最後の見積書
「また欠けた。お前の修理が下手だからだ」
勇者レオンが、酒場の卓に剣を置いた。
ダンジョン帰りの夜で、まわりの卓は冒険者の笑い声でうるさい。俺は麦酒の杯を脇へよけて、剣を手に取った。
刃の右側、鍔から指三本ほどのところが、小さく欠けている。
先週直したのも、同じ場所だった。その前も。
「振り方の癖です」
「は?」
「振り終わりで、手首が右へ流れます。だから刃の右の、根元に近いところにばかり当たる。俺が直しても、同じところからまた欠けます」
レオンの顔が赤くなった。
隣で魔術師のセラが、ため息をつく。盾役のバルドは、黙って麦酒を飲んでいる。
「勇者の剣筋に、修繕係が口を出すのか」
「剣筋じゃありません。手首です」
「同じだろうが」
そこへ、扉のほうから明るい声がした。
「皆さま、本日もご無事で何よりです」
王都工房組合の代理人、ヘルマンさんだった。いつものように髪をなでつけ、細長い包みを両手で抱えている。
包みがほどかれると、新しい剣が出てきた。柄に、白い槌の刻印。
「組合の新品です。新しい保証契約では、皆さまの装備が壊れた際、すべて新品と交換いたします」
レオンが剣を抜いた。灯りを映して、刃が白く光る。
酒場のあちこちから、ため息のような声が上がった。
「ただ、ひとつだけ」
ヘルマンさんは、俺のほうを見ないまま続ける。
「他所で手を入れた装備は、保証の対象外になりますので」
それで、話は決まった。
「ギド。お前、今日で終わりな」
レオンは新しい剣を鞘に納めながら言った。
「鑑定はF級。直した跡には、あの銀の線が残る。王都の式典で、俺の鎧の継ぎ目を見て笑ったやつがいたんだ。勇者の鎧が、つぎはぎだってな」
【繕い】。俺が十五歳で授かったスキルだ。
元は一つだった物どうしを、つなぐことができる。ただ、それだけ。つないだ所には、細い銀色の線が残って、消えない。
六年、このパーティの装備を直してきた。
欠けた刃も、裂けた鎧も、割れた盾も。
「分かりました」
俺が言うと、レオンは少し拍子抜けした顔をした。
「一時間だけ、ください。最後の仕事をします」
◇
宿の部屋に戻って、俺は見積書を書いた。
一人一枚。直すべき箇所と、その費用。それから、それぞれの癖を。
セラの杖は、石突きが内側だけ減っている。歩くとき、杖を体に寄せすぎる。新しい杖でも同じように減るから、ときどき持ち替えること。
バルドの大盾は、左下ばかりが打たれている。仲間をかばうとき、いつも半歩だけ左へ出る。それは癖ではなく、彼の仕事だ。だから注意書きは書かなかった。代わりに、裏の革帯がそろそろ切れることだけを書いておく。
レオンの分は、少し長くなった。
――剣。振り終わりで手首が右へ流れる。新品でも、同じところから欠けます。欠けたまま使い続ければ、根元から折れます。振り終わりで、手首を返さないこと。
酒場に戻って、一枚ずつ渡した。
セラは読まずに外套の内へしまう。
バルドは、ゆっくり二度読んで、小さくうなずいた。
レオンは一行目だけ見て、紙を丸めた。
「最後まで説教か」
丸めた紙が、卓の端を転がって、床に落ちる。
「お世話になりました」
俺は頭を下げて、酒場を出た。
◇
宿へ戻る路地で、後ろから足音がついてきた。
振り返ると、バルドだった。大盾は背負っていない。
「あれは、拾っておく」
それだけ言って、バルドは俺の手に小さな革袋を押しつけた。中で、銀貨が鳴る。
「受け取れません」
「見積書の代金だ。盾の分」
バルドは来た道を戻っていく。一度も振り返らない。
大きな背中の、左の肩だけが、少し下がっていた。いつも半歩だけ左へ出る人の、肩だ。
