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119話--真相--

 「お姉ちゃん! 朝ごはんもうできてるよ~」


 耳元で聞き慣れた声がして、肩をゆさゆさと揺すられた。

 まぶたの裏にこびりついていた血と闇の光景が、砂を払うみたいに遠ざかっていく。


 夢を、見ていたのだろうか。


 重たいまぶたをこすりながらゆっくりと身を起こし、ふらつく足取りでリビングへ向かう。


「遅いっすよ! 先輩が寝坊なんて珍しいっすね!」


「お疲れだったようですし、無理はしないでくださいね」


 テーブルに着いていた七海と小森ちゃんが、それぞれらしい調子で声をかけてくる。

 リビングのテーブルには、見慣れた朝ごはんがきちんと並んでいた。焼き魚の匂い、味噌汁の湯気、炊きたてのご飯の白さ。どれも当たり前の朝の風景。


「ん。次寝坊したら、わたしが熱烈に起こしてあげる」


 カレンが淡々とした声でとんでもないことをさらっと言う。

 いつもの席に腰を下ろし、手を合わせて「いただきます」と声を揃える。

 箸が動き、他愛もない会話が飛び交う。


 拠点のこと、聖女通信のこと、昨夜見た配信の話。

 誰かが笑い、誰かがつっこみ、誰かがそれに苦笑いで返す。

 ただそれだけの、どこにでもある朝――のはずなのに、胸の奥がじわじわと熱くなっていく。


 どこかで、ずっと。私はこれを望んでいた気がする。


「お姉ちゃん? どうしたの……?」


 沙耶の声が、不安げに揺れた。

 頬を伝って、つぅ、と何かが落ちる。落ちた先のテーブルに、小さな水の跡ができた。


 ……涙だ。


 心配そうにこちらをうかがう視線が、テーブル越しにいくつも集まっている。

 胸の奥でまとわりついていた何かを押し上げるように、小さく息を吸い込んで、口を開いた。


「もう……いいでしょ」


 ぽつりとそう呟いた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。


 テーブルも、沙耶も、七海も、小森ちゃんも、カレンも。

 全部がインクをこぼしたみたいに滲んで、黒に塗りつぶされて消えていく。

 気づけば、真っ黒な空間の中で、私ともう一人だけが、テーブルを挟んで向かい合って座っていた。


「ほう、今際の夢はもう良いのか?」


 聞こえてきたのは、先ほどまで命を削って戦っていた相手――ルトリエの声だった。

 湧きあがる感情を無理やり押し込み、できるだけ冷静な調子を装って尋ねる。


「私は……死んだの?」


「くははっ! この妾が気に入った者を死なす訳がなかろう」


 ルトリエは手を叩いて豪快に笑った。

 けれど、その言葉をすぐに丸ごと信じられるほど、私は楽観的ではない。


 あれは、間違いなく死の感覚だった。

 回帰する前と同じ、自分という存在が黒で塗りつぶされて輪郭ごとほどけていく、あの感覚。


「うむ? 信じておらぬな?」


「間違いなく死んだって思ったんだけど、違うの?」


「妾の庇護がお主を助けたのだ。疑問があるとすれば――妾の庇護は一度死んだ者でないと受け取れん……お主、死んだことがあるな?」


 喉の奥で言葉が止まる。


 一度死んで回帰したこと。それを死と数えるならルトリエの言葉は正しい。

 けれど、死んだ人間がこうして普通に生きているのは、どう考えても理屈が破綻している。


「ふむ。沈黙は肯定だろうに。言わずとも庇護を与えるに際してお主の記憶は全て見させてもらった。二度目の生とは、なかなか数奇な人生であるな」


「そんなことも、できるんだね」


「かつてこの世界を創造した神の一柱である妾からすれば造作もないことよ。今は部下であった神々(カスども)に謀られて神格を失い、奴らの駒として試練場に幽閉されているがな」


 がはは、と喉の奥から笑い声が転がり出る。

 話のスケールが大きすぎて頭が追いつくより先に思考が白旗を上げかけていたが、なんとなくの構図だけは掴めた。


「それで、私が死んでいないことと何の関係が?」


「妾がお主に与えた庇護の効果は死の超越だ。庇護対象が死んだ場合のみに発動し、その死を無かったことにする」


「……随分と法外な力だね」


「もちろん、制約はある。その者が死を一度以上経験していること。妾の血肉を食らったことのある者。そして、妾の闇に耐えることが出来る者にしか、庇護は作用せんのだ」


 ……血肉?

