第3話「馬はしゃべれた」
第一章は初日に一挙公開
第二章からは、一日一話、朝七時公開です。
七月、俺は馬運車に揺られて美浦トレーニングセンターへ入った。
(美浦だ……本物の美浦だ……)
競馬オタクにとって、トレセンは聖地である。一般人は気軽に入れない。そこに俺は今、関係者として――いや、主演として入っている。映画スターの気分だ。テンションがあがる。
大門厩舎。調教師の大門剛は四十五歳。穏やかな丸顔で、事務所の壁には手書きのグラフがびっしり貼ってある。データ派らしい。
(わかる。俺もデータ派だ。歳も同じだし、気が合いそうだ)
「こんにちは、モモジリビジン。今日からよろしくね」
担当の厩務員は、田中ゆうじ、二十八歳。人の良さそうな大きな犬みたいな男だった。
そして、俺に乗る騎手。
「ふーん。こいつが俺の新馬戦のお相手か。ま、俺が乗ればどんな馬でも勝てるけどね」
喜城悟、二十二歳。前髪が長い。
(自信はありそうだが、こいつの名前、全く覚えがないな)
◇
その夜。馬房で、俺は今後の作戦を練っていた。
人間だと伝える作戦は、牧場ですべて失敗した。だがここは競馬の本場。競馬新聞が置いてあるはずだ。馬名が書いてある。俺は、未来の結果を知っている。
(結果を当て続ければ、いつか誰かが気づくはずだ。この馬は何かおかしい、と)
完璧な作戦だ。おやすみ自分。
その時だった。
「――あんた、一人でなにブツブツ言ってんのさ」
隣の馬房から、しゃがれた声がした。
(……え?)
壁のすき間から、白いものの混じった鹿毛の顔がのぞいていた。だいぶ年寄りの牝馬だ。
「うちはオトメノイチジク。この厩舎じゃ一番の古株だよ。あんた今日来た新入りだろ?」
(しゃべった……)
(馬が……しゃべった……)
「……あの、俺の言葉、分かります?」
「分かるも何も、普通にしゃべってるじゃないか。変な子だねえ」
俺の目から、水がこぼれそうになった。馬も感動して泣くのだと、体感した。
転生して一か月。初めて、会話が成立した。
「あの、実は俺、人間なんです」
「そうかい。うちは蛇だよ」
「いや、本当に――」
「若い子はみんなそう言うんだよ。自分は特別だってね。うちも若いころは、自分はペガサスだと思ってたもんさ」
(馬にも通じない!)
◇
翌朝。オトメノイチジクさんから、厩舎の掟が伝授された。
ひとつ。飼い葉は古株から先に配られる。新入りは最後。
ふたつ。調教では、古株を追い抜いてはいけない。
みっつ。古株の自慢話は、何度目でも初めて聞く顔をする。
(会社だ! これ、日本企業だ!)
馬の群れには序列があると、本で読んだことがある。だが実際にその中に放り込まれると、それは完全に中堅会社だった。しかも、俺は新卒扱いだ。二十二年勤め上げた経理課の主任が。
「あとね、人間にはうちらの言葉は通じないよ。みんな『ヒヒン』に聞こえるんだとさ」
「それは、身をもって知ってます」
◇
その日の午後。俺は「未来予知作戦」を実行に移した。
田中さんが馬房の前で、休憩がてら競馬新聞を広げている。今週末の重賞の出馬表だ。
(このレース……知ってる。勝つのは、三番の馬だ)
俺は首を伸ばし、新聞の三番の馬名を、前歯で噛んで指した。いや、指そうとした。
ビリッ。
新聞が破れた。ちょうど三番の馬名のところだけ、きれいに。
「あーっ! こらモモ、新聞で遊ばないの!」
「ヒヒン!」
田中さんがため息をついた、その時。事務所の戸が開いて、大門先生が顔を出した。
「どうしたの」
「モモが新聞を破っちゃって。ほら、三番のとこだけ」
「なんだ、そんなことか」
◇
それから三週間。俺は田中さんが新聞を広げるたびに、勝ち馬の名前だけを破り続けた。三週連続、すべて的中。
週明けの朝、大門先生の事務所の壁に、グラフが一枚増えていた。
『モモジリビジン 新聞破り的中率 100%(3/3)』
(よし! 気づけ! この馬は未来が見えると気づけ!)
大門先生は腕を組み、グラフと俺を見比べて、真剣な顔で言った。
「この子、勝つ馬の匂いがわかるのかもしれないね」
(匂いじゃない! 記憶だ! 二十五年分の!)
「すごいねモモ! ご褒美だよ!」
田中さんは、俺の口に人参を三本突っ込んだ。
……人参うまっ。
隣の馬房から、オトメノイチジクさんのあきれた声がした。
「あんた、新入りのくせに人参もらいすぎだよ。うちに一本よこしな」
俺は一本、差し出した。
会社勤めとして、それが正しいと思った。
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