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120話--四十五層--

 転移石を砕いて四十五層の安全地帯に転移された。

 湿った血と鉄の匂いで満ちていたあの荒野とは違う、石造り特有の冷えた匂い。

 そこに、ざわざわ、とした人の気配が重なる。


「あの女が【剣鬼】か……?」

「一人で総力戦を超えてきたとか嘘だろ?」

「全然強そうに見えないな……」


 耳に入ってくるのは、聞いたことのある名だった。

 ……【剣鬼】?


 回帰前にそう呼ばれていたこともあった。

 もう二度と関係ないと思っていた単語が、あっさりと現在進行形で突きつけられる。


『回答します。神々が貴女に二つ名:【剣鬼】を授けました』


 頭の中に【全知】の声が響いた。

 ああ、そういえば――と、総力戦の終了間際に表示されたウィンドウのことを思い出す。あのときは死にかけていて文字を読む余裕なんてほとんどなかった。


 それにしても、よりによって【剣鬼】か。

 喉の奥がむず痒くなる。懐かしさと少しの居心地の悪さが同時に胸の内でくすぶった。


 こちらをちらちらと窺う視線は、そのまま背中に突き刺さるようだった。

 あからさまに距離を取る者、興味津々で覗き込む者、警戒心を隠しもしない者。

 反応は色々だが、共通しているのは関わりたくないけど見ておきたいという距離感だ。


 面倒なので全部まとめて無視することにした。

 広場から視線だけを外し、ぐるりと周囲を見回す。


 ぱっと見ただけでも、ここの構造は十五層の安全地帯とほとんど変わらない。

 中央の広場、そこから北へ伸びる石畳の通路、左右に並ぶ店。目に入る看板の並びも似ている。なら、交易所の位置も大差ないだろう。


 広場からしばらく北上すると予想通り「交易所」と書かれた看板が視界に飛び込んできた。

 大きな扉を押し開けて中に入った瞬間、受付の子が顔をしかめた。


「あの……その格好での来室はちょっと……」


 そこでようやく自分の状態を思い出す。

 全身、血と土と汗がべっとりと纏わりついている。乾いては剥がれ、また新しい汚れがその上に重なっている。総力戦を終えてからここに来るまで、風に晒された以外は何もしていない。

