第三十六話《残穢:サヤ視点》
目を覚ますと、宿の一室で一人だった。多分、眠ってしまった自分をキリエがわざわざ運んでベッドの上で寝かせてくれたんだ。
電気をつけてみてもダメだった。
暗い、暗い。カーテンを開けても尚暗い。夜の闇が心に染みる。負けたんだ、私一人だけが負けた。2次試験はもう終わっただろうか。いいや、まだだと思う。キリエは多分、試験が終わった後なら宿に戻ってくるはず。ハイルとうぬすも一緒かな……。
何かいい匂いがする。そうだセジェールガルニ……。この町に来てでキリエと一緒に食べた料理。すごくおいしかった。よく覚えている。
右も左もわからず彷徨って、お腹が減ったから近くの屋台で買った。初めての味だったけど、一口も残さず完食していた。最近の事なのに、思い出すと懐かしい。
それでも食欲は湧かなかった。
折られた弓が部屋の隅に掛けてある。
……今の私じゃ、万全でもルーナンには勝てない。その勝負の敗因に病を使えてしまう……。自分が弱くないと思いたいだけ。
私はどうすれば良いの。どうしたら魔獣を倒せるの。どうしたら、どうやったら、どんなふうに故郷を救えば良いの?
体は万全ではないと悲鳴をあげている。皆んなが帰ってくるまで待てと五月蝿い。喉の奥から咳として言葉の吐瀉物を吐き出す。ずっと重く鈍いどす黒い塊が私の過去を突き刺していた。
立ち上がる為の一歩がやけに重い。足先に鎖と鉄球が繋げられた様なほどに。実際そんな経験はないが、心ここにあらず。1次試験のコロシアムの中、牢に囚われたみたいな感情。
煩悶し、失意に塗れ、しかし自分の目的だけは明確。そこに辿り着ける道を見つけられない。
小さな頃に背負いきった責任感は、本来多少は持つべき全能感。自尊心を暫時奪っていた。
私は気づいていながらも、キリエが側にいる事実に安心し、村の後悔を忘れようと無意識に生きていたのかも知れない。
体が全く動かない時間。自分の頬を強打し、痛みに震えた。ようやくちゃんと自分の足で起き上がる。子鹿のようで無様。体たらくだ……。
「もう終わりにしよう。今の私は」
咳こんでしまう。この程度の矜持に押しつぶされていた私。それで病弱などと。
死ぬなど甘い。全ては朗々と笑い生きていた時間への懺悔。ここから先は手段を厭わない。本来あるべき心の在処に帰るのだ。
自分自身の喉を締め、咳や涙と共に流れる言葉を堰き止める。言ってしまったら負けだ、自分の弱さを冷静になって考えれば、この手は揺らぐだろう。
冷めきったセジェールガルニを眺める。拾い上げると心が温かい。キリエがくれた情を、一口だけ食べた。これ以上はいけない。駄目だ。
残穢。さして負けに対するだけの物ではない。己の生き恥を試験という記憶に刻みこんで忘れない決意。暖かい湯の中から這い出る覚悟とも言えた。
目の前には机と椅子があった。
立ち上がっては椅子に座り、即座に立ち上がる。黄昏れ、呆けていたと思ったら座っていた。やっぱり私は涙を溢した。それが悔しかった。
自分を律する気力すらないというのか。
歪み切った理性は命じた。
この部屋には居られない。早く出ていけ、早く出ていけ、早く出ていけ、早く出ていけと言葉が脳で反芻されている。
本当なら痕跡すら残さず、すぐに出ていくべきだと理解していた。それでも私の弱さもそれを許さなかった。視界が変にぼやける。
結局私は無力な上で、人からの優しさだけに甘んずる寂しがりの弱者なんだ。
残酷な残穢をキリエにまで与えてしまう。違う違う、そうなるのは書けば確実だとわかっている。自分の小さな背中では背負いきれない一端を置いていくつもりだと、筆を手にしてから整理できた。
「最後までわがままでごめんねキリエ」
机上には乱雑に蓋が取られた筆記具が転がり、感謝に溢れた別れの手記が置かれている。
齧られたセジェールガルニが部屋に、確かに人がいた事だけ淡々と告げていた。
サヤはすでに、この町の闇には居ない。自分自身の力で問題を解決する為に。キリエの人生を空費させない為に。
※セジェールガルニ……バルーナの町の名物料理。第二十七話参照。