◇
翌朝、俺は冒険者ギルドの掲示板の前にいた。
F級の修繕係を雇う依頼は、ほとんどない。王都では、壊れた物は組合で新品に換えるのが当たり前になった。直す仕事そのものが、減っている。
いちばん端、ほかの紙の下から、黄ばんだ角がのぞいていた。
――辺境トルン 修繕係求む 住居つき 門番隊
日付は、三年前だった。
受付の娘さんに聞くと、まだ取り下げられていないという。
「誰も行かないんですよ。遠いし、狼が出るし」
「行きます」
「えっ」
その日の昼の乗合馬車に乗った。
◇
トルンまでは、馬車で五日かかる。
三日目の昼、峠道で、馬車がきしみはじめた。後ろの左。坂を下るたびに、ぎっ、と鳴る。
「すみません。止めてもらえますか」
御者は面倒そうな顔をしたが、道の脇に馬車を寄せてくれた。
俺はしゃがんで、左の後ろの車輪を見た。木の輻の一本に、細いひびが入っている。ひびの端は、まだ白い。
「最近、大きな石を踏みませんでしたか。左の後ろだけで」
「……三日前の峠だ。なんで分かる」
「ひびの向きです。下から突き上げられた割れ方をしている。端がまだ白いから、新しい。このまま峠を下りると、輻が抜けて、車輪ごと崩れます」
御者の顔から、面倒そうな色が消えた。
俺はひびに両手を当てた。手のひらが熱くなる。
割れていた木の繊維が、元の一本に戻っていく。終わると、ひびのあった所に、細い銀の線が一本走っていた。
「これで峠は下りられます。ただ、町に着いたら、輻を一本、新しい木で替えてください。継ぎ目は元と同じ強さにしかなりません。石を踏めば、また割れます」
御者は銀の線を指でなぞった。
「いくらだ」
俺は道具袋から紙と炭筆を出して、見積書を書いた。銅貨十二枚。
「……安いな」
「適正価格です」
御者はしばらく俺の顔を見て、それから、笑った。
◇
五日目の夕方、トルンの町が見えてくる。
岩山を背にした、小さな町だった。木と石の外壁に囲まれて、煙突から煙が細く上がっている。秋の終わりの日は短く、空はもう暗くなりかけていた。
馬車は、町の手前で止まった。
「ここまでだ。夜の門には近づきたくねえ」
御者に礼を言って、俺は東の門へ歩いた。
門は閉まっている。
近づくにつれて、声が聞こえてきた。掛け声だ。男たちの。
「押せ! もっと腰を入れろ!」
門の隙間から、明かりが漏れている。内側から、何人もの体が門に押しつけられる音がする。
森のほうで、遠吠えが一つ上がった。それに、二つ、三つと重なっていく。
門の脇の小さなくぐり戸が開いて、松明を持った女の人が顔を出した。四十がらみの、背の高い人だった。左腕に、古い革と金具の添え木を巻いている。
「誰だ。今、門は開けられない」
「修繕係の求人を見て来ました。ギド・ノルンです」
松明の明かりが、俺の顔の上で止まった。
「……三年前の、あれか」
「はい」
「門番隊長のダリアだ」
ダリアさんが、くぐり戸を大きく開ける。
中では、二十人ほどの男たちが、門の内側に背中を押しつけていた。縄が門の取っ手に何重にも巻かれ、その端を、別の男たちが引いている。
門の真ん中、閂を通すはずの鉄の受け金には、何も通っていなかった。足もとに、太い樫の横木が二つに折れて転がっている。
「三日前に折れた。樫の替えはない。間に合わせの細い松を通したが、一晩もたなかった。それから、こうだ」
ダリアさんの声は、低くて、乾いていた。
遠吠えが、近づいてくる。
「直せるか」
俺は道具袋を下ろして、折れた横木の前にしゃがんだ。
「壊れたところを、見せてください」




