第137話 麗子様はお猫様とお月様を眺める。
「麗子ちゃん、その手、大丈夫なの?」
折れた右手を包帯ぐるぐる巻きにして塾へ行ったら、菫ちゃんに心配された。やっぱり、心の友は菫ちゃんだけよね。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんわ。ですが、痛みはもうありませんので大丈夫ですのよ」
「でも、利き手がそれじゃ不便でしょ?」
うん、私も最初それを考えた。
「いえ、私は両利きですので問題ありませんわ」
だけど、ハタと思い出した。マンガの清涼院麗子は左利きだったと。これまで前世の記憶に引っ張られ、ずっと右を使ってたけど。
試しに左でシャーペン握ったら、あーら不思議。スラスラと書けるじゃあーりませんか。
「それにしても、そのケガどうしたの?」
「学園でやられたみたいよ」
横からヒョイッと現れたのは桔梗ちゃん。相変わらず事情通なようで。ホントにどっからリークしてんのかしら。
「えっ、麗子ちゃん、学校で虐められているの!?」
なんだか菫ちゃんの目が憐れんでいる。
そして、ガシッて、両手を握ってきた。
「私は麗子ちゃんの味方だから。つらい事があっても挫けちゃダメだからね」
ホンマええ子や。
菫ちゃん、なにがあっても私達ズッ友だよね。
「菫、心配するだけムダムダ。麗子ってば、大鳳の女王なんだから。虐める側よ?」
「そうなの? 麗子ちゃん、虐めはダメだよ」
それ風評被害ぃぃぃ!
もう、桔梗ちゃんったら。菫ちゃんに「めっ!」されちゃったじゃない。
「虐めなんてしておりませんわ」
「そうよね。麗子ちゃん、そんな事する子じゃないものね」
私は信じてたわって……菫ちゃん、ちょっと調子が良いんじゃない?
「大鳳でお家騒動があったみたいよ」
「下剋上? それじゃ、麗子ちゃん落ちぶれちゃったの?」
菫ちゃんの目に憐憫の色が浮かぶ。
また何か変な想像してるみたいね。
「別に藤浪さんと争っているつもりはありませんわ」
「あら、歯牙にもかけてないってわけ?」
向こうが勝手に噛みついてくるだけやし。マジでチワワみたいにキャンキャンうるさいんよ。
「でも、藤浪って子、かなり幅を利かせてるんでしょ?」
「ええ、まあ、かなり迷惑は被っておりますが……」
そうなのだ。
藤浪さんのグループがまた大きな顔で闊歩し始め、外部生にかなり迷惑をかけている。この間、仕留め切れなかったのが悔やまれる。
それもこれも全て滝川と早見のせいだ。
あいつらが邪魔さえしなければ、今ごろ学園は平和になっていたのに。
しかも、私と滝川早見が対立しているという噂のせいで、藤浪さん以外の女生徒も私の言う事を聞かなくなってきた。
くっ、完全に四面楚歌じゃ。
それなのに、滝川ときたら私が藤浪さんを抑えていないのが悪いと言い出しやがった。テメェのせいやろーが。
まあいい、良い事もあったしな。
「ところで麗子、今度のうちの文化祭に来るのよね?」
「ええ、もちろんお伺いさせていただきますわ」
なんと桔梗ちゃんがデレたのだ。
最近、桔梗ちゃんと仲良くなったような気がする。きっと、私と滝川が対立関係になったからじゃないかな。
これで桔梗ちゃんも私とズッ友……
「聖浄の文化祭に呼んだんだから、ちゃんと大鳳の文化祭チケット渡しなさいよ」
……まさか、それが真の目的?
いやいや、これは照れ隠しよ、きっと。絶対にそうだわ。
そうよね、桔梗ちゃん?