 強いて言うなら返り血のシャワーは浴びていた。それだけだ。


「……ごめん。来たばかりで整えてなかった。近くの銭湯と評判のいい鍛冶屋を教えてほしい」


「はい。そちらでしたら――」


 受付の子は仕事モードに切り替わったらしく、すぐに地図を取り出してくれた。

 指先でなぞりながら銭湯の位置、鍛冶屋の通り、服屋の並びまで教えてくれる。話を聞く限り、本当に十五層とほとんど同じ配置らしい。


 礼だけ告げて交易所を後にする。

 まずは装備だ。総力戦を共にくぐり抜けた風竜装備はあちこち傷だらけで、このまま使い続けるのは流石に不安が残る。

 先に鍛冶屋に行って預けてしまおう。


「……ここか」


 槌の音が一定のリズムで響く鍛冶屋の前で、ひとつ深呼吸をする。

 熱と鉄の匂いが、扉越しでも分かるぐらい濃かった。


 ――よし、行こう。


「お邪魔するよ。やってる?」


 適切な声の掛け方が分からず、思わず居酒屋の暖簾をくぐるときみたいな台詞が口から出た。

 その瞬間、ぴたりと槌の音が止まる。


 奥から、親方と思しきドワーフがどたどたと走ってきた。


「ガハハッ! 獣が入ってきたかと思ったぞ!!!」


「……ごめん。そんなに匂う……?」


 自覚はある。あるが……改めて言葉にされると少し刺さる。


「人族の女でそこまで身だしなみを気にしないのも珍しいな。今日は何の用事だ?」


 ――別に気にしたくないわけじゃない。気にする余裕がなかっただけだ。

 喉まで出かかった反論を飲み込んで、代わりに本題を口に乗せる。


 装備一式を外し、近くのテーブルにそっと置いた。


「修復をお願いしたいんだ。できる?」


「お前……これは十五層で燻ってる【名工】の作品だな? 随分と気合入れて作ったようだが……何をしたらこんなに壊れるんだ?」


 刃の欠け、鎧のヒビ、継ぎ目の歪み。

 親方の目が、それらを素早くなぞっていく。


「総力戦で戦ってたらこうなっちゃって……」


「ふむ、素材は……風竜!? こりゃ無理だぞ。修復するための素材が――」


「素材ならあるよ」


 口を挟むタイミングまで含めて、このくだりは十五層でも経験した。

 あのときは、ここぞとばかりに素材を取り出して怒られた。さすがに二回目は学習する。


 親方が、じろりとこちらを見た。


「……ほう。来い」


 短くそう言って、奥へと歩き出す。

 ついて行った先にあったのは、見覚えのある魔法陣でぐるりと囲われた部屋だった。壁も床も天井も魔法陣で埋め尽くされている。

 魔力を外に漏らさないための結界だ。

 テーブルの上に、風竜の鱗や爪、牙、翼膜などの素材一式を並べる。


「これで足りる?」


「……あぁ。修復代金は出来上がってからで良い。五日後に取りに来てくれ」


「わかったよ。じゃあ、よろしくね」


 親方の顔つきが、職人のそれに切り替わる。

 もうこちらに向ける興味はほとんどなく、視線は素材に釘付けだ。

 邪魔をしないうちにとっとと引き上げることにした。


 鍛冶屋を後にして、広場へ戻る。

 南側に目を向ければ、見覚えのある看板の並び。服屋、雑貨屋、その先に銭湯を示す湯気マーク。



 久しぶりの入浴は、思わず息が漏れるほどの快感だった。


 桶にお湯を汲んで頭から被る。

 乾いた血と汗が一気に流れ落ち、床を赤黒く染めていく。石鹸を泡立てて髪を洗うと、最初のうちは泡が赤茶色に濁った。


 汚れが出なくなるまで徹底的に洗い流す。髪だけじゃなく、首筋、肩、背中、肘、指の隙間。

 筋肉の張りも、一緒にほぐれていくようだった。


 体もこれでもか、と言わんばかりに擦った。

 血が染み込んでいた皮膚の表面がようやく呼吸を始める。お湯がじんわりと染みた。


 湯船に浸かると熱が体の芯までゆっくりと降りていく。

 総力戦の疲労が湯の中でじわじわと溶けていくようだった。意識を半分だけ浮かせたまま、長めに湯に身を沈める。


 十分に温まったところで湯から上がり、脱衣所のベンチに腰を掛けて体の火照りを冷ます。

 ふと、鏡越しに自分の首元が目に入った。


「なんだろう、これ……」


 首をぐるりと一周するように細い線が走っていた。

 焼き印でも、切り傷でもない。幅一センチほど、うっすらと浮かび上がる黒い輪。


 直近で首周りに何かあったか、と記憶を辿る。

 一つだけ心当たりがあった。


 ――ルトリエとの別れ際、首筋に噛みつかれたこと。


 あのとき確かに何かが体の中に流れ込んできた感覚があった。

 今のこの線は、その名残なのだろう。

 

 元、神らしくルトリエは発想も倫理観も色々ぶっ飛んでいた。

 その日初めて会った相手に「子を孕め」なんて普通の思考回路では出てこない台詞だ。

 ふるふる、と頭を振って考えるのをやめる。

 あの手の存在について真面目に考え始めると、こっちの頭がおかしくなる。


「顔に傷もできてる……」


 左の顎の端から線を引いたように傷跡が残っていた。

 手の傷と言い、沙耶に怒られる事が段々と増えていく。


 そんなことを考えていると体の熱がちょうどいい具合に引いてきたので服屋で買ったばかりの新しい服に袖を通す。

 防具の下に着ていた元の服は銭湯の主人に頼んで処分してもらった。

 あれだけ血と汚れを吸い込んだ布を、これ以上持ち歩く気にはなれない。


 身なりを整え、ようやく人並みに小綺麗と言える程度になったところで再び交易所へ向かうことにした。



 交易所の扉を押し開けて中に入ると先ほどとは全く違う反応が返ってきた。


「いらっしゃいませ。本日はどのような要件ですか?」


 受付の子が、きちんと営業スマイルで迎えてくれる。

 さっきまでの引き攣った顔はどこにもない。

 

「さっきは銭湯と鍛冶屋教えてくれてありがとね。売りたいものがあるから支部長に取り次いでくれる?」


「えっ、あっ、先ほどの……?? 随分と見違えましたね! ちなみにどのような物をお売りになるのですか?」


 驚きながらも、きちんと仕事の質問を重ねてくるあたりは優秀だ。

 返事の代わりに魔石袋からゴーレムの魔石をいくつか取り出してカウンターに置いた。

 どすん、と小さな山ができる。淡く光る魔石が受付の子の表情を固まらせた。


 総力戦の最中でもゴーレムを見かければ反射で魔石だけはもぎ取っていた。

 もぎ取って投げ捨てる。ほとんど無意識の作業だったが、その積み重ねの結果、荒野に大量に落ちていた。

 魔石袋の中も尋常じゃない量の魔石が入っている。


 このまま抱えて歩いても仕方がない。

 どうせ疲れを取るために少し長めに四十五層に滞在する予定だ。なら、さっさと売ってしまった方がいい。


「他にもいっぱいあるんだよね」


 魔石袋の口を軽く揺らして見せると受付の子の喉が小さく鳴った。


「……すぐに取り次ぎます!!!」


 パタパタ、と小走りで奥へ駆けていく足音。

 さっきの丁寧な接客からは想像できない勢いだった。


 さて、どれぐらいの値がつくのか。少しだけ楽しみだ。


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