 思わず眉をひそめるが、すぐにルトリエの分身体を倒したときのことを思い出して納得した。

 あのとき喰らったのは、文字通り血肉だったのだろう。


 目の前にはいつの間にか湯気の立つお茶のようなものが置かれていた。

 ルトリエがカップにそっとそれを注いで私の方に差し出してくる。


 温かさで少しだけ指先の感覚が戻ったところで質問を続けた。


「そうなんだね。あと、やけにあっさり倒されたけど何で?」


「妾の本体であれば頭が落ちたとて死なん。しかし、アレは妾の分身体であり神々の援軍で倒せるように設計したものだ。一度でも致命傷を負えば機能が停止する」


 ――人の子が倒せる設計ではなかったがな、と肩をすくめる。

 確かに、あの強さは今まで戦ってきた相手の中でもトップクラスだった。


「分身体であろうと妾は妾。それを倒す人の子なんぞこの試練場ができてから初めてだ」


 ルトリエは本当に楽しそうに笑っていた。

 今までがどれだけ退屈だったのか、その笑みだけでなんとなく察せられる。


 カップに入った茶を一口すすりながら、その愚痴と昔話を半分聞き流していると不意にルトリエが身を乗り出した。


「そうだ。お主、妾の子を孕まんか?」


「ぶっっ! けほっ……は?」


 唐突に背もたれから身を乗り出したルトリエが私の背後に回り込んで耳元で囁いた。

 意味不明な言葉に飲んでいたお茶が盛大に気道に入り、喉が焼けるように痛む。


 何を言い出すんだ、こいつ……。


 むせ返る私の肩にルトリエの腕が回される。

 そのまま勝手に話を続けた。


「妾を倒す力、妾の闇に耐えることのできる肉体の強度。神々に手が届くかもしれん可能性……お主と妾で子を成せば、全てを超越する者が出来上がると思わんか!?」


「倫理観どうなってるのさ……それに、私もルトリエも女だから物理的に無理でしょ」


「それなら問題はない。妾は雌雄同体であるからな」


 ぐい、と強引に引き寄せられ首筋に柔らかな感触が触れた。

 背筋を冷水でなぞられたような悪寒が走る。


 ――貞操の危機。

 一番しっくりくる言葉が頭の隅をよぎった。

 ルトリエの顔を手でぐい、と押し戻しながら、できるだけ冷静な声で伝える。


「嫌だよ。何で私が生まなきゃいけないのさ」


「ふむ? ならば妾がお主の子を孕めば良いのか?」


「どうやって――」


「妾の力を使えば、人の子の体の構造を弄ることなど容易い」


 回していた手が妙に丁寧に私の体のラインをなぞり始めた。

 このままでは本当に押し切られる。そう判断して心の中で小さく舌打ちする。


 肘をねじ込む角度を測り、力を抜いていたように見せかけてルトリエのわき腹に思い切り叩き込んだ。


「ぐふっ……。なぜだ……? 妾ほどの美貌であれば拒む理由などなかろう!?」


「確かに美人だけどさ、もっと段階踏んで互いを知ってからじゃないと嫌だ」


「ううむ、人の子とはつくづく面倒くさいのう……」


 床にうずくまって悶絶するルトリエを私はゴミでも見るような目で見下ろした。

 今の私の力では正面からやり合ってもルトリエには絶対敵わない。

 だから無理やり迫られたときの対処法は一つ――先延ばし。未来の自分に丸投げする。


 がんばれ、未来の私。ルトリエより強くなって、正面から全力で拒絶してくれ。


 そんな他人事じみたエールを送りつつうずくまるルトリエを眺めていると黒い空間のどこかから、ピシリ、と乾いた音がした。


 視界の端で、黒一色だった空間に細い亀裂が走っていく。


「ちっ……神々(ゴミども)が妾の介入に気づきおったか。逢瀬を邪魔しおって……」


「聞き忘れたんだけど、ここってどんな空間なの?」


「妾の庇護を得し者とのみ作り出せる、誰にも邪魔されない空間であるぞ。この空間では神々の監視も届かぬから密談や逢瀬にはもってこいだ」


「ヒビが入っているのは何で?」


「神々がこの空間を壊そうとしておるのだ。奴らは自分のあずかり知らないところで何かをされるのを嫌うからの」


 ルトリエが露骨に不機嫌そうな顔をした。

 本当に仲が悪いのだと、改めてよく分かる光景だった。


「持って後数十秒だな。アキラ、近こう寄れ」


「何? なんかくれるの?」


「うむ。餞別だ」


 そう言うや否や、ルトリエは私の首筋に勢いよく噛みついた。


 思わず肩が跳ねる。けれど不思議と痛みはない。

 代わりに、じわりと温かい何かが噛まれた場所から滲み出して皮膚の下を流れていく。背中、胸、指先にまでそれが染み渡った。


「庇護を書き換えた。これより闇はお主の手足のように動くだろう」


「びっくりするから事前に教えてほしかったよ」


「わははっ! 時間が無かったのでな!」


 ひび割れは見る間に広がっていく。

 黒い空間全体が、薄いガラスでできているかのようにびしびしと音を立てて震え始めた。


「時間だ。アキラよ、可能なら各階層に散らばる妾の分身体の力を集めるがよい。あれらは妾の力を分割して作られたモノだ。きっとお主の力になるだろう」


「……分かった。任せてよ」


 言い終わるのとほとんど同時に世界が砕け散った。


 視界が反転して闇の代わりに、あの荒れ果てた戦場が戻ってくる。

 返り血が肌の上で完全に乾ききっていて体を動かすたびにぱりぱりと音を立てながら剥がれ落ちた。


 足元を見ると転移石と、落としていた風竜の剣、そしてルトリエが持っていた黒い剣が並ぶように落ちていた。


 両方を拾い上げた瞬間、黒い剣がぐにゃりと形を変え、蛇のように蠢いて風竜の剣に絡みつく。


 渦を巻く闇が刀身に吸い込まれていき、やがて一本の剣になった。

 真っ黒な刀身の中央に細く緑の線が一本走っている。

 さっきまで別々だった二本が最初からそれで一つだったかのように馴染んでいた。


 私はしばらく、その剣を呆然と見つめていた。

 やがて無理やり意識を現実に引き戻して転移石を拾い上げる。


 辺りを一周見渡す。

 地平線まで続くのは、ただただモンスターの死骸のみ。

 風が吹くたび、血と肉と腐った臭いが混じり合った匂いが流れていった。


「……流石に魔石を回収しないと勿体ないよね」


 ぽつりとそう呟き剣を腰に収める。

 そこから魔石の回収作業にさらに一週間ほどかかったことは――言うまでもない。


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神々の中でルトリエが際も信用できるね
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