「それから、私と菫が行くまでには大鳳の騒動に決着つけときなさい」
「そんなの普通に無理ですわよ」
滝川と早見のせいで藤浪グループは収拾がつかんのじゃ。今の我は幕府に実権を握られた天皇なんじゃ。
少数派の清涼院派閥は日陰者。くすん。
「ふふっ、桔梗ちゃんは発破をかけてるだけよ」
なーんだ。
桔梗ちゃん、そんなに我を心配してたんか。
もー、ツ・ン・デ・レさんなんだからぁ。
「ち、違うわよ!」
「そんなに強く否定せずとも桔梗ちゃんのお気持ちは分かっておりますわ」
「違うって言ってるでしょ!」
顔まっ赤にして、かわいーんだからぁ。
「うふふ、恥ずかしがらずともよろしくってよ」
「この!……いいこと、ちゃんとやらなかったら絶交するわよ」
ひぇー、ちょっとからかいすぎた!?
「できない言い訳は聞かないからね!」
そ、そんなご無体な!
やばい、桔梗ちゃんを怒らせてしまった。
こうなれば藤浪さんを何とかせねば。
だけど、どーしたらええんや。
粗忽と迂闊を扇動して、尊王攘夷でもやろうか?
もしかしたら、大政奉還で麗子維新になるやも?
……無理か。
日本の夜明けは遠そうだ。
うんうん悩みながら帰宅すると、タヌパパンが満面の笑みを浮かべて待っていた。
「喜べ麗子」
なんです、お父様?
下らない事でしたら後にしてくださいませ。こっちは非常にセンシティブでデリケートな問題に頭を悩ませているんですから。
「麗子とマダラの仇は取ったぞ」
「はぁ?」
私もマダラさんも死んでませんよ。
何とち狂ったことを言ってんねん。
「可愛いマダラに暴力を振るい、清涼院家の娘に怪我をさせたんだ。藤浪家には相応の報いを受けてもらった」
「な、な、な……」
なんばしよっとぉ!?
「まさかお父様、藤浪家の会社になんぞ制裁を加えられたんですの?」
「あそこの取引先はほとんど清涼院グループの傘下だからな」
にやって笑わないでください。
完全に悪人になってますから。
「お父様、ちょっとそこに正座なさいませ!」
「えっ、麗子?」
どうしてって顔でタヌパパンが正座しましたが、何をやらかしたか理解していないんですか?
藤浪さんの会社にも、無関係の社員と家族さんがいるんですよ。その方々の生活をなんだと思ってるんです。
子供のケンカで皆さんの人生を無茶苦茶にして。私はどう申し開きをしたら……と、こんこんと説教したら、泣きながらタヌパパンが土下座した。
「許してくれ〜麗子ぉ、父さんはそんなつもりじゃなかったんだぁ」
「あー、だから止めておいた方がいいって言ったのに」
そこへお兄様がヒョイっと現れて「もう許してあげて」って、私の頭をポンポンされましたが……さすがにこれは許せる範疇を超えてます。
「大丈夫。藤浪家の事は麗子やマダラとは無関係だから」
お兄様の説明によると、藤浪家の会社が販売している商品に欠陥があったらしい。それだけなら問題はなかったのだが、どうやらその事実を会社ぐるみで隠蔽したのだそうだ。
「そんな会社とは取り引きできないからね」
不正が明るみに出る前に距離を取ったのが真相なんだって。
「でしたら、どうしてお父様は先ほどのような私の為みたいな発言をなさったのですの?」
「最近、麗子が構ってくれないから、父さん、ちょっと良いところ見せたかったんだよ」
ソレ、ぜんっぜん良くないから。
ちゃんと反省してくださいませ!
叱ったら、「すまん」と、肩を落としてタヌパパンが哀愁を漂わせしょぼんとした。
全く、タヌパパンは何をやっとるのか……心臓が止まるかと思ったぞ。
ところが、これは単なる伏線でしかなかった。
それからしばらくして――
「ひっ、麗子様!?」
ばったり出会った藤浪さんが悲鳴を上げた。なして?
