153話--エマ--
間違いなく私に対して殺気を放っているエマは小さく舌打ちをして言った。
唇の端だけが歪んで視線がこちらを刺してくる。
「わぁっ、聖女さんじゃないですかぁ! ファンなんですぅ!」
猫なで声に近い声がエマから発せられた。
言葉の形だけを丁寧に整えて心が全く籠っていないような声だ。
緑色の髪、肩までの短いショートヘアでパーマが掛かっている。丸い縁の眼鏡をしており、基本的に目が死んでいる。
視線は柔らかく見せようとしているのに冷たく感じる。顔は整っていて身長も沙耶より小さいぐらいだ。
言葉に詰まりながらエマの発言に返事をする。喉が引っかかって声が一拍遅れた。
「そ、そうなんだね……?」
「はいっ! それでぇ、どうしますか?」
非常に耳障りな声だ。
回帰前にもやっていた心の底から嫌いな相手に向ける声。
今の世界では接点など全くないはずなのに、なぜ嫌われているんだ……? 視線の角度、言葉の使い方、そのどれもが最初から私を敵として扱っている。
疑問は尽きないが、一先ず処遇を決めよう。
「全部壊そうかな。正直に所属を答えてくれれば返してあげなくもなかったけど、嘘ついてたし……」
「それが一番だと思いますぅ」
まったく目の笑っていない笑みでエマが頷いた。口元だけが形を作って眼鏡の奥は一切動かない。
小さく息を吐いて右目へと魔力を流し込む。じわり、と視界が歪み、色が抜け落ちた。
輪郭がわずかに揺れて、音が遠のく。盗聴器の山に目標を絞ってから、開いていた手を握る。
それと連携しているかのように闇が空間から滲み出て、盗聴器の山に纏わりつく。細い糸みたいに絡み、逃げ場を塞いでから一点に集束した。
コン、と闇に圧縮された球体がテーブルに落ちた。
『ば、バケモノ――』
「カレン、この人の記憶飛ばせる?」
「ん。やってみる」
その言葉と同時にカレンが黒スーツの男の後頭部を殴った。躊躇がない。拳が次の瞬間には叩きつけられて肉と骨の鈍い衝撃が響く。
頭が床に叩きつけられる嫌な音が部屋に響いた。絨毯越しでも分かるほど重い一撃だ。
「……カレン? なんか魔法的なものでやってほしかったんだけど……」
「ん。みすった、ごめん」
やり方を指定しなかった私も悪いが、殴るまでが尋常じゃなく早かった。息を吸う間もない速度だ。
死んでいないことを確認してから、首根っこを掴んで部屋の外に放り投げた。
「あのぉ、聖女さん! これっ、差し入れです!」
「あ、ありがとう……」
エマが私にスポーツドリンクのペットボトルを渡した。
未開封ではあるが目に籠っている殺意から嫌な予感しかしない。指先がわずかに震えているのは、演技か、それとも期待か。
何が目的か確かめるためにも、この場で飲むべきだろう。
「いただくよ……」
「どうぞ~」
ペットボトルに口をつけた瞬間、エマの表情が抜け落ちた。
能面のように無の表情になる。やっぱり、何か仕組んでるな。
一口、二口、飲んでいく。普通のスポーツドリンクの味の後ろに、仄かな苦みと――痺れ。舌の端が鈍くなって、喉の奥が冷える。麻痺毒か。
そういえば回帰前、エマは錬金術師と僧侶をやっていた。
よく、人に毒を飲ませて、それを自分で解毒するという行為をしていたのを思い出す。相手の反応を見て、配合を調整していた。
懐かしさを感じながら飲み物を全て飲み干す。
「ふぅ……麻痺毒だよね? これ」
「なっ、なんで!? 無味無臭のはず――」
「普通の人なら多分感じなかっただろうね……でも、私はハンターだよ。舌で毒の判別なんてお手の物さ」
そうは言ったものの、感じられたのは苦みが少しだけ。
まだまだ精進しないとなぁ……。軽く舌を動かしたが、もう反応が遅くなりつつある。
ふらり、と足取りがズレて、後で整理しようとポーチに別で入れていたアイテム袋が落ちた。
「なんで……貴女が、ソレを……? 夢? でも……」
「知って、るんだ」
舌がうまく回らない。毒には結構耐性があると思ったけど、相当強い麻痺毒だな、これ。
今世では接点のないエマが私のアイテム袋を見て驚く理由が分からない。【全知】、何故だか分かるか?
『回答します。……世界のリセット時のエラーを確認。対象:エマに記憶の混濁が確認されました』
『全能の神が冷や汗をかいています』
『叡智の神がミスを隠した全能の神を睨みつけています』
記憶の混濁……? それは一体どういう……。
『回答します。現在の世界とリセット前の世界の記憶が混在しています』
「なる、ほど……?」
聞いてもよくわからなかった。
けれど、エマの視線が揺れているのは分かる。今ここにいる私と、過去の私を、同じ位置に重ねて見ているのが分かる。
エマが狼狽えながら私に言った。猫なで声の甘さが一瞬だけ途切れた。
「それ、どう思ってるの……?」
「この……マーク? 最初は、慣れなかったけど、慣れれば……かわいいかも?」
「……あの人と同じ? いや、でも……こいつは所長さまを……」
私とリシルを交互に見るエマ。目の動きだけが忙しくて、身体が置いていかれている。
リシルの事を見る表情がラストが私に向けるような表情に近い気がするような、しないような……。何かに執着している……?
もし、本当にそうであるなら、リシルを出汁にエマを連れてこれるかもしれない――。
「リシルと一緒に、居たいなら……私のところに来なよ……。他の人に、邪魔されず……ずっと居れるよ?」
「ずっと……? 本当? 嘘じゃない?」
「うん、何なら、同じ部屋に、してあげるよ?」
「――まだ、貴女は信用してないけど……そんなチャンスを逃すほど馬鹿じゃない。交渉成立ね」
エマが私の肩を叩くと、痺れが抜けた。皮膚の奥に溜まっていた鈍さが、すうっと引いていく。
僧侶のスキルである【状態異常回復】を使ったのだろう。
リシルを捕まえてエマに押し付ける。
「はい、どこか行かないように持っててくれると助かる」
「……任せて。所長さまぁ……さあ、わたくしめの元へ……」
「目が怖いんだけど? ねぇ、あーちゃん? もしかして、私を餌にエマちゃんを――」
「餌なんてひどいなぁ。交渉の結果だよ」
エマにリシルを渡すと、エマは顔をリシルにうずめて盛大に息を吸った。肩が上下して、短い呼吸が何度も続く。
前に沙耶が実家にいる猫に対してやっているのを見たことがある。
多分、そんな感じなのだろう。




