第五話《試験 序》
バカにされている。屈強な虎たちの巣窟に入り込んでしまった子猫のような。それでも、何か大きな悪意は感じられなかった。
ただ場違いな<うぬす>の姿が面白おかしく映ったのだろう。受付嬢に話しかけられるまで、ほうけてしまっていた。
「えーと、ランジェになりたいという事ですよね?」
「はい」
「この書類にサインをお願いします。知っての通りだとは思いますが、ランジェになる為には試験があります。このバオックスでは試験は行っておりませんので、お気をつけ下さい。
書類には上から、名前、年齢、住所、そして職業をお願いします」
台の上にあった羽ペンを手に取る。しかし、<うぬす>は、現代技術が詰め込まれた使いやすいペンしか知らない。インクが狙い通りに滴らず、不満を漏らすところだったが、なかなか上出来な文字だ。
初めてにしては……。
ペンを元の位置に戻し、書類を手渡す。
「これでお願いします」
「ありがとうございます。少々、確認のためお時間を取らせて頂きます」
時間的猶予はいくらでもある。とくに考える必要すらなく頷いた。しかし、予想外だったのは受付嬢の反応だった。書類をもらって、たかが数秒。すでに首を傾げながら、こちらを凝視している。
「すみません。こちら知らない文字でして……」
日本語が伝わらないだと……。口語で日本語を話しているのに読み取りが不可能。そんな話があり得るとは到底考えづらい。それに、文字自体を見た経験がないといった反応だ。そう言えばシエラも日本を知らなかった。
再び、仮説が生まれる。
「ここの言語体系は何と言うのか教えてもらえませんか? 出来れば国やその言語圏についても」
<うぬす>が問う。受付嬢からしたら何を今更聞くのだと、そう言いたげな表情だ。困惑とも取れる。
「え、あーはい! ここは東バルーナ共和国、バオックス町。近辺の国では基本的に、コマン語が使われていますね。世界的に見ても使用人口の多い言語ですよ」
仮説はほぼ正解だろう。なぜだか理由はわからないのだが、自動翻訳のような事が起こっている。そう捉えるとシエラや受付嬢の反応に納得が生まれる。そして"この世界"と"日本のある世界"には直接的な繋がりはなく、全く別の言語体系で動いていると。
自分で情報を改めてみると、本当に理解ができない状況だ。
今わかっている全てを再度確認しておくべきだ。
・ここは「シニスト」によく似た世界。
・謎のアナウンス、そしてクエスト。身体の回復機能など未知数は多い部分。
そして現在確かめた言語の部分だが、もう1段階深く整理するべきだ。喋る事や聞き取りに関しては自動翻訳が掛かる。これは自分の知識とは関係のない別の、何らかの力で発生された現象だと予測しておく。その場合、書き取りが不可能なのは、知識自体は一切ないからではないのだろうか。
そんな思考をしていたばかりに、<うぬす>の背後には受付待ちの列が形成されてしまっていた。
「おい、ボケっとしてないで早く退けよ」
「……あ、すみません〜〜」
そそくさと退散した。思い返すと、ちゃんと受付を終了させられなかった。多分書類は完成していない。また受付に戻るのは気が引けてしまったので、次はライの言っていた塔を目指す。
町の中でも煙たい方向に頭を向けると、確かにこの町で一番目立つ鉄製の巨大縦長建造物がそびえ立っている。
「受付はまた明日にしよう、そうしよう」
<うぬす>は鉄塔に向かい、歩き始めた。




