたとき、男たちの一人が、背中を門につけたまま叫んだ。
「ハンナばあさんだ! あの人は、なんでも取っとく!」
◇
ハンナさんの家は、門から通りを二本入ったところにあった。
十年前に亡くなった鍛冶屋の親方の、おかみさんだ。夜中に戸を叩かれたのに、ハンナさんは寝間着に肩掛けを羽織って、すぐに出てきた。
「三年前の受け金? あるよ。うちの人が打ったやつだもの。捨てられるもんかね」
作業場だった土間は、物置になっていた。
錆びた鍬。柄の取れた鍋。車輪の外枠。蹄鉄が、木箱に山になっている。どれも、いつか直すつもりで取ってある物の顔をしていた。
「直すつもりでね。十年たっちまった」
ハンナさんは、鍋の柄を一本拾って、また木箱に戻した。
棚の奥の麻袋から、ハンナさんが鉄の輪を二つ出した。
黒く、重い。縁に、小さな刻印が打ってある。槌ではなく、麦の穂の形だった。
「うちの人の印だよ」
受け金の内側に、横木を当ててみる。
すき間は、紙一枚ぶん。
「いい仕事です」
ハンナさんは、なぜか少し胸を張った。
◇
門に戻ると、狼の数が増えていた。
門が打たれるたびに、男たちの体ごと、扉が指一本ぶん内へたわむ。縄がきしむ。
縄は、両扉の取っ手に巻いてから、扉の内側を横切って、左右の門柱の鉄の輪に通してある。その端を引く男たちが、閂の代わりに張っていた。
誰かが、歯を食いしばったまま神様の名前を呼んでいた。
「受け金を替えます。少しのあいだ、門の真ん中を、一人ぶんだけ空けてください」
「空けたら、押し破られる」
「その両脇で押さえてください。真ん中は、縄が持ちます」
ダリアさんが短く号令をかけた。男たちが、左右に分かれる。
ダリアさん自身は、空けた真ん中のすぐ右で、門に肩を当てた。門が打たれるたびに、左腕の添え木が、ぎし、と鳴る。留め金が一つ、ずれている。
今は、言わない。
俺は組合の受け金のかしめを鏨で起こし、小槌で叩いて外した。
腕に、門の向こうの重みが伝わってくる。打たれるたびに、扉が揺れる。
麦の穂の受け金を、元の穴に当てる。穴の位置は、ぴたりと合った。当たり前だ。もともと、この門のために打たれた物なのだから。
鋲を打つ。一本、二本。手が震えないように、息を数えた。
それから、折れた横木。
二つに折れた樫の、折れ口と折れ口を合わせる。黒ずんだ割れの奥まで、元の形を探りながら、手を当てる。
手のひらが、焼けるように熱くなった。
大きな物は、時間がかかる。
門が打たれる。扉が揺れる。誰かが「まだか」と叫ぶ。
木の繊維が一本ずつ、元の場所を思い出していく。長い時間だった。たぶん、実際には、百を数えるくらいだったと思う。
手を離すと、樫の横木は一本に戻っていた。
真ん中に、細い銀の線が一本、ぐるりと巻いている。
「通します!」
ダリアさんと二人で横木を抱えて、受け金に通した。
ごとん、と重い音。横木は、受け金の中でほとんど動かない。
次の瞬間、門の外から、いちばん大きな衝撃が来た。
男たちが、思わず門から体を離した。
扉は、たわまなかった。
もう一度。さらにもう一度。
門は、鳴るだけで動かない。
しばらくして、狼の声が、森のほうへ遠ざかっていった。
もう、誰も門を押していない。
男たちは、門の前に座りこんで、自分の手のひらを見ていた。縄の跡が、赤く残っている。
◇
夜明け前、ダリアさんが門の横木の前に立っていた。
銀の継ぎ目を、指でなぞっている。
「見栄えは、よくないな」
「はい。消せません」
「……いい」
ダリアさんは指を離した。
「どこを直したか、すぐ分かる」
それから、俺のほうを向いた。
「礼を言う。代金は」
俺は道具袋から紙と炭筆を出して、見積書を書いた。
受け金の付け替え。横木の繕い。夜間の作業。材料は、ハンナさんの物置から。
ダリアさんが、紙をのぞきこんで、少し黙った。
「……高いな」
「適正価格です。まけません」
「町の金庫は、組合の金具代で、三年前からからっぽだ」
「分割でも、かまいません」
ダリアさんは、しばらく紙を見ていた。
それから、初めて声を出して笑った。短い、乾いた笑いだ。
「住むところは、門番小屋の裏の空き家だ。好きに使え」
◇
空き家は、埃だらけだった。
それでも屋根は落ちていないし、窓の木枠もまだしっかりしている。
道具袋を床に置いて、横になる。五日ぶりの、揺れない床だ。
目が覚めたのは、昼近くだった。
戸の外が、妙ににぎやかだ。
戸を開けると、家の前に、人が並んでいた。
柄の取れた鍋を抱えたおばさん。片方の車輪が外れた手押し車を引いた男。底の抜けた桶。刃こぼれした鎌。木の馬の脚が取れた玩具を、両手で持った男の子。
列は、通りの角を曲がって、まだ続いていた。
先頭のおばさんが、鍋を差し出した。
「門の横木を直した人ってのは、あんたかい」
俺は、うなずく。
列のいちばん後ろに、女の子が一人立っていた。十二、三歳くらい。何も持っていない。
その子は、列には並ばずに、まっすぐ俺の前まで歩いてきた。
「あの」
女の子は、町の外れの、岩山のほうを指さした。
石造りの塔が、一本、空に立っている。てっぺんの窓の奥に、くすんだ水晶のような丸いものが見える。
「二十年止まってる塔も、直せますか」




