3.種族の考えの違い
魔界樹林のふもとの小屋で薬草茶を入れ、カップ片手に日記を書いていた。書いていたのだが、先ほどからお腹がグルグルとうごめく感覚に嫌な予感がしていた。今日は昨日お裾分けでもらったご飯を食べようとしたのだが、口に含んだ時に若干違和感があったのだ。すぐに口から吐きだし口をよくすすいで今は薬草茶を飲んでいるというのに、一向に不快感が解消されない。それどころか、チクチクとした痛みが出てきていることに焦りを覚える。
「やばい、かもしれないな……」
手で自分のお腹をさすったり温めたりしてこれ以上ひどくならないようにと祈るが、次第に痛みが出て、あっという間に額からは脂汗が流れてくるではないか。ということは、次の症状としては“トイレに閉じこもる”一択だろう。
「こうなっては、仕方ないか……」
ふふ……と不敵に笑い、スコップとティッシュ代わりの野草を乾燥したものを片手に樹林際きわの林へとふらつく足取りで向かった。そして、大急ぎで穴を掘り、――決壊した。
どのくらいこのしゃがみスタイルで“こと”が終了するのを待っただろうか。足はしびれ、感覚がない。魔界に来るときに懐中時計を買って来ればよかったかと、今更ながらに反省をした。
きちんとティッシュ代わりでふき取り、穴を埋め、スコップを持って川へと向かった。手洗い用の場所は小屋からは川下のあたりと決め、足元を木の板を敷いている。そして、そこには魔界に来てすぐに作った石鹸を置き、お通じの後には必ず石鹸で手洗いをすることにしている。
「だって、どんなにティッシュでふき取って手についていなくても、雑菌は手についちゃうんだもんね」
前世の記憶で、お通じの後に石鹸で手洗いしなかった弟から雑菌が家庭内にばら撒かれ、一家食中毒になった記憶が蘇り、その時の苦痛を思い出し身震いをする。
「あんなの、もう二度と嫌だわ……」
そう言いながら、今も少し違和感があるもののこれ以上はひどくならないだろうと考え小屋へと戻って行った。そして、ふと子ゴブリンの姿を今日は見ていないことに気が付いた。
いやな予感が、よぎった。
「まさか、ね……」
独り言をつぶやきながら苦笑いし、薬草茶を一口飲んで今日することのタスクを頭の中で思い浮かべたが、一度気になってしまったら確かめないと気が済まない性分が全てのタスクを押しのける。
「……確かめるだけよ」
そう自分に言い訳し、スコップと作り置いていた石鹸片手に児ゴブリンの住む集落へと足を運ぶことにした。
集落に着くと、そこかしこでお腹を抱えて唸っているゴブリンたちがおり、嫌な予感が確定になりつつあった。児ゴブリンが住む屋根しかない住処に近付くと一家全員がお腹を抱えて唸っていた。
「ちょっと貴方たち、いつから調子悪くなったの?」
児ゴブリンの親たちに声を掛けた。
「今日の朝から……。あ、エーレちゃん。あんたは大丈夫なんだね。よかった……」
力なく話す母ゴブリンは、私の顔を見るなり安心したようだった。
「まったく……。ご飯を作ったのは誰?この集落は家族ごとにご飯を作っているの?」
ゴブリンは集落全員が家族として考えている感がある。であれば、雌ゴブリンが集まってみんなのご飯を作ったと考えられた。
「ここは女が集まってみんなのご飯を作るよ。だから、昨日も女が全員集まって作ったよ。ああ、昨日は小さい子が調子悪いって言って連れてきてたわね……。お腹痛いって言ってたっけ」
母ゴブリンの話から、おおよそのことが分かった。たぶん、確定だろう。
「なんとなくわかったわ。それで、貴方たち。手洗いはちゃんとしているんでしょうね……」
大事なことを聞いてみた。いや、わかっている。わかってはいるけれども、もしかしたらという希望を込めて聞いてみた。
「え?手洗い?そんなことしないよ、いつも」
私は、大きくため息をつき、その場にしゃがみ込んだ。これは、食中毒だろう。それはなんとなくわかっていた。だがしかし!一番ショックだったのは、手を洗っていない手で作った食事をこれまで食べ続けてきたということだ!