「あら、ご機嫌よう、藤浪様?」
「わ、私は何もしてないから――そ、それじゃあ」
挨拶も返さず這う這うの体で逃げ出す藤浪さん……いったいどうしたん?
「おい、見たか今の?」
私が首を捻っていたら、周囲が私を遠巻きにヒソヒソと……いったい何だ?
「ああ、噂は本当だったらしい」
「麗子様に逆らった藤浪家が潰されたって話か?」
「藤浪さんとこの会社、清涼院グループに睨まれて大変らしいぞ」
「ぱねぇな、清涼院さん」
おいぃぃぃぃ!!
「見損なったぞ清涼院、本当に親の力を借りるとは!」
しかも、滝川まで飛んで来て、噛み付いてくるしぃ!
「普通、子供のケンカにそこまでやるか?」
「私は何もしておりませんわ!」
まったく、どいつもこいつも、私をなんだと思ってるんだ――あっ、悪役お嬢様清涼院麗子様か。
「さすが麗子様、これで藤浪グループも大人しくなりますね」
「麗子様ならやってくださると信じておりましたわぁ」
自分のクラスでもこれだ。
楓ちゃん椿ちゃん、私はホントになんもしとらんからな。
「迂闊君、やっぱり清涼院さんに逆らっちゃダメだ」
「粗忽君、分かってるよ。死にたくないからね」
だから、私は何もやっとらん!
いつの間にか学園中に『清涼院麗子に逆らうと家ごと潰される』と噂が広がり、ますます恐れられるようになってしまった。
私が廊下を歩けば生徒どころか教師まで道を譲って目を背ける。
くっそー、悪評ばっか広まりやがる。
くすん……私、なんにも悪くないのに。
「やるわね、麗子」
塾へ行ったら桔梗ちゃんがにやり。
「さっそく藤浪さん達をシメたらしいわね」
ここでもか!?
「彼女の実家を潰しにかかったんだって?」
「麗子ちゃん、そういうのはダメだと思うの」
「私は何もしておりません!」
どうして誰も信じてくれんのや。
あまりにタイミングが良すぎるせいか。しかし、藤浪家の不正はまだ口止めされてるからなぁ。
状況が我に不利すぎる。
どーすればええんや。
重い足取りで帰宅してバルコニーに出れば、夜空には見事な満月が煌々と輝いていた。
「綺麗……」
冬馬様への恋も、みんなの友情も、周囲の理解も、欲しても私では手に入らないらしい。
私はお行儀悪く足を投げ出し、床に座って夜空を見上げた。
うさぎ、うさぎ♪
なに見て跳ねる♪
十五夜お月様、見て跳ねる♪
なんとなく口ずさむ童謡が私の心に沁みる。
ヒュッと小さな風が吹き抜けた。もう十月も半ばを過ぎたのね。そう思い出させるほどに、それは冷たかった。
――さわ……
その時、床についていた手に柔らかいものが触れた。
「えっ!?」
「にゃー」
いつの間にかマダラさんが私の横に!?
ちょこんと並んで座るマダラさんの尻尾がゆらゆら揺れて、私の手の甲を撫でていたのだ。
それはまるで「元気出せよ」と慰めてくれているみたいに。
「マダラさん、私を励ましてくださっているんですの?」
「にゃ〜?」
私の問いにマダラさんは答えない。ただ、首をコテンと傾げただけ。そして、そのまま夜空の月を黙って見上げる。
ゆらゆら揺れる尻尾で私の手に触れたまま……それ以上は近寄りもせず離れもせず。
きっと手を伸ばせばマダラさんは逃げ出すだろう。この距離が今の私とマダラさんの関係なのね。
だから、私も黙ってお月様を見上げた。
「綺麗ね……マダラさん」
「にゃー」
夜空を照らす月は変わらない。それでも、私の心は少しだけ軽くなったような気がする。
だって、小さいけれどあの月に手がもう届いたのだから。