前世の私は、少し潔癖症だった。今回のように、調子の悪かった弟が手をきちんと洗わずに料理の手伝いをしたいといい、その当時の私もまだ幼かったから何も考えず一緒にご飯作りをしたのだ。そして、一家全員が食中毒で病院にお世話になって、治療費が家計に大きな圧迫を与えた――苦い思い出がある。私はそのことがきっかけで、しっかりと手洗いをすることを家族に徹底させた。
あ、あのクソ親父はちゃんとしていなかったか。それでもいつもどこかへふらふらと遊びに行っていたから一緒にご飯を食べる機会はあまりなかったし、かえってよかったのかもしれないな。
とにかくだ!このままでは自分の身の安全が確保されない。(相変わらず、ご飯のお裾分けを期待しているからね)
だったら、私がゴブリンたちを指導すればいい。
「貴方たちの炊事場を借りるわよ。あ、場所はあそこでしょう。いいから寝ていなさい」
母ゴブリンが無理をして起き上がろうとしたので制止し、炊事場らしきごちゃごちゃとして汚らしい一角へと足を運んだ。
「……」
衛生観念も全くないことがうかがえられるこの場所をどうしてくれようか。
鍋らしきものもまな板らしきものも、全く綺麗に洗われた形跡がなく、汚れが蓄積されて付着物で盛り上がっている。
「まじか……」
思わず自身の口に手をやり、吐き気を抑え込んだ。今は、ここで吐いている場合ではない。種族の文化の違いをここで嘆いても仕方ない。全くの知り合いでもなく、違う種族の自分のことを気にかけて何かと世話をしてくれたゴブリンたちを、見捨てるなんてそんな薄情なことはできない。
やることを頭の中で手順を組み立て、腕まくりをして汚れた盥を掴んだ。
そこからは怒涛の掃除、掃除、掃除だった。蓄積された汚れなんて、すぐにとれるものではない。盥に水を貼り、汚れたものをつけてふやかした後で力を込めて洗った。たわしなんてものもないので、カウボーイの映画でよく見かけた木の渇いた根が丸まっているようなものを見つけ、それで洗うことにした。最後に、自作の石鹸で洗い一旦はこれで何とかなると、額の汗を手で拭った。
その次に、鍋らしきもの改め大きな鍋に水を汲み、炊事場で湯を沸かした。ゴブリンのお腹はきっと人間よりも強いだろうが、食中毒になっているのに川の水をそのまま飲ませるわけにもいかない。しっかり沸かした湯に蜂蜜っぽいものと塩っぽいものを入れ、火からおろして冷ました。冷めた“なんちゃって経口補水液”をきれいなコップに入れて調子の悪いゴブリンたちに飲ませまわった。その際、家の奥に穴を掘っているからそこで排泄するように何度も言い聞かせた。ゴブリン達は「なに言っているんだ?」と言わんばかりだったが、最悪死ぬものもいるがいいのかと少し脅せばちゃんと排泄を穴でしてくれている。こんな子供に言われて素直に言うこと聞いてくれるなんて、どこかの子供名探偵かよなんて前世の記憶を思い出し笑ってしまった。
ひとまず、炊事場はそれなりにきれいになったが、“なんちゃって経口補水液”だけでは体力がもたない。西洋風の病人食と言えばパン粥だが、私は元日本人だ。ここは米の粥が食べたい。なんなら、梅干しがあると本当にいいのだが、塩もここでは貴重だし梅の木があるとも思えない。
食材に何があるかもわからないことには始まらないので辺りを見回した。すると食中毒にならなかったゴブリンと目が合い、貯蔵庫へ案内してもらうことにした。一応顔見知りだが、貯蔵庫にすんなり案内されて安全管理を心配したのだが、これは後日お叱り案件だと一旦おさめることにした。
貯蔵庫は比較的冷暗なところに簡易小屋が作られたものだった。中は少し冷んやりしていて、そのことに驚く。そして、少し見て回ると床に置かれた麻袋に目が留まった。
「これは?中を見てもいい?」
案内してくれたゴブリンに声を掛けると笑顔で「勿論」と言われ、ゴブリンは騙されやすい種族なのだと改めて認識し、頭にメモをした。
麻袋を開け、私は思わず声を上げてしまった。
「こ、これって、米?!」
目の前にある白い乾燥した粒を見て、懐かしさで泣きそうになった。
こんなところで日本の国民食に出会えるなんて、思ってもみなかったのだ。
「ん?これはラーイスというんだよ。エーレは知っているの?このラーイス、少し調理が大変だから滅多に食べないんだ」
ゴブリンよ、なんてもったいない。腹持ちもよく、いろんなおかずに合うこの食べ物の魅力を知らないのか?調理が大変だというが、洗って水に浸し“始めちょろちょろ中ぱっぱ“の火加減で美味しく食べられるのに。もしかして知らないのだろうか。
まあ、今聞く必要もない。早速この米で粥を作ることにした。
しっかりと洗米はせず多めのお水でしっかりと炊いた。炊いたというより煮込んだというべきだろうか。とろとろにコメの粒が崩れるまでしっかりと炊き、塩だけで味付けをした。出来上がったものを元気なゴブリンと共に調子の悪いゴブリン達に配り食べてもらった。
使った食器を回収し、洗い場でしっかりと洗い終えたころにはもう日が暮れていた。
今日は私も粥を相伴にあずかり帰ることにした。
自宅の小屋に帰り、手洗いをして日記をつけた。
食中毒のこと、ゴブリンの疑うことをしない種族のこと、米があったこと。
明日しなければならないことが文字を見て思いつくが、次第に瞼が重く感じ始めた。
十歳の小さな体で一つの集落の世話をしたから、体が限界だった。
だが、前世の自分が記録魔だったこともあり、記憶が鮮明な時にゴブリンの生態の追記をしたいと“ヴィヴァント・アポローグ”を引き寄せた。
「ゴブリンは騙されやすい。衛生観念がない。ん~……。これだと悪口っぽくなるわね。あ、そうだ。笑顔が素敵って書かないとね」
ゴブリンは攻撃的な種族ではなかった。優しく素直に話を聞く姿勢がある。言葉を話せるからだろうか。とは言え、食中毒は良くない。洗う習性がなかったということが分かった。だったら、私が指導すればいい。
助けてもらった恩をここで返せるだろうか。何も言わず迎えてくれたゴブリン達に、私はいつの間にか情を持ってしまったようだ。




